ネパール 地震。 カトマンズに向かう飛行機の中だった | もしも会計士が財務諸表から離れて世界一周をしたら&その後

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仕事をやめて、世界一周の旅に出たときの記録と、その後の旅行の中で日々感じたことをつづってゆきます。
たまに旅人お役立ち情報があったり、なかったり。

«4/25/2015»«バンコク~ネパール カトマンズ付近~マレーシア クアラルンプール»«28日»


ネパールで大きな地震がありましたね・・・。

更新がたまってしまっていますが、気持ちの薄れないうちにあの日のことを先に書いておこうと思います。

私は被災していません。長く、そして些細なことばかりですがご了承ください。



*****


25日、私は早朝7時の便でバンコクからクアラルンプール乗り換えでネパール カトマンズに行くことになってた。

ネパールでは友達と合流する約束だったし、トレッキングが楽しみすぎて

それはそれはうきうきだった。


うきうきしすぎて、24日の夜はほとんど寝れなかった。

4時に起きて、5時にタクシーでドンムアン空港に向かった。


空港近くの宿に泊まったことで、タクシー代と宿代で950バーツ(3,500円くらい)使ってるけど、

カオサンで安宿泊まってタクシー朝拾った方が安上がりだったんだろうな、

とか考えてもしょうがいないこと考えながらタクシー乗ってた。


空港がびっくりするぐらい混んでた。

中国人が信じられないくらいたくさんいた。

よく考えたら海外の空港で1人で荷物預けるのはじめてだから

もっと早く空港来ればよかったよねって、ここで焦りだした。

荷物預けるカウンターでちょうど私の前に並んでた中国人団体が重量超えなのかスーツケースの中身詰め替えはじめて、まったく進まずいよいよ焦った。


焦っただけで、結局何事もなく飛行機には間に合った。

焦りと寝不足でとにかく眠かったから、飛行機で座った瞬間に寝て、クアラルンプール到着と同時に起きた。


クアラルンプール空港のきれいで近代的な雰囲気と

待合室のインド系の顔立ちの人の多さがなんとなく不調和な気がして

あら何その考え失礼じゃない?って半分寝ながら考えてた。


カトマンズ行の飛行機も座った瞬間に寝た。いつ飛び立ったのか、覚えてない。

途中、何かざわざわした雰囲気とアナウンスを耳が拾ったけど、気にとめず寝続けた。


何か違和感があって目が覚めて、時計を見ると到着時刻の14時を過ぎてた。

時差のせいかな?時計合わせたつもりだったけど、まだなのかな?って不思議に思いながら

馬鹿みたいにまた寝た。

なんであんなに眠かったのか謎で仕方ない。


周りの雰囲気がどうにも気持ち悪くて、すぐに目が覚めた。

あちこちで乗客が席から立って井戸端会議してて、これは何かあったんだなって

ようやく脳が認識した。


隣の人に聞いても、その人も状況がよくわかってないみたいだった。

その後井戸端会議マレーシアンから、かなり大きい地震が着陸の小一時間前にあったこと、

飛行機がクアラルンプールに引き返している途中であること、ペナン島に一時着陸したあとで、

クアラルンプールに戻ることを教えてもらった。


これは両親が確実に心配してるな、、と思ってかなりやきもきした。

ペナン島に着陸したものの、wifiが拾えず、何の役にも立たないスマホ握ってるときが一番やきもきした。

乗客はペナン到着と同時にスマホスイッチオンして電話かけてた。アナウンス完全無視。

この時、たしか夜の7時くらいだったと思う。


超やきもきしながら、回りの人と話をしていたら、

人の好さそうなおじさんが、空っぽだったsimにチャージをしてくれて、私に渡してくれた。

なのだけれども、設定が悪いのかネットにつながらず、さらに募るやきもき。

おじさん私のケータイの設定を試みるも、やっぱりネットつながらず。

おじさんは結局自分のケータイを貸してくれた。

おじさんはネパール人で連絡とりたい人だらけだろうに、、、、

私も相当やきもきしていたので、ありがたくケータイを拝借した。


のだけれども、ケータイを貸してもらってものの数分後、飛行機は出発準備が完了してしまい、

あえなく連絡タイムは終了した。


家族あてにすごくセンスない文章で、無事である旨だけメールした。


ちなみにLCCだったので、機内では食事飲み物のサービスはなかった。

クアラルプール11時に出てから、21時に戻ってくるまで飲まず食わずなのが

疲労感を増徴させた気がする。


*****


飛行機がクアラルンプールに21時頃到着すると、待合室でネパール人とそれ以外にわけられた。

払い戻しはないこと、宿の手配はないこと、チケットの再手配は各自でカウンターですること、


の説明があったがあったそうなのだけど、人のざわめきで何も聞こえず後から乗客に教えてもらった。


航空会社からの話今日何も聞けてないわ。




人の流れに乗って、カウンターに着くと、思ったより列は短かった。

ネパール行けないなら、友達とどこで合流しよう。

候補だったスリランカがいいかな、とか今にして思うと検討違いでしかないことを考えながら、

カウンターに並んでた。


近くに並んだフランス人の女の人が、カトマンズが壊滅的な被害にあっていて、700人(その時の情報で)も亡くなってることを教えてくれた。


荷物を受け取ったり、チケットの再手配の仕方をスタッフに聞いたりしていたら

夜の一時近くになってた。


信じられないくらい時間がたつのが早く、同時に信じられないくらいことの進みが遅かった。

新しい情報を耳にしても、まったく脳が処理できてなかった。


空港で会うネパール人は異常に明るかった。

カトマンズはやばいけど、ポカラは大丈夫って友達が言ってるよ、

明日一緒に飛行機でカトマンズ行こうよ、案内するよ俺☆ってニコニコしながら言ってくる。

同時に倒壊した建物とか地割れのFB投稿写真を見せてくれる。

カトマンズで見ようと思ってた寺が砂山になってた。

フライトやめたり、悲しんだり、それが何になるの?って逆に聞かれた。

国民性の違いが衝撃的すぎて、完全に消化不良で胃がぐるぐるした。




カーペットの上でたくさん人が寝てるエリアを発見して、何のためらいもなくレインコート敷いて横になった。

ほぼ半日寝てたはずなのに、疲れ切ってた。

餞別に同期にもらった音楽が心強くて、お守り代わりに聞きながら眠った。


長い1日だった。