ストーリーその2(再度の渡米-留学)
なんだかんだ言って、またアメリカに戻ってきました。
前回の十代の留学は親の資金で、ホテルに滞在したりして、金銭的にもゆとりのある楽しい留学でした。
今回は親の反対もあり、自費の留学です。
渡航先は前回の留学と同じ町。その方が慣れているから安全です。
4年生の州立大学はコミュニティカレッジより学費が2倍するので、節約の為、基礎のクラスは全て先にコミュニティカレッジで単位を取り、上のクラスは4年生の大学出取ろうと決めました。
前回のブログで触れましたが、私はこの時点までは、勉強を一生懸命やったことがなかったので、今回の留学で生まれて初めて自分の力を出し切って、どこまで出来るか試してみようと決心していました。自分に対するチャレンジです。
実は、小学一年生の時に高熱で失った不思議な能力の他にほんの些細なものですが、生まれつき、多少記憶力がよかったのです。記憶といっても、人の言ったことを覚えるのはむしろ苦手ですが、見た映像はカメラに撮るように記憶し易いのです(フォトグラフィックメモリーとか言いますが)。ですから、教科書を丸暗記することも普通の人よりは多少ですが得意だったと思います。(後で話しますが、このわずかな記憶の能力も、のちのある出来事で失ってしまいます。涙。。。
)
コミュニティカレッジは毎日が夢の様でした。
いろんなことにチャレンジしました。
昔から得意な芸術も。
専攻は昔から興味のあった心理学。
今でも忘れられないあるエピソードが一つあります。
Biopsychologyという少し上級のクラスを取った時です。授業の中身は脳の神経系がどの様に心理とかかわってるか、とかまあ、どちらかというと医学的なクラスです。留学生は私一人で、殆ど医療系の仕事についている方たちが受講しています。
運が悪いことに、このクラスを教えていた教授が、下ネタが得意で授業の殆どが下ネタでした。
そして授業の終わりに、「はい、次回までにテキストの57~147ページまで覚えてくるように」と過酷にも沢山の課題を平然と毎回だしました。
ある日、何時ものように、私は正面の最前列の席を確保して(良く聞こえるように)座っていました。そしていつも通り、教授が私が理解不可能な下ネタを永遠に話して、授業は終わりました。勿論皆大笑いしてましたが、私だけ、何の反応もせず、ポカーンときいてました。
最前列の正面に座っていて、教授の目の前だったので、私のこの無反応に教授は不安になり、その日、授業の後、彼のオフィスに私を呼びました。
40歳くらいの気さくな男性教授でした。
私がオフィスに入ると直ぐに彼は、このクラスを落としなさい、と私に言いました。
君は私の言っていることも理解できていない(いや、下ネタばっかなんだけどね~
)のに、高度なBiopsychologyが解るわけないだろう?と、私を説得し始めました。
悪いことは言わない、今落とせば、君の成績に「F」は付かないんだよ、と。
ごもっともです。。。![]()
実は英語は得意でしたが、これも不思議なことに、医療関係や心理関係の英語が良く理解できたのです。でも、英語の俗語(ブロークンイングリッシュとよく言われますが)はとっても苦手で教授が冗談を言っても殆どわかりませんでした。(笑)
私は、教授に何も説明せず、考えておきます、とだけ言って、オフィスを後にしました。
確かに受講者は殆ど医療関係者ばかりで留学生は私だけ。なんだか場違いなクラスにきちゃったのかなあ、とも思いました。
確かに難しい内容のクラスでしたが、一応なんとか理解はしてましたので、受講を続ける決心をしました。
そしてミッドターム(中間試験のようなもの)の日。教授は、ああ、あれほど言ったのに、どうなっても知らないよ、という顔で私を見てます。重苦しい雰囲気の中で試験が始まりました。
大抵のクラスは選択肢の問題が殆どですが、この教授はかなりの曲者で、なんと全て長い文章で説明して回答するものばかりが10問くらいだったと思います。そしてしかも、英語のスペルを間違えると一点引く、という意地の悪いルールもあります。
テスト用紙が配られると、クラスルームに皆の悲鳴が響きます。こんなの全部覚えてるわけないだろ!ーと。
苦労しましたが、何とか全問回答して、提出。
なぜか、私が一番早く終えて提出して、クラスルームを出ました。。。のでとっても不安になりました。もっと長く回答するべきだったのかなーと。Fになっちゃうかなーと。
翌週、テストの結果が出ました。
教授がトップのスコア、平均点等を黒板に書き説明しました。どうやら、トップは100点中98点で、次が81点、3番目は68点で平均は45点位とのことです。
やっぱり医療関係者が多いからこんなテストでも98点なんて取れる人いるんだなーと思いました。
私の回答用紙が返ってきました。
そこにはなぜか98点とかいてあり、全問正解で、2点はスペルミスで引かれていました。
どちらかというとショックでした。心臓が止まるかと思いました。
嬉しいという気持ちはなく、
その後ぼーっとしていました。
どうやら私のフォトグラフィックメモリーが役立ったようです。。。
ただ、教授がとてもにこやかな顔で私を見てました。
その後、教授とはとてもいい信頼関係を築きました。彼は大学で学部長のような地位を持っていて、毎学期全校で1名のみ学費を免除する権限を持っているのですが、その学期は私が選ばれました。
その教授から心理学のクラスを全て学び、彼の期待に応えようと、ほぼ全てのテストで最高点を維持していました。
色んな難もありましたが、本当にラッキーでした。
芸術のクラスもエンジョイしました。
ほんの片手間で取っていたクラスでしたが、コンテストで数点も入選。
又、全科目Aを取ると学費免除になるので、毎回学費は大抵ただでした。本当に一生懸命勉強しました。
気さくな彼氏もできて、一緒にNYや、ヨーロッパに旅行に行ったり。。。
何をやっても楽しく、全てうまくいきました。
そうそう、住むところですが、以前十代の時、実はほんの短期間ですが、日系人宅でホームステイをしていました。とても手ごろな値段と、安全性と交通の便を考えて、予め滞在できるようにそこにお願いしておきました。
50代のおばさんと、70代のおばあさんの二人暮らしのご家庭で、一階を留学生に貸してくれていました。気さくでいい方々でした。![]()
前回の留学でリベラルアーツ等のクラス全般は殆どトランスファー出来たので、上の専門のクラスを取るため、直ぐに学費が2倍掛かる4年生へと編入することになりました。
慣れ親しんだキャンパスを後にすることとなりました。(続く。。。。)
