.1 思いつくままに…

 今、三回目の司馬遼太郎の全著作の読了を始めようとしている。
 これまで私は『司馬遼太郎とエロス』『司馬遼太郎 歴史物語』という二冊の司馬論を著してきた。前者は司馬の情念的・エロス的な側面の、後者はその現実的・歴史的側面の解剖であった。これには実は一つの欠陥がある。それはこの両極端の対立抗争を止揚する次元の不在ということである。
 仏教では「空・仮・中」の三諦という用語がある。これは真理論の分際であるが、それをさらに展開すれば、例えば「法・報・応」の三身論がある。これは仏の身に即しての論議、つまりは現実論の次元である。またこれを「相・性・体」という三如是論で見れば、これは中道的な論議の次元になる。これをヘーゲル・マルクス的な用語で言い換えれば「定立(正・自、テーゼ)・反定立(アンチテーゼ)・止揚(合・ジンテーゼ)」となるだろう。そこで今回の私は、今までの私の司馬論の「総合」(止揚・合・ジンテーゼ)を試みたいと思っているのである。
 何故なら、私はこれまで司馬遼太郎の晩年、というのは彼の四十九歳の年から始まり、その後約二十五年間を閲することになった時期についての考察を怠ってきた・省いてきた・敢えて無視してきたからである。それは私にとって苦痛の作業だった。というのはこれを遂行しようとすれば、私は司馬の弱点・欠点・恥部をさえ暴かねばならないからなのである。私は司馬を敬愛している、というより、彼をおよそ万能的な人間として尊敬しているからである。それほど彼は偉大な達成をしてきているのである。これは彼の批判者たちも勿論認めざるを得ないだろう。全力を尽くして批判し、打倒して已まないという存在は、彼にとっての生涯の敵手であり、仇敵であるとすれば、それはまた彼の存在意義の総てでもあることになるからである。つまり多くの批判者、敵対者を持ってきたということ自体が、彼の存在の大きさを示しているのだからである。
 さてその晩年は三つの著作によって代表される。最初は『週刊朝日』一九七一(昭和四十六)年一月一日号から連載開始された『街道をゆく』であり、次は一九八六(昭和六十一)年に相次いで連載が始まる『この国のかたち』(『文藝春秋』一月号から)と『風塵抄』(『サンケイ新聞』五月から)とである。これを先の三諦論に配当すれば、『この国のかたち』は理念的(空諦)であり、『風塵抄』は現実的(仮諦)であるのに対して、『街道をゆく』はその両者を止揚・統合したもの(中諦・中道)と解せられるからである。司馬はこの三つの連載によって、そのあまりに過剰な情念と理性との平衡を辛うじて保つことが出来たのである。理性的側面にしろ、情念的側面にしろ、彼の作業は徹底性を濃厚に帯びていた。私は彼を一面ではエロス(情念)の人と見、他面では理性と合理の人として見るが、いずれの場合でも彼は徹底的に行き尽したのだった。そこに彼の栄光とまた同時に悲劇がある。…
 いや、これはまたあまりに早急な結論づけということになるだろう。もっと、ゆっくりと始めなければならないだろう。以下、断章的に綴っていくことにしよう。