きちんと日記を書く時間をとることができた。色々なことが重なったので、ようやく落ち着いた気分だ。



さて、ところで早速だが、このブログのタイトルでもある「椿姫」を読み終えた。

あっさりとは一度読んでいるのだが、しっかりと読んだのは今回がはじめてだ。


マルグリットは賢く、やさしい女だったのだなあと思うのと同時に、デュマ・フィスの挑戦的な様(文章内における彼の語り口からそう感じた)に好感を持った。

時代が時代であったのだろうが、しかし、この作品はたしかに後世に残るだけのものだと思う。

悲劇的であるが美しく、哀しくはあるが強くなれる。

男の弱さが際立つというか、人間の『自分の都合を優先する』部分を、しっかりと描き出しているゆえに、誤魔化さずに読みきり、感想を得ることができた。


マルグリットやアルマンのように翻弄されることは、私のような平民、そしてこの時代には有り得ないことだろう。

しかしもしもこのような事態に陥ってしまった場合どうすべきか、何を考えればよいか、胸に響いた。

造花であるが、ポインセチアを飾ってみた。

吊り下げるタイプの一輪挿しにはよく似合うと思う。正月になったら松でも飾ろうか、と思っている。

そして時期を過ぎたら梅、三月には桜、と飾っていきたい。


部屋をもう少し片付けたら、新しくチェストを置く予定だ。

それもできれば季節で分けて、服を保存しておきたい。


すべてが予定なのが気に食わないが、徐々に実現していけばいいだろう。

生活が何となく優雅になった気がする。

というのも、緩やかに時間を楽しめるようになったから、だとは思うのだが。


部屋は今ものを減らし、発声練習などしようものならば声が壁から跳ね返ってくる。

以前にはなかったその現象が、いかに物質が音を吸い込むのか伝えてきているようだ。


雑誌やテレビといったメディアで様々な方が口にしているが、掃除をすると生活が変わる。生活だけでなく、自分も変わる。

いらないものといるものの区別が以前よりもはっきりつくし、古くからあるものでも今使用していなければ捨てる。整理しきれないものは売るか捨てる。そういうやり方が身についてきた。


何より、シンクや窓を磨いているとき、己と向き合う時間ができる。その時間に様々な怒りや苦しみを思い返してしまったとしても、「今はここをきれいにするべきだ」と思考をやることができたり、「自分のここが悪かった、ここはよかった」という内省にもつなげられる場合が多い。

小説のネタになるようなことは学業の面で得られることが多いが、悩みや苦しみが掃除で発散できるというのは素晴らしい。


但し自分で自分が不憫だと思うのは、ごみの日が決まっているというのに思い立つのは数日はなれた日だということだ。

燃えないごみは明日までに整理をつけなければならないのだが……わたしの気力は何処までもつだろうか。