思うままに生きる

思うままに生きる

静岡県から神奈川県に来ました。火木土と透析受けてます。

アメンバー申請の前にコメントかメッセージ下さい。いきなりの申請(のみ)は受け付けていません。魔法使いの国の住人さんは、明記お願いします。


魔法使いの国の住人でした。今はGW探究会に所属しています。




5歳の時、千葉で祖母と伯母と食堂をやっていた父が母を連れに来ました。祖母が役に立たなかったので母と交代させる為です。抵抗する母を私から離し、私は祖母に育てられることになりました。祖母は外面が良く、お金で人の心買う人でした。母の子供である私を忌み嫌い、殺しはしませんでしたが、虐待され続けました。それで私の心は壊れ、マリアというタルパ(イマジナリーパーソナリティー・動物霊と言われた)を生み、それからずっとマリアといろいろ話し合い、助けられています。







思い返すと、小学生の頃から糖尿病の兆しはありました。指摘されたのは25歳の時です。けど、39歳で右目が見えなくなるまで糖尿病のことで病院に行ったことがありません。仕事中に椎間板ヘルニアになって通院はしましたが。目が見えなくなって仕事ができなくなったので、仕方なく病院通い。家でできる仕事をボチボチやりながらの通院生活。その頃母からお金をもらいパソコン購入。パソコンがきっかけで、妻子ある男性に騙され、眠ることができなくなる恐怖を味わっている頃ダンナと出会いました。







結婚が決まった時に子宮癌発覚。子宮と卵巣摘出。子供が産めなくなった私は母に言われ、ダンナに別れを告げました。けどダンナは・・・(この辺りトップページに書いてあります)







結婚後は母の病気の付き添い(通院・入院)で自分の体はほったらかし。(ダンナのニート時代もあって、家庭は常に火の車だったし)母が亡くなってしばらくすると、ダンナの稼ぎも良くなってきたけど、その時足に違和感が。激しい痒みと浮腫み。どうにも我慢できず病院に行かせてもらったけど、通院中院内で倒れ、そのまま市内の大きい病院に行くことに。そこで始まった糖尿病性腎炎の治療。入院。入院中に左目も見えなくなって再び入院(白内障)。通院してるうちに何度か歩けなくなり、あまりのつらさにツイッターでヘルプ。透析を受けている人数人からアドバイスをもらい、透析を決意。クレアチニンが4だったけど、志願してシャント作成。透析生活に入りました。







追記:入院一回目で脳梗塞シャント作成入院一回目でベッドからの転落、シャント作成二回目の入院時肺炎を起こしていて、シャント作成は伸ばし伸ばしになりましたが、無事作成完了。




















































昨日はダンナに休んでもらって、郵便局と眼科行って来ました。

 

郵便局はお墓の管理費支払いです。昨日も書きましたが、これ、私の仕事じゃないんですよね~。もうS家の人間じゃないし。でも、義務にされちゃってる。ホント、死んでも迷惑な連中ですわ。

 

眼科は激空きでした。時間も15時30分だったしね。会計する時はたった2人。なのに1時間もかかるってどんだけ~(あ、このフレーズ使っちゃった)。

 

んで、タイトルですがね、看護師も医師も声が小さくて言ってることがちーとも伝わってこないんですわ。

 

専門用語使われても「?」なだけ。コレステロールが高いってのも初めて言われたよww

 

つことで、何かあれこれ言われてたけど、半分も私には伝わりませんでした(;´∀`)ヤバイ?これww

 

じゃけんどー、死ぬまで自分の目で見て自分の足で歩くって何十年も前から決めてあるので、死ぬまで見えて歩けるはず。

 

お母さんだって片目だけど見えてたし、車椅子だけど、家の中は歩いてたしね。私は全てが母親に似なので、これもそうなることでしょう。

 

今日も3時間しか寝てません。透析中爆睡する時間がありそうやなwwそれで血圧下がってくれるといいんやけど^^;

 

 

 

 

今日は眼科。今月中にお墓の管理費も払わなければならない。

 

月曜日が雨だったので、今日こそは眼科の前に郵便局行かなければ!・・・嫌だけど(;´∀`)

 

なこと思う一方で、昨日仕事休みたいけど、と又言い出したダンナに心の中で、休みなら明日にして、とも思ってた私ww

 

昨夜の帰りが夜中の1時過ぎだったダンナが「一緒に働いてる人に先越されて帰れなかった~。今日こそ休もうかな」と。

 

今までなら、始まったよ。なんでこうかなーこの人。だったけど、昨日は、待ってました!(爆)

 

「だったら、明日眼科連れてって。ついでに郵便局」「いいですよ」やったっ!

 

ということで、今日は14時30分になったらダンナの車で出かけます。

 

にしてもさー、何度も思ったことだけどさ、気持ちはわかるんだけど、お母さん、最後のS家の人間だったんだから(私は嫁に行って苗字が変わった)お墓閉めてから死ぬべきだったんだよね。自分が苦労して作り直したお墓だからどうしても入りたかった手の分かるんだけど、そのあとの事も考えて欲しかったなー。

 

他家の人間に後始末させるなんて、さいっていっ!(-_-)

 

 

あー、私、そういえばあの頃無言の行動でダンナを責めてたなあ…

 

自分もつらいだけなのに、バカだよね。

 

今もまだ無理させてる所はあるけど、救急車で運ばれたり、死を意識したりで、少しは良くなってる気はする。

 

ダンナが毎日愛してくれていて、頑張って働いてくれてるし、私も自分に鞭打つのやめてるし。

 

相変わらずの死への恐怖(?)はあるけど、穏やかな毎日が送れてると思う。

 

 

昨日は接骨院行くのを辞めた分、GOの代金支払いが減ったので、それで『はま寿司』行きました。

 

なんかすごくね?なメニューがいっぱいあったので、値段も見ずに注文。これ以上食べたら吐くって所まで食べまくりました。

 

とはいっても、全盛期の半分の量なんだけどww

 

ダンナも食べる量減ってたなあ(-_-)

 

さすがに60台前半と50台後半だもんねww

 

 

人生も残り少なし。毎週の外食を楽しみに、ボチボチ余生を楽しみますわ。

 

 

 

 

クリニックの送迎車は、助手席に一人、真ん中に二人、三番目に三人乗れて、あと一人真ん中のドア近くに補助席を出して座るようになっています。

 

今までは私がこの補助席に、行き帰り乗っていたのですが、今は足の悪いおじさんが乗るので、私は真ん中の真ん中の席に帰りだけ移動しています。

 

いつも後ろのおじさんが補助席を倒して背もたれを上げて用意してくれるのですが、今日はこの後ろのおじさんがいないと勘違いしちゃったんですね。

 

で、足の悪いおじさんが結構な速さで着いてきてると更に勘違いして、車に乗ってすぐ補助席の用意をしてしまったんです。

 

すると、後ろのおじさんがその補助席を戻し、座って再び補助席の用意をしたんです。

 

しまったーーーーー!!!

 

まさかいたとは気が付かず、いないと勝手に思い込んでたよー!

 

私もせめて降りる時にでもおじさんに謝ればいいものを(ダンナに指摘された)終始無言。そのまま降りてしまいました。

 

「義勇かよ」ダンナに言われしまって更に猛反省><。でも時すでに遅し・・・

 

勘違いは誰にでもあることだけど、そのあとの対応なんだよね。

 

あーあ、送迎車、マジでもう乗りたくないなー。

 海外土産でうれしかったものは?

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人生初めての海外は香港。中国返還前の香港。

 

ヌーンデンガンなんちゃらが見たかったけど、しっかり道に迷って見れず。ああん、もうっ!になったけど、バードストリートには行けたし、何よりホテルの朝食が豪華でおいしかった。

 

で、お土産は、自分用に買った馬の置物。

 

よくわからない赤い石でできた座ってるお馬さん。

 

バードストリートで目にして、手に取ったら値段言われたんだけど、どうしよっかなーって首傾げたらいきなりの値下げ!あ、買いますっ!って急いでお金出したんだよね~。

 

 

 

 

昨日はYUKOさんの体験セッションでした。自分の居場所についてです。

 

5月26日からずっと、死ぬことばかり考えていた私にとって、このセッションは意味深いものだと思い申し込みました。

 

いつも久しぶりになってしまうYUKOさんはいつも通りの明るくて美しい人。

 

会うだけで元気もらえます!

 

早速近況報告。テキストでもあるのかと思っていたら、雑談からいつの間にか本題に入ってました。

 

で、結論。

 

私は眠ると次元を超えて世界中に愛を届けているのだそうですww

 

だから体に不調も出るし(疲れている)、爪も取れるというわけ。

 

爪が取れた原因も分かったし、眩暈を起こすのにも意味がありました。

 

あと、吉祥を辞めたのも、私がお金を頂くことを拒否したというか、そうじゃないって思っているから。

 

お金じゃないんだよなー。だって、神の愛は無料でしょ~ってことらしいです。

 

とにかく私のやることは、休める時に休んで、自分をセルフハグしてあげること。

 

常にフワフワして、どこにいても「ここじゃない」って思うのは、常に次元も宇宙も飛び越えて走り回っているからだそうです。

 

なんか納得できたし、腑に落ちたセッションでした。

 

YUKOさん、いつもありがと~。マリア君は納得して、いつも通りにしていますよ~。

落雷の瞬間を見たことないけど、我が家に落ちたことはあります。

 

テレビを見てるとか壁の方で何か大きな音。

 

何の音だろう?ちょっとビックリしたな~。

 

その時は何も起こらなくて、電気も点いたまま。ただ音が凄くて驚いただけでした。

 

と次の日、近所の人が「大丈夫だった?」と聞いて来たので「何が?」と答えると「お宅に雷落ちたでしょう」と。

 

ええー!あれって落雷の音だったの!?

 

私に被害はなく、家も何ともない、実に不思議な落雷経験でした。

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入院生活での楽しみシャント作成で何度か入院。その間に肺炎や脳梗塞もやらかしましたww

 

で、入院中の楽しみというと、やっぱり食事でしたね。よく病院食は味気なくてまずいと言われますが、味の濃いのが苦手な私は「味のついてない物に変えてもらえませんか?」と言って、ほぼ無塩のおかずにしてもらってました。

 

白米を炊いた物も食べられなかったので、おかゆに変えてもらい、そのおかゆにたまに付いてくる味噌のスティックがおいしくて、退院後探したものです。

 

普段摂らないドレッシングも珍しく、おいしいもんだなあと思ってました。

 

病院食がおいしくて楽しみなんて、変わってますよね。

 

 

 

 

 

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まだ咳が出るけど、咳の種類?が明らかに違う。

 

風邪のひき始めの頃の「これってヤバイ」という出方と違って、元気な時に出る普通?の咳。

 

風邪もあとちょっとで治りそうです。

 

ここで油断してひき直さないようにしなければww

 

暑くなったから難しいんだけどね(;´∀`)

 

 

今日は”暑いんだからさ~”鰻を食べさせて下さい<(_ _)>ということで、『すき家』に連れてってもらいました。

 

吉野家のもいいけど、鰻はやっぱりすき家。

 

トッピングにわさび付きの山芋。

 

当然!(いばるとこか?)半分しか食べませんっ!(食べれません)

 

おいしかった~(でもいつか一人前食べてみたいな~)。

 

 

そのあとはいつものドライブ。寒川方面~茅ヶ崎方面。

 

最後はいつものスーパー。

 

 

水曜日にYさんの体験セッション(セミナー?)があるので、明日ファミマへ代金の支払いに行って来ます(雨でも行く。行くったら行くっ!)。

 

自分の居場所…という内容?なので、今の私に最も必要ではないかとww

 

何しろ、5月26日からずっと死にたい、もう嫌、ばっかだったからね┐(´д`)┌

生まれるのが嫌だったは『鈍色の風』にも書いた。

 

前世は修行三昧だった私は、この世のつらさをよく知っていた。

 

もう二度とあそこには行きたくない。私は神になりたいんだ。

 

生まれる前の私はそればかりを願っていたんだと思う。

 

けど、生まれてしまった…この乱世に。

 

当然生まれ育った家も環境も最悪。

 

5歳で父方の祖母との二人暮が始まると、そこは地獄でしかなかった。

 

祖母の精神的虐待。私の物は人にあげてしまう。

 

友達はいたけど、私の存在は薄く、その場にいてもいなくてもどうでもいい。はないちもんめで名前を呼ばれないまま終わる子。

 

中学では一人孤軍奮闘していた部活で最後の最後「やる資格なし」と顧問の先生に間接的に言われ自殺未遂。

 

社会に出てもうまくいかないことばかり。

 

夢を叶えようと東京に出て学校に通ったけど、横やりが入り挫折。

 

夢破れパニック障害を発症した。

 

結婚には恵まれたけど、実の母に四年間憎悪の目を向けられ続け、自分の病気の治療はできず、母の死後透析生活になってしまった。

 

何度も死の淵を彷徨い、母になることもできず、今はただただあちらに帰りたい。