自分の信じているもの。


観念。ビリーフ。思い込み。刷り込み。価値観。

いろんな言い方がある。



職場に、とっても優しい同僚さんがいる。

彼女は、生い立ちを少し聞いただけでも、かなり苦労をされてきているのがわかる。

でも、誰にでもとても優しく、真面目で謙虚だ。


だから、カモにされる。餌食にされる。

とんでもなく自我のつよいもう一人の同僚に。

主張のひたすら強い彼女に。


giver と taker という言葉が最近一般的になってきたのだろうか?


与えることばかり、いつも、考えてる人。

もらうことばかり、いつも、考えてる人。


いろんな人を見てきて、これはもう、性分だから、逆転することはない!


わたしはよく、昔からテイカーのことを、

くれくれ星人!


と、呼んでいた。


その優しい同僚さんと一緒に働いていて、どんなにその人の長所を褒めても、心から何度褒めても、全く届かないことに、毎回驚く。


たぶん、決して届くことはないとわかる。

なぜなら。彼女は、自分で、


自分なんて、とるにたらない力のない存在だ。自分なんて、たいしたことはない。


と、強く強く信じているから。

そんな思い込みが自分にあると、気づかないほどに、もうあたりまえのこととして、空気のように、そこにあることを意識することすらないから。


それが、事実かどうかは関係ない。本人が、どれだけの強さで、それを信じているかが全て。


自分にも、そういうところあると思う。

それが事実であるか、真実であるかは、この場合一切関係ない。


本人が、意識するしないに関わらず、ガッシリ握りしめて離さない思い込み。それが人間を作り、現実を作っているんだなぁ、と思う。


今日、わたしがその同僚さんにほめたこと、たぶん10人いたら、10人がすごいって言うと思う。


でも、本人はそれでも、そんなことない!

とんでもない!あなたの方がすごいよ!って言うだろう。200%言う。


だから、搾取されちゃう。

ズルくて、主張の強い人に。


でも、優しい彼女は、自分を下げて、自分以外を上げて上げて、肯定する。大丈夫だよー!

あなたは素晴らしいよ!と、人には言える。

でも自分のことは、絶対に受けとらない。

そう、信じているから。決めているから。


その同僚さんの中にいる彼女自身が、あまりにも苦しそうで、たまにつらくなるときがある。


なんだかなぁ。

客観性を持った、自己認識というのは、年を重ねるほど難しいものなのだろうか。

それとも、元々持ち合わせる力なの?


わたしは、客観視が得意だと思う。

周りのことも。自分のことも。

それは、周りの人から何度も言われてきたし、自分でもそう思う。


だから、自分がほんとは死ぬほどネクラなのに、側から見たら、明るく感じのいい人!であることを知っているし、自分のコミュ力が高いことも知っている。


そこに謙遜は特にない。

だって、事実だから。


人は、自分の信じたものになる。


この言葉は、ある意味本当であり、嘘だ。


だって、自分なんて優しくない。

たいしたことない人間だ!って、本人がいくら言ったって、その人は優しくてたいしたことある人なんだもの。


でも、その人の世界の中では、その人の信じている世界が「ほんとう」なんだよ。


なんか、自分もたくさんやってきたな。

と思って胸が痛いよ。

ほめてくれるひと、数えきれないほど、はねつけてきた。なんて失礼な人間だったんだろう。

傲慢で、受け取る器がなかったんだ。


そう、受け取る器。

これに尽きる。

ずっと、このメッセージが来てる。


結局全ては、

受け取る側の問題


なんだよ。

痛いほどこれが繰り返しくるんだよね。

でも、ココがミソだ。



自分が、受け取りたいものを受け取れなくさせてる思い込みは何?


わたしは何を信じている?

わたしは、それを、受け取りたいの?


人は、自分で選び直せる。

何度でも。

だって神様が、わたしたちに自由に選ぶ力を与えたから。その力を使わなくちゃ。


良いとか悪いとかじゃなく、この世の法則として、やっぱりココに向き合うことが、地球で生きるための鍵🔑なんだろうな。と思う。