最後の卒業旅行に京都・奈良へ。




朝6時に家を出て、9時半くらいに着いてたかな。


東寺に清水寺に鹿に東大寺に二月堂に



たくさん見に行った



昔の日本人が建てたこと、作ったことが信じられないくらいの迫力



何百年も前の建物がまだ存在して、その空間に今いること



建築の魅力を改めて感じた



建築学んでて良かったなと。



ありきたりだけど、そんな後世に残る建物に関わりたいなと。



清水寺で引いたおみくじは、吉だったけれど、「建築業よし」って書いてあって、なんだか運命を感じてた。



自分の道を後押しされたみたいな、認められたみたいな。








夜お菓子食べて話す



特別な時間じゃないのに、ずーっと続いて欲しいような、終わってしまうのがものすごくもったいない時間に感じて



2人が寝た後もなんだか1人ぼーっと時間を過ごしてた。







奈良も印象的な出来事がたくさんあった




鹿の泣き真似をしている2人に松ぼっくりの奇跡が起きたのは、本当にビックリ



鹿に投げつけられたかと思うくらいの衝撃で、みんな笑いが止まらんかった。







食後のデザートとして入った喫茶店では。食●毒の店員さんがいて。



あんなに短い時間で、あんなにも破壊力のある電話は初めてだった。







他にもたくさんあるけれど、書き出したらきりがない。



たくさん歩いて

たくさん観光して

たくさん笑って

たくさん話した



言ってしまえばこんな感じ。





でも本当はもっともっと濃い時間。













4年間ずーっと一緒にいた2人。



一日歩き回ってクタクタなはずなのに、思い出すのは楽しいことばっか。



歩いてることでさえ、すごく楽しい思い出になってる。








これも全部2人のおかげ。








ずっと、ずっと一緒にいてくれてありがとう。







2人がいたから、毎日毎日がとても楽しかった。







授業中の思い出も



食事の思い出も



ゼミも課題も飲み会も旅行も



どの思い出にも必ず2人がいる。







楽しくて、楽しくて、お腹痛くなりそうなくらい笑ってる思い出ばっかり。








そのせいかな、2人とのお別れが実は一番悲しかった。







卒業を実感させられた。








過ごした時間が濃すぎて、無くなってしまうことがすごく悲しかった。













きっと、またすぐ会えるのにね。











私はずっとここにいるから







変わらないから








またみんなでくだらない話をたくさんしよう。






またみんなで楽しい思い出増やそう。




















2人が楽しい毎日を送れますように。



悲しみやつらい気持ちのない毎日を送れますように。






本当にありがとう。




大好きだよ。





今までも、これからも





ずーっと。

4年間は本当にあっと言う間だった。



スーツを着て初めて大学に足を踏み入れたこと


初めて友達が出来たこと


初めての授業はなんだか自由で

学食で人の多さにげんなりしたり


初めて課題が出て、みんなで手探りしながら進めたこと


まるで昨日のことのように鮮明に、とまでは全ていかないけれど


やっぱり4年間も一緒にいた仲間との出会いや時間は覚えているもんで。




自分のゼミより他のゼミにいる方が好きで

そのせいでたくさんの先輩から、本当はどこのゼミかと聞かれまくった。




課題の図面レイアウトにこだわりすぎて時間が足りなくなったり

年々上達する模型を捨てるのがもったいなくて

でも家に場所なんか無いからゼミ室に置いてあったり。




筆箱の中にはだいたいみんな三角スケールとカッター、金尺が入ってて

課題でカッターばかり使うから、何かを切るときはずっとカッター

そのうちハサミでまっすぐ切るという行為が出来なくなったり

究極だったときはお菓子の袋でさえカッターで開けてた。

あの服が可愛い、とか、どこどこの化粧品が良いとか、そんな可愛らしい話題なんかしなくて

鋭角カッターが良いとか、 いや、でもこーゆー時は普通のカッターが良い、やっぱり刃はこれだよね、とか変な話で盛り上がったり。




課題提出前は泊まりまくるから、たまに家行くときでも

「ちょっと一回家行ってくる

終電で学校帰るね」

「いってきます」

「いってらっしゃい」

「ただいま」

「おかえり」

家に出掛けて学校に帰る、みたいになってた。

私はホームシックにはなりにくいタイプみたいで

学校大好き、まだまだ泊まっていられるよ

そんな気分で過ごしてた

そのせいか課題が終わり、いざ帰宅となると

久しぶりの実家が落ち着かなくて

なんだか正座してしまったり。





毎日が楽しくて

楽しくて

楽しくて仕方なかった。


365日いたんじゃないかってくらい学校にいた。




でも、これからはゼミ室入るときにはノックをしなきゃいけなくて

みんなで学校泊まることもなくなって

ふらっと歩き回ったって誰かと遭遇しなくなるんだ。



それが実感がなさすぎて。


社会人になって会う回数が減ったって、この一年間でも数回しか会ってないし


同じじゃん。



卒業式前まではそんな風に笑って話してた。



でも、いざ卒業式を終え

祝賀会が終わって

最後の建築学科飲み会を終えたとき


その別れの時


あぁ、もう本当に終わったんだって

たいして変わらないって笑って話してたのは何だったんだろうって


全然違った。



みんな互いに

「ばいばい」
「さよなら」

じゃなくて

「またね」

って

「また明日」

って、いつもみたいに笑顔で別れた。



一生の別れでもない。


院に行った友達もいるし、後輩だっている。


地元勤務の子もたくさんいるし、会おうと思えばいつだって会える距離。


そう分かっているのに

中学や高校の卒業とは全く違う感覚


ただ無性に寂しくて、悲しくて

でも寂しさや悲しみだけじゃない感情でいっぱいになった。




送ってもらってる車の中で、明るくなってきた空見ながらずーっと泣いてた。




きっとそれだけ大切な人達と

大切な時間だったんだろうなって思う。


そんな気持ちになれたこと


そんな気持ちにさせてくれたこと


ありきたりな言葉しか言えないけど


みんなに出会えて本当に良かった

同じ大学、同じ学科になれて本当に良かった

本当にありがとう。

大好きで大好きでしかたない。




「ばいばい」

じゃなくて

「またね」

って言い合ったんだから




またすぐ会える。


喧嘩は数えるくらいしかした事ない。


帰宅を知らせる連絡をせず寝てしまうこと数回

そのたびに翌日は

大変心配をしたと

一言で良いから着いた連絡をしろと

何回同じ事を言わせるんだと

とても怒られた。



それくらいの喧嘩しかしたこと無かった。



それでもそのたびに

呆れられたかも

愛想尽かされたらどうしよう

本当にダメになるかも

と、不安はあったけど今回ほどではなかった。





私は

愛されること

助言されたり、支えてもらうこと

すべてを当たり前に勘違いしていた。


これからも、今までみたいに愛される。

これからも、今までみたいに支えてもらえる。

そう思いこんでいた。



自分なりに愛情を返した気になっていたから。

与えられる愛情に比べたら本当に些細で

適うはずもないくらい小さな愛情を

あたかも同じ大きさの愛情だと思い込んで

私も同じくらい愛してるでしょ、だからいつもみたいに愛してよね

と甚だしいくらい勘違いを続けていた。



当然、相手にはそれはそれは些細なお返しで。

愛情を何の見返りもなくすべて無償で与え続けれる人なんかいる訳なくて。

人は愛したぶん相手から同じだけ愛されたいものだから、返ってこないのであれば与える必要は無くなる。



そうして勘違いを続けていた私は初めて知るんだ。


今までどんな気持ちにさせていたのか


自分がどれだけ酷いことをしていたのか




最低だった。



今度こそ本当に終わってしまうと思った。



それと同時にそんな時にならないと彼の大切さを知れない自分がとても嫌だった。






こんな最低な自分に彼はチャンス与えてくれた。



本当に、どれだけ大切にしてくれていたのか


どれだけ大きな愛情に包まれていたのか



まだまだ与えられている分に適うお返しは出来ていないだろう。



でも、少しずつでも確実に増やしていきたい。



そして、それが当たり前になるようにしていきたい。



もう二度と悲しい思いをさせないようにしたい。



あなたが思っているのと同じくらい愛しているのだと感じてもらいたい。





今はまだ頑張ろうという気持ちが出てきてしまうけれど


いつかそんな気持ちがなくなるように


当たり前の日常になるまで。