あっという間に、能登地震から1ヶ月が過ぎました

 

私の故郷が壊滅的被害を受けました

 

まさに元旦で、一年に一回しか使用しない輪島塗のお重におせちを詰め、お正月を過ごしていたその時です

 

 

 

 

 

 

 

刻々と入る能登地方の被害の大きさに言葉も出ず、ただただ涙が流れるだけでした

 

私の両親はすでに他界していて実家もすでに処分をしていたのですが、親戚や友人がたくさんいて、安否確認をすぐにでもしたいのはやまやまでしたが、過去の災害からの教訓ですぐに連絡を取る事はせずに、数日間は間接的になんとか安否確認が出来ないかと娘達にも頼んでSNSを駆使して、安否確認が出来ました

 

最近はSNSの問題点が多々あり、巷では色々言われていますし、私も色々と思うところがあったのですが、今回の地震を通して、個人的には全く知らない人からの情報発信により、回り回って私の友人達の安否確認ができ、使い方次第で本当に便利なものだと改めて感じました

 

テレビ報道は、ほとんど同じ地区ばかり放送していたりするので、メディアに取り上げられない地区に関しては個人の情報発信が、とても有り難いものでした

 

避難所では救援物資があっても、自宅避難している人にはなかなか物資配給の情報がわからなかったり(年配の方はネットを殆ど使わない)

 

そんな時にインスタ等で発信している情報を見て、関西在住の友人は電話で実家に今日はここでこんな炊き出しがあるよって毎日連絡をしていました。こんな時はSNSの情報発信は本当にありがたいなって思います

 

 

私は地震から何週間もなかなか寝付けず、ご飯を食べらがら、あったかい布団に入りながら、みんなは寒いところで大変な思いをしているのに何も出来ず、ぬくぬくと過ごしている自分が許せず、ちょっとしたことで涙が出て、気分が不安定な日が続いていました。

 

もともと、1月の後半に金沢に行く予定で昨年の11月頃から飛行機やホテルを予約していたのですが、こんな時期に金沢に行くのは(能登にはまだ行けない状況)いかがかと思い、キャンセルしようかどうか?と迷っていました。

 

そんな時に火災で大変な被害があった近くに住んでいた友人とやっとラインで連絡ができ、家族の病気のこともあり金沢に一時的に住むことにしたとのことでした。それを知り、もしかして金沢で会えるかと思い金沢行きを決めました。

 

結果、会えなかったのですが、何か困っていることはないかと聞いたところ、家の中が大変で、地震以来同じ服を毎日着ているとのことだったので、急いで洋服を上下で何日ぶんか買いに走り送りました

 

水が出ないことは、生活する上において大変なことだと勿論わかっていますが、着替えもできず、洗濯も勿論できるわけがなく、何週間も同じ服や下着で過ごすことの過酷さに初めて切実に感じました

 

金沢に行ってみると確かに観光客が少なく、お店の人と話しをしても、石川県のためにも是非観光に来て欲しいとのことでした

 

私の別の友人は、自宅が一時避難所になっていて忙しく過ごしていたようですが、彼女の自宅に避難していた人達が二時避難所に移動した後も、電気・水道もまだ来ない自宅で頑張っています

 

私としては、身体に気をつけ普通に生活ができるようになるまで、無理をしないで過ごしてくれたらなって祈るばかりです

 

是非是非、長く石川県を応援してくださいね。よろしくお願いします🙇

 

金沢に行く飛行機の中で見た富士山

 

これから、皆にきっと良いことがあると希望が持てる景色です

 

雪の兼六園

 

池の半分に氷が張っていました

 

最後にもう一度、『石川県をどうぞよろしくお願いします』ね