めちゃイケが終わる。
というニュースを聞いたのはパラオ旅行中のこと。
思わず声を上げた。
めちゃイケとわたしの出会いは、小学校5年生のとき。
林間学校の時、誰かがつけたテレビに映っていたのがめちゃイケ。
スタンプのコーナーを見て、なんやこれ、でもおもしろそう、と思った。
で、次の週、めちゃイケを見て、それから毎週見ていた。
YouTubeとかない時代だから、見逃したら最後。もう見れない。
小学生の時はだいたい家にいて、中学生になってからは家にいないときはビデオ録画していた。
小6のとき、小学校で尊敬する人を書くのがあって、わたしは「ナインティナイン岡村隆史」と書いた。
オファーシリーズを見て、なんてすごい人なんだと思ったから。
尊敬する人を書いた紙は、後日全員分が教室の後ろに貼り出された。
無難なのは両親で、あとは歴史上の人物を描いている人もいたけど、いわゆる「芸能人」を書いている人はわたしだけだった。
今思うと、このころからわたしはちょっと変わっていたのかもしれない。本人全然いたって普通のつもりなんだけど。
中学時代は、めちゃイケとは違うルートで知った、雨上がり決死隊の宮迫さんに大ハマり。
宮迫さんの出ている番組は全部チェックして、ビデオに編集していた。ほんの一瞬でも。
宮迫さんはめちゃイケのトイストーリーパロディのコーナー「オカッチ・ミヤッチ」にでていた。もちろんそれもチェック。
当時、めちゃイケのHPで人気キャラ投票があり、わたしは宮迫さん演じるミヤッチに投票しまくった。
そして大学生になり、めちゃイケファンの友達ができた。
めちゃイケの話をしてたくさん笑った。
思い返すと、その時一番話題に出ていたのは、山さん。
誰が一番おもしろいか決める選手権で、腹毛を食べていた山さん。
スモウライダーと、ちっちゃいスモウライダー。
4年に1度、オリンピックとともにやってくる、油谷さん。
めちゃイケが来春終わるとなると…油谷さんは間に合わないのかな。
そして大学生になり、いつしかめちゃイケをたまにしか見なくなった。
面白くなくなったとか、そういうわけじゃなくて、単純に時間が無くなったから。
他のことに時間を割くようになった。
そしてわたしは社会人になったわけだが、相変わらず、たまにしかめちゃイケを見ていなかった。
そんなとき、岡村さんが休養することを知る。
このころはまだ旅猿も始まっていなかったし、わたしはラジオも聞いていなかったから、「ファンです」と言える立場ではないように思えたけど、それでもやっぱり尊敬する人には変わりない。
ただただ心配だった。
少しお休みして、一瞬復帰というか、めちゃイケに出たとき。
お台場冒険王について紹介していた週で、お休みしている岡村さんの代わりをキングコング梶原さんがやっていたとき。
一瞬だけ出てきた岡村さんが、そりゃメイク込み、ボケ込みだろうけど、とても疲れているように見えて心配だった。
「いつまで」という期間がついていないことが何より不安だった。
期間をつけられるようなものじゃないということはわかっていたけれど。
テレビから岡村さんがいなくなること。
もしかしたらもう戻ってこないかもしれないこと。
本当のファンであれば、岡村さんの幸せを一番に願うべきだろうけど、わたしはまだまだテレビで岡村さんを見たかったし、本当に勝手だけど、早く戻ってきてほしいなあと思っていた。
そしてめちゃイケオーディションを受けた。
このとき、まだYouTube、インスタ、Twitterはまだなくて、いやもしかしたらあったかもしれないけどわたしはやっていなかったから、情報はmixiとか2ちゃんねるでチェック。
わたしは大阪会場で受けるので、先に行われた会場の情報を調べまくった。
とりあえずめちゃくちゃ並ぶらしいからと、始発で向かった。
すでに何組か並んでいたけど、なんというか…変な人ばっかりだった。笑
後でわかったことだけど、芸人やっている人も並んでいたみたいで、そうかだから変な格好(コントの衣装かなにか)だったのか、と理解。
わたしは見た目こそ、「職業は一般的な会社員」だが、中身はたぶんちょっと変なので、やっぱりあそこに並んでいた人は変な人ばかり。
だけどきっと、だれもがめちゃイケを愛していた。
オーディションはまず〇×クイズがあって、それに何問か正解してある程度人数が減らされた中に残らないと、めちゃイケメンバーによる面接に進めないと知り、大変焦った。
めちゃイケ大百科事典を持参していたけれど、そこには載っていない問題ばかりだった。
受験よりも何よりも、わたしの人生において一番命を懸けた試験はこの〇×クイズだ。
何問目かで間違えてしまって、ショックすぎて放心状態だったけど、間違えた人が多かったからもう一回やり直しとなり、命拾い。
そしてわたしはめちゃイケメンバーとの面接に進んだ。
長くなるから、面接のことは割愛するけど、結果は…ダメだった。
でも面接の後、呼び止められて、インタビュー撮ってもらって。
それは放送されなかったけれど、放送の中で面接中のわたしが一瞬映った。
そして旅猿が始まり、岡村さんが復帰。
その数年後、わたしの「旅猿69」としての人生が始まる。
めちゃイケを見て、岡村さんは不可能を可能にするスーパースターなんだと思っていたあの頃。
大人になって、岡村さんはスーパースターではなくて、あれは努力の上に成り立っていたんだと気が付いた。
産まれたらいつか死ぬように、始まりがあれば終わりがある。
めちゃイケが終わること、悲しいけれど、終わらないで!という気持ちともちょっと違う。
寂しいけれど、成るようにしかならないというか、もう決まってしまった以上仕方がないし、それならば残されためちゃイケでたくさん笑いたいし、最終回に向けてのプロジェクトが視聴者も参加できるものならば絶対に参加したい。
来週以降のめちゃイケに期待。