スローライフ・スリムライフ・エコライフ

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現役時代、仕事の合間に日本百名山完登と国内鉄道完乗を達成。定年退職後の今はのんびり山歩きと音楽と読書と街ブラ。

 

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50歳を過ぎてから油彩を始め15年程が経ちました。年に1作のペースで描いています。

昨年中に完成させたかった昨年の作品は完成しないまま年越ししました。

いくら修正しても満足できないので、一旦未完成のまま壁に飾ることにしました。邪魔なので。

50号なので普通の部屋に飾るには大き過ぎるのですが自分の部屋以外に飾るところはありません。

昭和45年頃の伯備線を思い出しながら描きました。

 

中国地方には味わいの異なる陰陽連絡の鉄道が沢山あります。

1970年代のそれら陰陽連絡の線路には多くのディーゼル急行列車が走っていました。

高速道路の整備や新幹線開通に伴う変化が著しい線区です。

新幹線が岡山まで開通した1972年の春まで伯備線にはD51とC58のSLが走っていました。D51は主に貨物列車を、C58は客車列車を牽いていました。

布原は現在「駅」に昇格されましたが当時は「信号場」でした。ただし、当時の信号場の多くは周辺住民のために客扱いをしていました。布原もそのような信号場でした。D51三重連は足立から新見までの短い区間を走りました。荷物は足立で採掘される石灰岩でした。実は先頭のD51は新見機関区までの回送なので三重連にならない日もありました。この三重連が走った後に新見から米子に向けて後ろ補機の貨物列車が走りましたが私はその方が力強く協力しあう感じがして好きでした。

 

1972年春に新幹線が岡山まで開通し、伯備線は食堂車連結の10両編成の「L特急」が走る大動脈に急変しました。SLは廃止されました。その後電化され振り子式電車が1時間に1本走り夜行寝台特急も走る線区になり今に至っていますが、安価な高速バスに押され伯備線の特急利用客は減少しているようです。

 

伯備線を走る特急列車に乗って終点出雲市駅の手前の宍道駅で下車し細々としたローカル線に乗り換えてみます。木次線です。中国山地の真っただ中にある芸備線との接続駅備後落合駅まで結びます。途中に松本清張の小説「砂の器」に出てくる亀嵩駅やスイッチバック駅の出雲坂根駅、中国地方の標高最高駅の三井野原などがあります。終点の備中落合駅は今は無人駅ですがかつては急行列車が分割や併結作業を行なう活気ある駅でホームには立食い蕎麦のお店もありました。「おでん入り蕎麦」は人気がありました。芸備線に乗り換えて三次駅で途中下車します。当時全線開業して間もない三江線に乗り換えます。江川に沿って川沿いを走るローカル線です。江津側と三次側の盲腸線が繋がってやっと全線開通となったのは1970年代に入ってでした。それに合わせて福山と江津を結ぶ急行の誕生を作家宮脇俊三氏は想像していましたがかないませんでした。それどころか陰陽連絡線の中で最初に廃線になってしまいました。
「次」の読み方「すき」にご注目ください。

「次」の読み方「よし」にご注目ください。

「次」の読み方「つぎ」にご注目ください。

八次は三次の隣の駅です。三次は難読駅として知られています。

木次線や福塩線の塩町~府中、芸備線の庄原~備中神代、姫新線の新見~中国勝山、因美線の東津山~智頭は地元の人には失礼かもしれませんが正直なところ存続しているのが不思議なくらい利用者が少ない線区でいつ廃線が話題になるか分かりません。

中国地方の内陸部は一般の人が貴重な休日に観光で出かけるような地域ではなく、私もたまに「乗り鉄」しに行きますが乗客の半分以上が鉄道マニアです。私も含めて。存続の意義は考えさせられます。でも廃止が決まると世間は大騒ぎします。ブルートレインも末期は空気を運んでいましたが廃止前は切符を取るのが大変でした。今も伯備線を走る「サンライズ出雲」もガラガラだった時期がありました。利用者がいなければ廃止されるのは仕方ないのです。ちなみに「北斗星」の食堂車でディナータイムに私一人のこともありました。北斗星が新しい車両に更新されず廃止に至ったのは新幹線の邪魔になったからだけではないように思います。

 

日本では利用者人数や営業係数が廃線の理由になります。維持継続のためのハードルは高いのですが、世界を見渡すと一日1本しか走らない鉄道で存続している鉄道は少なくありません。ニュージーランドには世界最南端の鉄道(クライストチャーチ~インバーカーギル)がありました。客車列車が一日一往復だけです。かつてはインバーカーギルからさらに南へ貨物線がありましたがすでに貨物列車は廃止されていました。私が乗った時はディーゼル機関車が荷物車1両と客車3両を牽いていましたが。最南端の駅のインバーカーギル(ちなみに現地の発音はインバーカーゴ)を朝出発するときは乗客は数人でした。その鉄道はとうとう廃止されてしまいましたがニュージーランドの列車運転密度は人口密度同様に小さいのによく存続できるなと思いました。鉄道という社会資本に対する価値観が日本とは異なるのでしょう。と思いました。稚内や根室への鉄道の存在意義も単に営業係数だけで判断すべきではないと思いますがいかがでしょうか。

 

ヨーロッパではCO2排出の少ない鉄道が見直され、飛行機やマイカーを止めて鉄道を利用することが美徳になりつつあるようです。私たちもそのような大人の価値観を持ちたいものです。少なくとも私のような急ぐ必要の無い年金生活者くらいはのんびり鉄道で旅行し、車販ワゴンが通りかかったら何でもいいから何か買い、駅前大衆食堂で土地の人と一緒に食事し、駅前から路線バスにのって温泉に行き、質素な旅館に泊まりませんか? まあ、そんな意見に反論する人がいるのも承知です。