この地球に、永遠に存在するものなど、一つもない。そんなことは誰もが知っている。どんなに愛しい人であっても、別れの日が来る。バンドだっていつかは解散してしまう。そんなことはわかっていた。わかったつもりでいた。


 2007年4月25日、思いもよらぬ訃報が飛び込んできた。耳を疑った。そんな、馬鹿なことがあってたまるか。

嘘だろう。不死身の男・中村新一が・・・・・・。

“昭和最後のロックバンド・マネージャー”と称され、1年中Tシャツで過ごし、ビールを浴びるように飲み、飲み始めて1時間ほどするとスイッチが入りだれかれかまわずヘッドロック。レコード会社の社長だろうが放送局の局長だろうが関係ない。そして「腹割って話そうぜ」と熱いロック論を繰り広げ、翌日になるとケロッと忘れている男。

どれほどアルコールを胃の中にぶちまけても二日酔いとは無縁の豪傑。鉄壁の肝臓とは、このことか。


 その男が、正に生涯をかけ、とことん愛したバンドがある。それが、SIAM SHADEだった。荒くれ者のヤツらを、メジャーデビューから突然の解散まで、まるで家族のように愛しきった。家族だからこそ、ぶつかり合いだって半端じゃない。言い合い、怒鳴り合い、つかみ合い。

もちろん、だからこそSIAM SHADEのロックは突き抜けた。そこには他の誰もが味わえなかった涙と笑顔があった。

 天性のアマノジャクが揃った5人組SIAM SHADE。中村新一がマネージャーでなければ、デビューして1年で解散していただろう。何せ、高校時代に「日本武道館で楽器のセッティングをしている夢を見た」という栄喜の、全く根拠のない成功イメージだけで始めた5人組なのだ。そして“ソニー+アミューズ”というメジャーデビューの図式、キャッチーなデビュー曲「RAIN」、これですぐさま、ぶっちぎりで売れまくり、ウハウハの生活が約束されていると思い込んでいたのである。日本武道館でのライブなんて、お茶の子さいさいだと。ところが売れない。注目されない。どうしてなんだよ!という憤懣、これも全て彼が受け止めた。


 メジャーデビューして2年。「1/3の純情な感情」がミリオンに迫る大ヒット。スタッフ全員が涙した。そしてすぐさま、メンバーの夢である日本武道館ライブがセットされた。5人が喜ぶと思っていたら、これが大間違いだった。5人の答えは「まだ早い」だった。本物のロックバンドでなければ日本武道館のステージには立っちゃいけない。2年間、彼ろ転げ回るうちに5人はそう思うようになったのだろう。当時、ロックバンド・バブルと言ってもいい時代だった。ミーハー人気だけでデビューライブが日本武道館というようなケースも増えたのである。5人は、その現象につばを吐いた。当然のごとく、またもや関係者に頭を下げまくったのが彼だった。


 そこから、SIAM SHADEは徹底的にライブハウスで演奏力を磨いた。全国をくまなく回り、どんなに過酷な環境でもファンを熱狂させた。ヒット曲を捨て、エナジーを取った。いつしかライブ空間は無数の拳に満ち、ロック界で唯一無二の存在になっていく。21世紀になると、有力バンドが次々と解散。天下がすぐそこに待っていた。


 2001年12月28日、満を持して日本武道館のステージに立つ。しかし、その直後、SIAM SHADEは崩壊の危機に瀕する。解散ライブはやらないという5人に彼は言った。最後にファンを裏切るな。その一言で、SIAM SHADEは再び日本武道館に立つことを決めた。生涯をかけて愛したバンドがなくなってしまう。胸が張り裂けそうだったのだろう。しかし、彼はそれをこらえ、5人の意志に従った。


 そして、2002年3月10日、日本武道館で解散。ライブが終わり、夜が明けても彼はビールジョッキを片手に持っていた。太陽にバカヤロウと言ったに違いない。その夜が永遠に続いてほしかったからだ。


 死を迎えるにあたっても、中村新一は伝説を残した。ガンの再発を知らされても、全くあきらめない。激痛に見舞われても、「痛い」と一切口を割らない。ついには体脂肪率0%になっても、「俺は復帰してロック・レーベルを立ち上げる」と公言していた。「治ったらビール飲もうぜ」と親友にも約束していた。最後の最後まで夢を見ていた。


 千人を超える葬儀の参列の中に、SIAM SHADEの5人がいた。5人が揃うのは約5年ぶりのことだった。その5人が彼と再会した。花々に囲まれた顔。涙をこらえるのに必死だった。声をかけても、もう返事が聞けない。無念に応えたい。その無念、一番の無念は、SIAM SHADEの解散だったのかもしれない。

「やるか、ライブ。一夜限りだけど、武道館で。新一ISM継承のために」。5人の意見が揃った。


 この地球に永遠に存在するものなど、一つもない。しかし、地球を離れてしまえば、永遠に存在するものがあるのかもしれない。


 もう二度と同じステージに立つ事はない。5年前にそう決めた5人が、その気持ちを越えて再びあの日本武道館に立つ。彼との最大の思い出の地に。


2007年11月18日。


 この日、SIAM SHADEは彼に最高のROCKステージを届けると誓った。そしてそれは、この日でなければならなかった。翌日50歳の誕生日を迎えるはずだった、彼への最大のプレゼントにするために。



文= 神 康幸



SIAM SHADE  LIVE IN BUDOKAN “HEART OF ROCK” パンフレットより抜粋




日付が変わり、本日11月18日。

2年前のこの日、“ロックの聖地”日本武道館にて、俺が駆け出しの頃から憧れ尊敬してやまない、まさに俺にとって神に値する“真のロックバンド”SIAM SHADEがあった。

そして、俺はそれを見に行った。


これがその時のチケットの半券です。

TACASHIの青い夜空の海の追憶-heartofrockticket


今でもあの感動は忘れられない・・・。

俺が高校生の時から、魅了され、憧れ、リスペクトし、ロックバンドの理想の在り方として影響を受け、解散してからも求め続けた物は間違いではなかった。


当日のライブの写真は、このライブにあたっての特設サイトにて今でも見られます。

http://www.amuse.co.jp/siamshade/index.html


今も俺にとって紛れもなく“永遠のバイブル”であるアルバム「SIAM SHADE 5」を聞きながら、このブログを書いている。


本編ラストの「Life」の前のMCで、栄喜さんが「ここにいる人は何があっても生きてください」と言っていた事も忘れられない。

あの日、“6人目のメンバー”として“聖地”日本武道館にいた俺は、今もこうして生きています。


最後に当時、俺の前のサイトの日記に書いた、“真のロックバンド”の伝説の1ページのなった、“ロックの聖地”に相応しいこの感動的なGIGのレポを原文のままコピペします。




-----------------------------


俺が17才の冬、彼らを初めて知り、その楽曲に触れ、気になり始めた。

俺が18才の冬、初めて自分でアルバムを買い、その飛び抜けたサウンドとテクニックに度肝を抜かれ、本格的に彼らにハマり始め、そして彼らが必ずブレイクする事と日本のシーンを変える事を予感した。

俺が19才の冬、見事にその予感は的中し、ますます彼らに魅了され、サウンドやテキニック以上に歌に込められたメッセージやスピリットが心に響き、彼らの“6人目のメンバー”である事に誇りを持った。

俺が21才の秋、念願叶って初めて彼らのライブを体感し、彼らが本物のロックバンドである事を再認識した。

俺が23才の冬、突然の解散発表に驚きながらも信じられずにいた。

その冬が終わり春になり、彼らが“一流のバンドのみがステージに立つ事を許される聖地”としてこだわり続けた日本武道館での解散ライブで、彼らの“終わり”と“始まり”に立ち会った。

俺が24歳の秋、そのバンドのギタリストが、俺がロックに目覚めるきっかけになったバンドのボーカリストのサポートで、そのボーカリストから絶大な評価と信頼を受ける存在としてステージに立ってるのを生で見た。

さらに時は流れ、俺が28歳の夏、彼らの1日限りの再結成ライブが告知され、青春が蘇るプロローグとなった。

そして俺が29歳になってから1ヶ月も経たない今日、5年前と同じ武道館で人よ限りとはいえ、彼らと再会を果たし、感動し熱狂した。

彼らの名前はSIAM SHADE。
10年以上前から今日に至るまで、その言葉、メロディ、テクニック、サウンド、スピリット、男樹、ライブパフォーマンスに惚れこみ、憧れ、求め続けてきたが、俺が求め続けてきた物は間違いではなかった。

今日の一日限りの再結成ライブのきっかけは、彼らを見出しメジャーデビューさせ世に送り出し、彼らの父や兄のように愛し、一流のロックバンドに育て上げ、チーフマネージャーを務めていた中村新一さんが今年の春に亡くなった事やった。
その新一さんの葬儀で5年前の解散ライヴ依頼に5人が一度に再会し、最大の戦友として、唯一無二の新一ISMを継承し、そして最大の餞で送り出すべく、今回の再結成ライブが決まった。


ライブタイトルは“HEART OF ROCK”。
「唯一無二の新一ISMを受け継ぎ、心からロックし続ける」という想いから、タイトリングされた。

俺は解散ライブも見に行っただけに、今回も何としても見に行きたかった。
そして2次抽選でチケットが取れた。
チケットがとれた事で、あの言葉、メロディ、サウンド、テクニック、スピリット、ライブパフォーマンス、そして男樹を、再び“ロックの聖地”武道館で体感できると決まった時から今日が楽しみやった。
そして、待ちに待った今日、ついに一夜限りの復活劇に立ち会った。

普通、ホールクラス以上のライブでは開演前に注意事項のアナウンスが流れるが、今日のライブのアナウンスは元日本放送アナウンサーで、かつて淳士さんとラジオ番組を担当していて、メンバーとも新一さんとも親交のあった人(名前忘れた)が担当した。
普通の注意事項だけでなく、前述したメンバーや新一さんとの関係、自分も今日のライブを楽しみにしている事も説明していた。
そして「開演までの間しばらく座ってお待ちください。もし、開演まで待ち切れない人がいたら、立ってメンバーの名前を呼んだり、暴れたりしてください!」まで言った。
こんなロックな開演前のアナウンスなんて聞いた事ない。
メンバー、ファン、そしてすべてのスタッフにまで新一ISMが受け継がれている事を証明する場面でもあった。

熱いアナウンスが追い風となり、会場のボルテージはさらに高潮。
ステージが暗転するとさらに上昇。
赤い照明に照らされたステージの中央の鉄骨のイントレが吊りあげられ、メンバーが登場し、キメの応酬のテクニカルでハードなイントロと耳をつんざく爆煙とともに「NO CONTROL」で一夜限りのステージは幕を開けた。
曲のエンディングとイントロを間髪入れずスリリングに繋げた「Imagination」。
この2曲はインディーズ時代からの曲。
聖地として崇めていたステージでのオープニングを、まだライブハウスで我武者羅に活動を展開していた頃の曲を2連続で持ってきたあたりに、思い入れを感じた。

新一さんがインディーズだった彼等を見出す前から、これらの曲をすでにライブでやっていて、そして新一さんに見出されたけん、新一さんとの初めての思い出が込められていたのかもしれない。
そのオープニングからの8曲は、「SIAM SHADE Ⅳ ~Zero~」までのアルバムがリリースされた順に各アルバムから2曲ずつ披露された。

3曲目に入る前のMCで栄喜さんが「久しぶりだな。(解散してから)5年経っても、こんなにいっぱい人が集められるバンドになれました。」と挨拶した。
こんなにたくさんの人(13500人を動員)を集められるなんてファンとしても誇りに思えた。
そして「申し遅れました。SIAM SHADEの栄喜と申します。今日はSIAM SHADEのDAITAもいるし、SIAM SHADEの淳士もいるし、SIAM SHADEのNATINもいるし、SIAM SHADEのKAZUMAもいます。」と言った。
この時、あの5人が元SIAM SHADEとしてではなく、SIAM SHADEのメンバーとして同じステージに立っている事を更に強く実感できた。

キャッチーなメジャーデビューシングルの「RAIN」、音源化されたのはメジャーやけどライブではインディーズ時代から演奏されていた「CAN'T FORGET YOU」は俺が初めて買った彼らのアルバム「SIAM SHADE Ⅱ」に収録されているだけに、ファンとしても思い入れが強く、予感をして以来やっと武道館で聴けたという感慨にふけった。

彼らがハードロックバンドである事は周知の上やけど、そのアイデンティティを特に意識してパックしたであろう名作「SIAM SHADE Ⅲ」からは、KAZUMAさんのロボットダンスも披露されたファンキーでエロティックな「Why not?」、ハードな中にもキャッチーでアップテンポな「LOVESICK~You Don't Know~」が演奏された。

実験作でもあり、楽曲ごとのカラーがはっきりしたアルバムでもあり、初めてメンバー全員が原曲作りに参加したアルバムでもあり、そしてブレイクアルバムでもある「SIAM SHADE Ⅳ ~Zero~」からは、「Dear...」と「PASSION」が演奏された。
前者は、まだブレイクする前、売れない事に悩み音楽をやめる事まで考えていた栄喜さんがファンレターに元気づけられ、その返事とお礼の意味を込めた名曲であり、ハードロックバンドである彼らにしてはポップすぎる曲調やけど、人気投票では1位を獲得したメンバーにとってもファンにとっても大切な曲。

後者は、栄喜さんの作詞面での個性の目覚めとなり、同曲はまだブレイクはしてなかったけど有線でのリクエストも多かった。

アルバムリリース順に披露された流れはここで終わり、「SIAM SHADE 5」からの曲ではなく、それを飛び越えた「曇りのち晴れ」、思いっきり遡って「大きな木の下で」のキャッチーな2曲が披露された。
個人的には「SIAM SHADE 5」は俺が彼らでもっとも好きなアルバムなんやけど、どの辺りでどの曲をやるのかと思っていた。

そして、前述したポップでキャッチーな2曲の後に会場が暗転し、インストナンバー「Solomon's seal」へと流れた。
ついにここで「SIAM SHADE 5」からの曲が披露された。
彼らには公式で音源化されているインストの曲が3曲あるが、その中でも俺はこの曲が一番好き。
ハードなサウンド、テクニカルな演奏、プログレッシブで緩急の変化が光る複雑かつドラマティックなアレンジ。
どれをとっても完成度が高い秀逸なこの楽曲に、13000人の誰もが酔いしれた。
淳士さんのドラムソロはこの曲の中に組み込まれたが、定番にもなっていた「ドンドン ドドドン ドドドドン ドドン(ドラムの音) パンパン パパパン パパパパン(観客の拍手) 淳士!!」にもまたこれを生で見れたという感動に浸れた(今回は思ったよりドラムソロが短かったような気がする)。

栄喜さんがステージに戻り、へヴィで硬派な「GET OUT」ではそのサウンドと観客の叫びと振り上げた拳が、武道館の熱気を再び戻す以上に熱くした。
そしてヒットシングルながらもヒットシングル離れしている「NEVER END」は情熱が迸るボーカル、へヴィなサウンド、変拍子のアレンジも去ることながら、炎を宿した矢が何もかを射抜くような情景が浮かギターソロもこの曲のかっこ良さを演出していた。
同じようなテイストの「Shout Out!」はアップテンポな展開にチェンジすると小さな炎の輪が絶えず出る特効、アウトロの同期のピアノ音が激しくかつドラマティックに演出していた。


そして彼らのライブではほぼ毎回演奏されている「PRIDE」、「PRAYER」とアップテンポな曲をならべたが、この2曲のアウトロとイントロを間髪入れず繋げるアレンジは今回も健在やった。
これに懐かしさと感動を覚えた人は俺だけではなかったはず。
現に俺の斜め前で見てた人は、その曲と曲を繋げる所で感動して泣き崩れていた。


その2曲に続いたのは初の武道館ライブの時と同じく「GET A LIFE」。
テクニックも彼らの持ち味やけど、それ以上にテクニックと並ぶ持ち味でもあるハードさをフィーチャーし、それが海外のバンドにも負けてない事を証明するハードロックナンバーだ。
彼らは武道館でライブをやったのは今回3回目やったけど、俺が唯一見に行けなかったのは、その初武道館のみ。
2回目の武道館となった解散ライブの1曲目にこのこの曲を持ってこられた時は(ワンマンでこの曲を1曲目に持ってくることは本来無かった)、ライブに賭ける意気込みとハードロックバンドとしての意地を感じた。
今回の1曲目が「NO CONTROL」やった事にも、似たような物を感じた。

初武道館ではこの流れで本編が終了したけど、今回はまだ1曲を残していた。
その1曲を前に栄喜さんが、新一さんへの想い、自分が新一さんに迷惑をかけてしまった事、そしてSIAM SHADEを解散して5年経っても武道館を満員にできるバンドに育ててくれた感謝の気持ちを語り、その1曲を新一さんに捧げた。
その1曲は、人の一生に於ける死をポジティブに綴った後期のSIAM SHADEの至高の名曲「Life」。
俺は「Graysh Wing」が来るかなとも思ったけど、詞の内容だけでなく、新一さんもこの曲がとても気に入ってたというエピソードもあったから、新一さんに捧げるのに相応しい1曲やったように思う。
今回のライブを目前にDAITAさんが新たに立ち上げたギターブランドの第1号モデルが完成し、そのギターを構えてる姿がDAITAさんのサイトでも公開された。
その鮮やかなブルーのニューギターを見て、そのサウンドに酔いしれるのが今回のライブで楽しみにしていた事の一つやったけど、オープニングから曲をこなしてきても今まで使ってきたトムアンダーソンをメインに使い、サブに今回初登場と思われるフライングVを使うばかりで一向にそのニューギターの出番がやってこなかった。
しかし、ついに「Life」で登場した。
ファンとしては他の曲でも弾かれる事を楽しみにしてたけど、今回のライブで使ったのは新一さんに捧げたその「Life」1曲のみだった事に、新一さんに対する敬意や男樹を感じた(ちなみに葬儀でメンバーを代表して弔辞を読んだのもDAITAさん)。
それだけに今回のライブに於いてこの曲は神聖なる物やったと言える。


1回目のアンコールはヒットシングル2曲を持ってきた。
「俺達の飛び道具です」と紹介された1曲目は、彼らがブレイクするきっかけとなり、アニメのタイアップもありファンならずとも聞いた事のある「1/3の純情な感情」。
この曲は元々はデビューした時からあり、その1年後にリリースされた「SIAM SHADE 3」のコンセプトに合わずボツになりお蔵入りしたけど、後に明石昌夫さんがプロデューサーになった時に、この曲に手ごたえを感じ、テンポを上げたり、アレンジを明るくしたり、曲の構成を変えたりして世に出た曲。
ヒットする事(良い意味で)を視野に入れた明石さんのマジックが施されても、変拍子を用いてSIAM SHADEらしいマニアックさも盛り込まれている。
栄喜さんはデビューが決まってから3年以内にトップ10に入らなければ音楽を辞める決心をしていて、そのタイムリミットぎりぎりでトップ10に入ったのもこの曲やった。
俺もそれより以前から、彼らの楽曲とサウンドに魅了されブレイクを予想していただけに、この曲のヒットは自分のように嬉しかった。
あれから約10年・・・。
本当に時間が経つのは早い・・・。

2曲目は爽快な歌メロとへヴィなグルーヴが同居した「Dreams」。
俺の学生時代の同級生で「1/3の純情な感情」の頃はSIAM SHADEを良いようには言ってなかったけど、「Dreams」の頃になると「SIAM SHADEはいいバンドやなぁ」と見直してた奴がいた。
セールス的には「1/3の純情な感情」には及ばなかったけど、ヒットシングルと呼ばれる曲の中では、それ以上にバンドのポジティブなエネルギーが出てる名曲と言える。

2回目のアンコールは、彼らのライブでは絶対不可欠な怒涛のハードナンバーでラストスパートをかけた。
1曲目は前述した「Dreams」のカップリング曲やった「D.Z.I」はタイトル曲とは好対照かつ、バンド本来の持ち味が色濃くフィーチャーされている。
解散ライブの時は全くの予定外のアンコールで、リハすらしてなかったけど、鳴り止まないアンコールに応え、この曲で1曲だけ寿命を延ばし、SIAM SHADEらしく激しく散っていった。
その激しく散った花が、一夜限りで再び同じステージで咲き誇った。


2曲目は栄喜さんとDAITAさんとNATINさんが高校時代にやってたバンドの頃から原曲が存在し、それをやり続け進化し続けてきた永遠の名曲「Don't Tell Lies」。
SIAM SHADEのメンバー5人、6人目のメンバーであるファン、そして天国の新一さんにとっても外せない名曲でもある。
解散ライブも「D.Z.I」をやらなければ、この曲で締めくくる筈やった。
その解散ライブで栄喜さんが「この曲とも今日でお別れです。出発に相応しいけじめの1曲にしたいと思います。Last Song!「Don't Tell Lies」!」と曲紹介した時は、ついにこの時(解散)が来たのかと切なくもなった事を思い出した。
俺も年やけんヘドバンは控えてたけど、この曲だけは絶対ヘドバンすると決めていた。
そうじゃなきゃ、今日この“ロックの聖地”日本武道館に来た意味が無い!
そしてこの曲で、今度こそ本当に一夜限りの復活にけじめを付けた。

ラストシングルとなった「LOVE」をSEに5人はピックやスティックを投げたり、タオルを投げる振りをして投げなかったり(これは栄喜さん)、花道や最前、バックスタンドのファンの近くまで行って手を振ったりして、ステージを後にした。
メンバーがステージを去った後も「Dear...」がSEで流れ、6人目のメンバーがそれに乗せて大合唱をして本当の最後を締めくくった。

もうあんなに凄いバンドは出てこないし、もうあんなに凄いライブをやるバンドも出てこない・・・そう思えるクオリティ、パワー、熱気、一体感、スピリット、そして奇跡に満ちた素晴しいライブやった。
解散してからも彼等を信じ続けた俺は間違いではなかったと思えた。
彼らの6人目のメンバーであれた事を本当に誇りに思う。
俺は尊敬するアーティストは誰かという質問に対し、真っ先に答えが出るアーティストの一つがSIAM SHADEでもある。
しかし、最近の俺の活動においては、その影響は自分の中にあっても、それを出すべきやのに出せてない気がした。。
SIAM SHADEに影響を受けた事は沢山あるけど、テクニックとかポジティブな歌詞とかとは別のもっと大事な事を出せていなかった。。
今日のライブで、解散して5年経っても武道館をいっぱいに出来るバンドは俺に気付かせてくれた。

栄喜さん、KAZUMAさん、DAITAさん、NATINさん、淳士さん、
気付かせてくれてありがとう。
やっぱりSIAM SHADEは最高にして真のロックバンドです。