県南方面には若い頃から良く通っていたのに、一度も行ったことのない史跡が結構ある。

実際に観光マップを手にしてみると、ココも、アソコも、コンナトコまでも行ったことがない。

ひとまず今回は、津久見の『大友宗麟公墓』に行くことにした。

本当はあんまり好きではない人物なのだが、大分県歴史観光の扉を開くとなればやはりこの人抜きでは語れないんじゃないかと最近考えるようになった。

とは言っても、所詮墓は墓であって、それだけを見に行こうという気にはなれないので、良くある<他の観光資源とくっつける作戦>で望みたい。

 

まずは津久見港エリアの一角にある『もくれん』、鮪料理で腹ごしらえ。

お決まりの<ご当地グルメとくっつける作戦>である。

店に行くまでの間、名物のまぐろチャンポンにするかひゅうが丼にするか随分悩んだが、行ってみるとお客さん心理を察するように二品をミニサイズでセットにしたランチメニューがあって、やはりどちらも旨くて捨てがたい味なのだった。

 

 

そして、天気が良かろうと悪かろうと訪れるのは、桜が満開になるこの週末と決めていた。

<訪日観光最大の資源THE・SAKURAとくっつける作戦>である。

 

市役所付近に案内標識を見かけた覚えがあったので、テキトーに車を走らせ、住宅街の細い道を看板頼りに進んでいく。

墓地らしき丘に着くと、満開の桜並木が出迎えてくれた。

大分市の上野墓地公園のように花見をしている集団はなかったが、それがかえって清々しかった。お墓は静かなほうがいい。

 

 

この銅像はホームページなどで見たことがあり、県内にあるいくつかの像の中でも、この像が一番年寄りっぽいというか隠居感が漂い、終焉の地にふさわしい像で悦に入った。

大分駅前のなんかは九州六ヶ国を制圧した戦国武将・大友義鎮公だが、こちらは自治会長のような落ち着きが感じられ、まったくもって回覧板を届けにきたシゲさんである。

 

 

嫌いだった大友宗麟を身近な存在に感じられただけでも来た甲斐があったというものだ。

肝心の墓は、磯崎新氏によるデザインでこの上なく洒落ており、清掃が行き届いているばかりか献花もされていて、地域の優しさが感じられた。

 

 

帰りがけに宗麟が手がけた丹生島城(臼杵城)の前を通ってみた。

雨はあがり、桜祭りに多くの見物客が訪れていた。

 

 

グルメと花、、、決して悪くはないけど何か物足りない気がする。

津久見には、隠れキリシタンは存在しなかったのだろうか?

宗麟公が終焉の地としこの地を選び、キリスト教の理想郷をつくりあげようと夢見た地である。世間を震撼させるようなお宝が、どこかに眠っているのではないかなどと邪推してしまい、つくづく悪い癖だなあ、と反省しきりである。

 

 

 

 

でわ!