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ブラジルに渡ったのは、24年前の1991年のこと。22歳でした。

ちなみに生れも育ちも横浜の片田舎です。

当初は、2年ほどブラジル生活を体験しようかなという軽い気持ちだったけど、こっちで結婚してしまったのでそのまま居ついてしまいました。

ちょうど一年前に禁煙をはじめたので、日記代わりに書いていこうと思ったが5日ほどで書かなくなってしまい、気がついたら禁煙も一年経って、書くこともなくなってしまっていた。

そこで、ブラジルの生活について、ブログでも書こうかと思ったけど、24年も住んでいると、ブラジルでの生活に新鮮味がまったく感じられず、新しいものが見つけられなくて、どうしようかとも思いますが、取りあえず、始めてみます。

ブラジルに来た当初は、空気の匂いや走っている車、行き交う人々、飛び交う言語の違いなど、見るもの聞くもの何でも珍しく、当時、ブログがあれば、きっと毎日更新する勢いだったに違いない。

実際、ブラジルに着いた時、エタノール車ばかりだったので、町中、アルコールの匂いが充満していてびっくりした。

当然、インターネットもなく、日本との連絡手段はもっぱら電話か手紙。

国際電話はバカ高いので、よく手紙などを書いて友人とやり取りをしたのも懐かしい思い出。今ではすっかり手紙など書かなくなってしまいましたが。ヘ(゚∀゚*)ノ

ブラジルは今でこそBricsなどと呼ばれているが、20年以上前にはハイパーインフレなど経済もガタガタな状態だった。(今も経済はやばい状態になっているけど...)

90年には当時のコーロル大統領が銀行口座の凍結など、暴挙に出たとのことで社会は荒れに荒れていた。

91年、ブラジルに来た時もまだインフレは続いていた。

当時のインフレとはどういうものかというと、朝と夜で値段が違うこともあったりする。小銭(硬貨)はあってもまさに一銭の価値もないので使う人は誰一人いなかった。
数か月で新しい紙幣が発行され、古い紙幣はどんどん価値がなくなるので、早く取り替えなければならない。

今では、すっかり忘れてしまって、実感しにくいけど、当初は、慣れるのに苦労した覚えがある。
なんせ、給料をもらった日から一か月後には給料の価値が半分くらいになったりするのだから、生活費のやり繰りが大変だった。
私が来てからでも、クルゼイロ、クルゼイロレアル、レアルとデノミによって3回代わっている。

けど、日用品などの物価も安かったし、毎日が楽しかった気がするのは、若さゆえであろうか?
毎日、飲んで、遊んでいたような気がしないでもない。(-_-;)

まあ、そんなブラジル(特にサンパウロ)の現状の一端を、紹介できればと思う。

あまり斬新なものはないけど、気が付いたら更新していきたいと思います。(*^▽^*)
Metro Linha 1 Azul
上の写真はサンパウロ市内の南北に走る地下鉄ブルーライン1号線(Metrô Linha1 Azul)