お久しぶりです。
こんばんは、ももの旦那になります。ももの日記にこちらで報告を頼まれていました。

これだけ伝えれば何がどうなったかはお察しされると思いますが、本日2020年7月5日天国へ旅立つ事になりました。

天国より私達家族を見守ってくれてる事でしょう。
経緯を私が覚えている限り書き留めて行こうかと思います。
下手ですが自分達の為に早く覚えているうちに書いていきます。お見苦しいですがご了承下さい。

まず6/20午前中に病院へ向かい、急遽入院となりました、コロナの影響で付添も出来ないとの事で、この日は私が仕事の為、もも一人を病室に残して仕事へ向かいました。

すると数時間後に私の携帯がなり病院からでした、胸騒ぎがして恐る恐る電話に出るといつも良くして下さっていた看護師さんから『個室にしたら旦那さん泊まれる様にしましたがどうなさいますか?個室にしますか?』との連絡、迷わずお願いします。と返事をしました。
そして、仕事を急遽しばらくお休みを頂く事を許してもらい、しかし片付けたい仕事があった為夜遅くなりそうだとももに伝えた所『イヤだ!』と自分もびっくりしました、普段こうゆう事は言うわない性格でこれは、相当参っている、弱っていると再認識しました。
そして少し遅くなりながらも無理を言って仕事を早く切り上げ向かうと、病室には、いつも通りのクールな彼女は居ました。少し安心しました。

ここの感情はかなりハッキリと覚えています。

そしてその夜中、彼女は痛みで全く眠れず眠る薬、鎮静剤を夜中に入れてもらうとぐっすりと眠る事が出来ました。
ところが翌日彼女は全然目を覚まさず夕方までうつろうつろ、寝たり起きたり意識が混同して、理解不能な言動が少し出てきました。
夕方以降はいつも通りに戻りましたがかなり痛いみたいでした、この辺から携帯も触る事が出来ず、触り方分からない、何がわからないのか分からないといった状況でした。

その夜も寝る事が出来ず、鎮静剤を投与してもらいました、この夜は鎮静剤を早めに辞めてもらいました、すると昼過ぎには意識がハッキリし始めて子供達の面会も特別にお許しを受けて面会させて頂いておりました。
その日、『鎮静剤ではなく睡眠薬で眠る事が出来れば自宅に帰れるよ?』
担当医より話がありすぐにお願いします!と返事をし、その夜から睡眠薬半錠を飲み、眠る事にしましたが、全く寝れず、また鎮静剤を投与してもらいました、ウソの様にぐっすり眠りました。

翌日睡眠薬を一錠にして試してみるがやはり眠れず、と言う状況でした、やはりまた鎮静剤を投与して眠りにつき
翌日、担当医より『家帰ってみる?』
自分が『大丈夫ですか?寝れますか?』
医『家やったら寝れると思うよ!寝れへんかったらまた入院したらいいよ!』
と嬉しい言葉をもらい本人と試してみようとゆう事になりました。

医『ただし、今回自宅に帰って病院に戻ると自宅には帰れないと思っておいて下さい!』

と割と厳しい言葉をもらいました。なるほどそうゆう事かっ!と本人も意識はハッキリしているから理解したみたいで分かりましたと言っていた。

すぐ退院の準備をしてもらい、3時間程、待って退院し、自宅に戻ると子供達は大喜びでママ、ママと三人とも犬の様にくっついていました。
犬を悪く言っている訳では無く自宅に居るアンディの様な動きだなと思ってしまったのが正直な感想でした。
そしていざ睡眠薬を飲むとコロっと10分程で、いびきをかいて寝ていました。とりあえず安心していました。
翌日もしっかりと寝て、そのまま7月2日まではなんの問題もなく過ごしていました、強いて言えば少しおかしな言動があり、子供達を困らせていました、子供達は意味不明な事を言うママを少し敬遠しているように思えました、
これはママじゃないと言う感じです、
これは上手く伝える事が出来ないのですが、いつも一緒に居て来た感じとは違う物でした。

そしてこの夜、5-15分おきに体勢を変えたい、この頃には自力で起き上がるのが厳しい状況でした、
座りたい横になりたい、
座りたい横になりたいの連続でじっと寝る事が出来て居らず、ももと自分は全然寝る事が出来ませんでした。その翌日訪問看護の担当の方にももが『旦那が全然寝れて居ない』と話をしていました、こんな状況で俺の心配をしている事にビックリ、本人はうつろで深い眠りにつけていない、体は痛い一人ではまともに歩くことも、立ち上がる事もできない、その状況ですよ?

ビックリ以外の感想が出ませんでした。
嬉しいよりもビックリが勝ち過ぎて何も言えませんでした。
訪問看護さんに相談した所、学校の授業中みたいに机にもたれるようにすると寝れるかもと聞き、すぐに家にあった木の端材でテーブルを作るとすごく、楽みたいでしっかりとその夜は寝ていました。

その翌日7/4運命の前日、夕方トイレに行きたいといつも通り言うので抱っこして立たせようとした時、ももの膝に力が入らず崩れました、自分が支えているので転けたりはありませんでしたが、そのまま座らせました、その後呼吸が100m全力疾走したあとの様にゼーゼーと言い出し、『苦しい、苦しい、苦しい、息出来ない!病院行く!』と言い出したので少し落ちつかせました。

何故ならこれは病院に戻ると2度と自宅には帰ってこれないと感じたからです!
私は自宅で最後まで看取るつもりでした、本人もそれを希望していましたので少し落ち着いた所で、ももに『病院へ行くのか?家には帰ってこれないよ?』と伝えるとももは思い出したようで、『ちょっと待って』…

凄く凄く長く感じましたほんの1分くらいでしょうか?

ももは『病院へ行きたい!』
病院へ連絡すると救急車を送りますと、すぐ救急車が来て病室も個室を手配していてくれてスムーズに入院となりましたが時間は18時、下のコンビニでプリンを買って来てこれ食べよっ!と一緒に食べました。いつもの鎮痛剤を入れてもらい、ぐっすりと眠りました、
しかし自分は心配で眠れず、様子を見ていた所、夜中1時頃に呼吸が浅くなり早くなって来ました、これは嫌な予感がすると思い、眠る事が出来ませんでしたが、手を握り3時頃までは覚えているのですが、知らないうちに寝てしまい、看護師さんの話声で目が覚めました、時間は朝9.40分、ももを見ると呼吸が夜中よりも浅く、早い!喉元の動き下顎の動きを見てすぐ『これって下顎呼吸ってやつですか?』
看護師『そうですねー、手足のチアノーゼも出てますね。早目に子供達を呼んだ方がいいです!』と言われて混乱しながら、すぐ、ももの妹、母に連絡、しかし、なかなか来ない、途中連絡が途絶えるので、
長女の携帯に早く!
早く来い!
と伝えるも義妹の車がないと来れない!
そんな中、10時30分俺が起きるのを待ってくれていたように、呼吸が止まりました、、、
ももの母、妹、ももと私の子の長女、長男に天国へ行きましたと、LINEをしました。

ももはすぐに冷たくなり始め、11時30分頃に家族が到着しましたが、ももは待つ事が出来ませんでした。
私は隣で頑張ってくれた、ももに大変感謝をしております。
待ってくれてありがとう!


そこからバタバタと事が進み

現在、冷たくなってしまったももを自宅へ戻して同じ部屋で寝て居ます、7/7七夕にお通夜、7/8に告別式、最後にお洒落な演出をしてくれました。

残り少ない時間を楽しみます。

ながながと下手クソな日記をありがとうございます。
ももの生きた証、後々、自分達が見れるように記録しました。ありがとうございました。