天候にも恵まれた3連休初日は、午後からカクレキリシタン史跡の取材を兼ねて臼杵市野津町へ出かけてみた。野津と言えば友人宅だったり、グリーンツーリズムだったり・・・個人的にかなり以前から何度も足を運んでいる地域だが、今回は初めて『カクレキリシタン』というこれまでとは全く違う視点で訪れてみたのである。

最初に訪れたのは、洞窟の中にあるという礼拝所。場所が分かりにくく、農作業をしているおじさんやおばさんに尋ねながら、何とかたどり着いた。

野津礼拝所 

いきなり縦穴(ほぼ90度)&ハシゴ無し。

中を覗いてみるとかなり雨水が溜まってるっぽい。面倒くさいが、ココはやっぱり降りてみなければ来た意味がない気がして、恐る恐る降りてみたがズルっとすべり

    バシャ! ・・・もういい、開き直った。

真っ暗な縦穴洞窟の礼拝所にじぃっと佇んでいると、やがて目が慣れてきて洞窟内の様子が見えてくる。

 中 

どうやらコレを拝んでいたんんだろう・・・良く分からないけど。

天井の十字 

ふと天井を見上げると十字。

コレだけ・・・

カクレキリシタン史跡は、実にシンプルである。バレないように、気づかれないようにひっそりと信仰しなければならないので仕方ない。





次に国内最大規模かもしれないらしい下藤地区のカクレキリシタン墓群に行ってみた。

下藤キリシタン墓 
 
発掘調査中ということなので間近に見ることは出来ないが、『立ち入り禁止』の札や倒壊した墓石群をあえてそのままにしている状況が重要文化財的な雰囲気を醸し出している。分かっているだけでも、49基のキリシタン墓が確認されたというのは国内最大級規模らしい。いいぞ野津、日本一って凄いんじゃないの。

勿論、府内(現大分市)がキリシタン人口が最も多いと思われるのだが、何しろ隠れ続けてきたので住民台帳とかにも記録がない。野津町には5,000人とも7,000人とも云われるキリシタンが潜伏していたというのである。キリシタン大名として名高い大友宗麟が支配していた豊後の国には、5万人ほどのキリスト教信者がいたと云われているので、そうして考えてみると山村での野津町のシェアは異様に高いと思う。

長崎・天草のキリスト教関連遺産が間もなく世界遺産として認定されるであろう。臼杵市においては、それまでにこの墓群の調査と『観れる可』を実現してほしいと願うばかりである。



でわ!