俺の顔も日焼けで真っ黒!
アフリカのイメージ
それは貧困・飢餓・治安の悪さといった、ネガティブな面が自分の中では強い。 風景は、何処までも続く砂漠だったり、ジャングル・サバンナ・ライオンといった、野生の王国という位しか想像できない。 人は、明るい衣装を纏った民族が沢山いる、都市部には獣がいるって感じかな。
実際はドウなんだろう?
以下、超自分の主観で。
スーダン
アラブ系の顔つきの人が多く、アラビア語が通じる、モスクも多いし、アフリカでは無く、中東のような感じ。砂漠越えは、実にキツかった。耳の中まで真っ黒になる位の埃まみれになる。人が良い・人が良いとガイドブックに書かれていたので、そうなのかなーと思っていたけど、そこまで良い人といった感じはしなかった。ただし、ボッタクリもなし。美人少ない。治安も良し!?
スーダン人の一言。
S男「お前らは、なぜ23にもなって結婚して子供を作らない?」
J男「んー、まだやりたいこともあるし。S男は、どうして早くに(確か17歳の時)結婚するの?」
S男「死んだら、何も残らないからさ。」
エチオピア
いよいよ黒い。ただし、エチオピア人いわく、まだ白い(チョコレート色だ!と言ってた)←そうか?黒いぞ。道は、スーダンに比べると200億倍まし。英語が結構通じる。人の面白さは、今のところロシアについで2番目、笑顔がマジで眩しい。ただし、真っ暗になると闇にまぎれる。美人多い!治安はまだ分かりません。
エチオピア人の一言。
超兄貴「お前らは、アメリカ嫌いだろ?そうだろ?」
J男「。。。兄貴はアメリカのこと嫌いなんか?」
超兄貴「もちろん、アメリカ・ファックだ。日本人はみんなアメリカ・ファックなんだろ?」
J男「兄貴は、どうして日本人がそう思っていると思うの?」
超兄貴「日本は昔アメリカと戦争したろ?原爆落とされたろ?人が沢山殺されたろ?日本人はアメリカのこと嫌いに決まってるじゃないか。」
ちなみに、スーダンに入ってからスプーンは出てきません。手、オンリーです。
以上
NHKに砂漠越え(スーダン)の事、載せときました。
それと、1月29日(日)18時半位から、NHK第一放送でラジオ出演があります、良かったら聞いてください。自分の緊張しまくった声が聞こえます。。。
明日から、一泊二日でアジスに向かいます。
したっけ、そいうことで。
エジプトで正月を過ごしても、、、
と、意味も無い事を書いてしまうくらい、カイロの正月は何もないです。さすが、イスラム暦。
そうそう、実は1月1日17:30~50分位の間で、私がNHK第一放送に出たりしちゃいます。日本に居る方(海外でも短波で聞けますが)で正月の貴重な時間を割いてまで聞いてくれる方がいれば、自分も嬉しいっス。
今年の俺はキリッと行くぜ!
そして、2006年みんな気張っていこーぜ!
実は原稿書きで、それどころではない
武田 狂平 でした。
友達
死因は確か白血病。
奴は、高2の時から入院し学校に来れなくなった。
そして、高5の時に死んだ。
自分は、寮に住んでいた。見舞いに行った事は無かった。
同じクラスの奴で、見舞いに行ったという話は聞いた事が無かった。奴は明るく、かっこよくて、同期の中でとても人気のある奴だった。
その奴が死んだとき、正直何も感じなかった。それは、そんなに話した事が無かったとか、接点が少なかったと言う問題じゃない。
現実感が無かった。
同い年で、誕生日も近く、同じような趣味も持っていた奴は、本当にある日突然「死んだ」と友達から聞いた。
「そうなんだ。」
葬式には、自分以外のクラス全員が参加した。なぜか、自分はその葬式には参加したく無かった。
どうしてだろう?
今でも自分の行動が良く分からない。自分の中では、一つの結論があるのだけれど、それにも納得ができない。
でも、その日に自分が何をしていたかは良く覚えている。それは、書けないんだけれども。
日本食 IN ルクソール
地球の歩き方によると、値段も手ごろだし、今泊まっているホテルの屋上に在るというので、立地状況も最高!
これで、行かない人はいないっしょ!
んで、行ってみた。
メニューを見るとソコには、日本語で「おじや」「照り焼き丼」「チキンカレー」と、懐かしい名前が並んでいた。
鼓動は高まる。
なおとは、ここのお勧めメニューらしい「親子丼」3ポンド (1ポンド=20円位)
自分は、「照り焼き丼」6ポンド
そして、朝飯抜きということで、「チキンカレー」8ポンドも頼んだ。
ファースト・インプレッション、、、美味しそう。
「照り焼き丼」 何が照り焼きにされているのか、判らなかったけど旨かった。
「チキンカレー」 どのへんがカレーなのか判らなかったけど、そこそこ美味しかった。
「親子丼」何の親子か判らなかったけど、心の底からその親子を憎める不思議な味だった。
明日は、どんな麺が使われているか判らないけれど、スパゲッティーを食べてみよう。
黒い自由
青い海・白い雲・黄色い熱帯魚・エメラルドグリーンの珊瑚礁・灰色の岩だらけのビーチ・黒い額のムスリム・金髪の欧米人・そして、赤茶色の肌のなおとと俺!
自由!
そう自分は今、きっと自由だ。
贅沢できるほどのお金は無いけれど「行こう!」と思えば世界の何処にだっていけるし、時間も嫌になるほどある、やりたい事だって沢山あるし、「旅」も自分にとっては、一つの重要な「やりたい事」だ。
。。。
そして、
いつか、自分の生涯の夢がかなったなら、次は黒い自由と一緒に旅をしよう。
「今」この時代この場所で、自分が生きているって事は、夢じゃないのだから。
宗教について書いてみたり
日本にいる時は、宗教なんて持ってる奴の気が知れないと、思ってたし。キリスト教、イスラム教、仏教とか世界中に広められいる宗教がどういった物なのかさえも知らなかった。
中東に入る前は、イスラム圏=めちゃデンジャー、イスラム教=右手にコーラン、左手に剣(だっけ?)の鬼宗教だと思っていた。
が、旅先でムスリム達と話したり、イスラム教や宗教についての本を読んで見ると、意外というかなんというか、宗教の戒律とか教えというのは、とても理にかなっていると感じた。イスラム教に限っていえば、教えの全てを誠実に実行出来ていれば、豊かな生活(精神的に)ができるだろうし、良い社会を作れるとも思えた。
ただ、宗教の弱点と個人的に嫌いなところは、教えや過去の話に神秘的なものを混ぜるのと、進化しないという点だ。中でもキリスト教が酷い、キリストが死んだ後、3日後に復活するとか、マリアがヤってもいないのにキリストを身ごもるとか、天動説を最近まで信じていたとか、そんな小学生でも「それはやばいべ?ってか嘘だべ先輩」と言ってしまうよな事を聖書とかに書いていることがヤバイ。
神秘的なものが無ければ、誰も信じないからなのかも知れないけれど。
キリスト教、イスラム教、仏教。宗教の根本的な部分を考え出した人は、人々が争わず健全な社会を作ろうとしたのだろうと思うけれど、それらが対立して戦争が起こったり、他の宗教を弾圧したり、何処かのクソボケに「いいよう」に使われたり、本当に悲しい話だね。
海外を旅していると、嫌でも触れる宗教。それについて、もっと学んでみるのも面白いのかもしれない。
そして、そう思わせてくれた、一人の熱心なムスリムに感謝したい。
そんな事より、俺はコシャリを食べに行かなければ!
したっけね。
8月9日 改造
ウラジオストク通関情報は、後でまとめてアップします。
んで、
昨日の内にナターシャのおかげで無事通関も終わったが、
夜も遅かったのでいよいよ今日から走り出すことに、
ウラジオストクの町は所々でアスファルトに穴が開いているものの、
バイクにとってはさほどたいした問題ではない、車が落ちたら大変そうだけど。
そして、走り出すこと10分、、、
余裕で道に迷う、
そもそも、「ハバロフスク」はこっちという看板が無いからしょうがない、、、と思いたい
そして、「大体こっちだべ」と進んでいくが行ってはいけないところに行きそうだったので、
人に道を聞くことに、そのロシア人、英語が話せたので何とか会話を試みる。
そうすると、俺たちはココの人間じゃないから道は知らないが、
近くのバイク屋の親父を呼んで教えてあげるから、ココで10分位待ってろいう、
かなり親切なロシア人だ、ちなみに、道を聞いたロシア人は2人組みで
一人は、
「ガスペル」
もう一人は、
名を「Mr。アフリカ」
はっはっはーと言っていた。
こんな人たちの紹介してくれる人で大丈夫なのか?
ガスペルとMr。アフリカは、モスクワに住んでいてウラジオストクまで、
HONDA-アフリカツインで走ってきたと言う。
彼らについては、また後日の日記で詳しく書こうと思う、そして30分後にバイク屋の親父がきた。
名を「MIKA」と言い、HONDA-GOLDWINGでやってきた。
そして、自分のバイクを見て、
「君の荷物の積み方ではロシアのダートの途中で荷物が落ちそうだから、
俺のバイク屋で別なベルトをあげるよ!」と言う、
確かに、自分の荷物の載せ方は、ダッフルバッグをゴムひもで括り付けただけなので、
不安定、よってそのバイク屋に行ってみることに、
そこは、バイク屋というのにはあまりに大きかった。
一階は、修理工場
二階は、「IRON TIGERS」というMCのクラブハウスで、全体の大きさはサッカー場位だろう。
クラブハウスの中で、少し待っているとMIKAが来て、
「きっと君のリアキャリアは、ロシアのダートで折れるからダブルフレームを作ってあげよう。」という、
確かに、自分の荷物の総重量は20kgでリアキャリアの対加重は3kgだから、
不安、よってバイク屋にてダブルフレームを作ってもらうことに、
そして、世界旅行するやつから金は取れない料金はFREE!だという
ロシア人の懐はあまりに大きかった。
完成するのは、明日だと言うので今日はそのクラブハウスの宿泊所に泊まることに、
こうして、出発してから一日目にして陽気なロシア人と共に夜は深けていった。
LONDON
すったもんだの後、ロンドンへ来てしまった。
予定では2週間位此処にいるつもり、ロンドン市内はそれほど歩いていないけど、
期待していたSOHOは、それほど面白そうなところではなくて残念。。。
今週は、ひたすら街歩きか次の旅の情報を集めようと思っている。
でも、ロンドンでの生活はめっちゃ楽しそう。
サンクトペテルブルグ!
おっす!
約一ヶ月ぶり、現地からの更新だ!張り切っていくぜ!
今は、サンクトペテルブルグにいるんだ。
ここは、フィンランド_エストニアの国境まで200kmと
もうヨーロッパの息吹が感じられる花の都ってかんじだな。
見所は、ガイドブックに任せるとして、自分の近況について書くぜ、
今はサンクトにある、ハーレーのカスタムショップで寝泊まりしているんだ。
何で、そんな知り合いがいるかって?それは、これからアップするからもう少し待ってくれ。
んで、
このカスタムショップ、まるで映画に出てくるような野郎達が住んでいて、
どきどきだぜ!
何せ、出てくる単語がとてもここでは書けないくらいだぜ。やばいぜ。まじだぜ。
そこは、サッカー場位はある建物で、見た目は廃屋、中は映画に出てくるような荒れたアメリカの
アパートそのもので、、、例えようがないな。
写真も、後でアップするからもう少し待ってな!
