俺が20才前後の頃にハマっていたバンドです。













俺が18から20才にかけての頃は史上空前のビジュアル系ブーム。
D-SHADEもまたその頃に彗星の如く現れたバンド。

マジでハマってました。
俺がボーカルに転向したばかりの頃にメジャーデビューしたバンドやから、何だか感じる物があった。
彼らは年は俺の1つ上なんやけど、当時のメジャーでメンバー全員が俺と同年代のバンドは俺の知る限り彼らだけだったし、彼らが影響を受けたアーティストが俺が好きだったりかっこ良いと思うアーティストばかりだったから余計に共感した。
出身も同じ瀬戸内地方やし(彼らは海を挟んで真向かいの広島県出身)。

俺がD-SHADEに本格的にハマり出したのはメジャーデビューして3ヶ月くらいの頃やったけど、それからすぐにインディーズ時代の音源も買い漁り、新譜が出れば必ず買うほどのハマりぶりやった。

彼らの楽曲は、自分達が影響を受けたアーティストの影響があまりに色濃く出てる故に、そう言ったバンドのコアなファンからは賛否両論あったけど、俺はそこも含めて好きだったし、何よりも“ロックバンドのかっこ良さを感じさせてくれるロックバンド”だった。

一度だけやけどライブを見に行った。
やっと憧れのD-SHADEをライブを見られる事を楽しみに待っていたその日、俺は38度の熱を出してしまい学校も4限目の終わり頃になって行ったくらいやったけど、彼らがステージに立てばそんな物関係無かったし、アドレナリン効果なのか逆に気持ち良くなっていた。

彼らが自分達が影響を受けたアーティストに憧れるように、俺はボーカルのHIBIKIさんに憧れていた。
あの頃は兎にも角にもHIBIKIさんみたいなボーカリストになりたかった。
あの頃も、D-SHADEが解散してからも、俺が黒いスーツに青いシャツの襟を出し、濃い目のグレーのアイシャドウを塗っていたのは完全にHIBIKIさんへの憧れと影響やった(またやりたい・・・)。
HIBIKIさんがライブで「俺達がD-SHADEだー!」って言うのを真似して、俺も自分の初めてのライブで「俺達がVISAGEだー!」って言った。
HIBIKIさんの書く詞も好きで、俺もああいう時にせつなく時に熱いストレートな詞を書きたいと思い続け、今でもHIBIKIさんではなく俺の言葉や感性でそういう詞を書いている。

彼らがメジャーデビューしてから2年後、本屋である音楽雑誌の表紙にD-SHADEという文字が見え早速手に取ると、バンド名の上に小さく解散の文字が・・・。
その雑誌にはギターのKENさんの単独インタビューで解散の経緯について語られていたけど、解散の1番の理由が俺がこんなボーカリストになりたいと思って憧れ尊敬してたHIBIKIさんが音楽とは違う道へ進むためという物だった。
俺が20代前半の頃は自分の大好きなロックバンドが次々と解散していったけど、俺にとっては彼らの解散がその序曲やった。
同時に自分の憧れた人が音楽業界から引退。

今にして思うとD-SHADEは、10代の終わりから20代の始まりという、少年である自分と青年である自分とが交差していた頃の俺の青春。
解散してからも、今でもD-SHADEの曲をふと聞きたくなったり、自分のライブでも歌ったりする事がある。

彼らの楽曲にはシンコペーションやキメを多用した曲が何気にあり、そのお陰で聞いてるだけでもその感覚が身に付いた。
CRYSTAL EDGEもわりとシンコペーションやキメがミソになっていて、そういうアプローチをしてる楽曲がバンドとしても重要な位置を占めているから、あの頃D-SHADEを聞き込んどいて良かったなと思います(笑)。

今日は久しぶりに、彼らのラストインディーズアルバムを聞きます。
$TACASHIの青い夜空の海の追憶-dear
D-SHADE「Dear」

そういえば、俺が初めて買ったD-SHADEのCDが、当時彼らを一押ししてた松山市内の某CDショップ(店頭に入ってすぐの位置にD-SHADEのコーナーを設置していた)の試聴機で聞いて気に入ったこのアルバムやった。
まさに12年前の今頃の季節・・・
10代最後の夏やった・・・

あのメロディが・・・あのビートが何度も熱くさせてくれる・・・