今週の月曜日(1月25日)の大分合同新聞の一面を飾った『国東市のキリシタン遺物否定報道』には、とにかく面食らった。

(↓)大分合同新聞サイト
https://www.oita-press.co.jp/1010000000/2016/01/25/235605719

すぐに同市文化財課にメールを入れ、具体的にどの遺物が対象なのかを問い合せたところ、以下の回答をいただいた。

①川原板碑

②胎蔵寺

③岐部神社

④岐部城跡(岐部氏墓地)

⑤上岐部公民館及び松林寺

⑥山神宮

⑦櫛来岐部神社中世墓

⑧西浜の石造物(INRI祭壇石と考えられていたもの)

⑨田中社

⑩小深田家墓地

⑪旧千燈寺参道脇の石塔群

⑫覚応寺墓地(トマス墓)

⑬野上家墓地(トマス墓)

⑭普門寺

⑮永福寺中世墓群

⑯西芳寺中世墓群

なるほど。
確かに、これまでも「これはどうなんだろう?」とか「うーん、無理やりっぽくないか?」と感じる解釈もあったのは事実だ。
更に全てを否定している訳ではなく、キリシタン色が濃い遺物に関しては否定されていない。
例えば、③の岐部神社というのは、本殿の右奥にある蛭子宮の祠をハートマークでキリシタン遺物と捉えていたようだが、神社内のハート文様は『猪の目(獣の目)』として元々存在するものだ。猪の目は魔除けの意味があるらしい。
牛頭天王を祀っているといわれる宮だけに、祠に猪の目がついていてもおかしくないのである。

蛭子宮の祠 

そして、赤く染められた中央の印がなんなのか良く分からなかったが、地元の郷土研究史『国見物語』では天草の方が「ペトロの鍵だ」という解説がなされていた。これが鍵だという見方が腑に落ちず、個人的には盃の方がそれっぽくないか?とずっと思っていた。
他にも、花十字や舟型の手水鉢など、キリスト教と他の文化との共通点は多い。

こういう微妙な考察の違いを楽しむのも歴史観光の醍醐味なのだが・・・完全否定されると、それどころではない。
国東市の観光行政は、大変な修正作業を余儀なくさせられている。
これで売り出そうと、ガイドツアーにも組込んでいたのだから。

実は、僕も同じようなガイドツアーを企てていた。
新聞報道の翌日に県庁で発表する予定だったので、決して人ごとでなく、驚愕したひとりだったのである。
しかし、よくよく冷静になって考えてみると、これはこれで良かったと思っている。
キリシタン側の解釈や目線だけで判断するのではなく、神教や仏教の立場からも見ていかなければならないという事なんだろう。
いまだ否定されておらず、かなりの高確率度で注視されている遺物群。

庚申塔3つ 『キリシタン庚申塔』

これは間違いない、というか凄い域に達していると感じる。
「欺き信仰の総合芸術」と呼びたいくらいだ。
幸い、市教育委員会調査班もこれらは一切否定を避けている。
それだけの存在感と聖書の逸話が随所に見受けられる。
少しずつ解明して、歴史の真実に近づきたいと思う。



 

でわ!