私が少年隊だった頃 | たわごと

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少年隊のことを少し

少年隊がデビューしたのは昭和末期だった。

いわゆるバブル期だったせいもあり、

日本人はどこか浮かれていたし、何をやっても許される空気だった。

今よりもずっと雑だったというか大雑把で

よく言えば元気でおおらかだった。

 

デジカメもスマホも無い時代だったので

恥ずかしい行動をしたとしても撮影されることも拡散されることもない。

Googleも無いから検索されることもない。

そんな時代だったから許されたのであろう。。。。

 

「私が少年隊だった頃」(・・・なんのこっちゃ)

 

短大の卒業を間近に控えたある日、仮面舞踏会をカラオケでやろう!という試みをした。

当時、カラオケは大人だけに許された娯楽だった。

まだボックスというものは無く、カラオケはパブかスナックと言った

アルコールを提供する店にしか無かったのだ。

 

当時のカラオケパブのイメージ

 

1.曲をリクエストカードに書いてお店の人に渡す。

2.ドリンクを飲みながら順番が来るまで待つ。

3.テーブル番号とリクエスト曲がアナウンスされるとステージに向かう。

4.見知らぬ多くの酔っ払いの前で披露する。

 

お店によって持っているカラオケのレパートリーもマチマチだし

カラオケソフトの製造元によって、アレンジやキーの高さも異なる。

今では当たりの「歌詞付きの大型モニター」は、

レーザーカラオケが設置された最新のお店だけで

自分で音程キーを変えることも、マイクにエコーをかけることも

曲の途中でやめることもできない。

左手にマイクを持ち、右手に持った本の歌詞を目で追いながら

カラオケテープに合わせて棒立ちで歌う。。。と言う店も多かったのだ。

ステージに立ったら最後までやりきる勇気と度胸が必要な娯楽で

それは、接待を伴う拷問に近いものだった。

そして昭和の新社会人は、先頭に立って場を盛り上げる役割だったのだ。

 

まして、男女雇用均等法が施行されたばかりの頃に

社会に放り出される女子学生(女子高で女子大)だったので

男子並みの働きをしないといけないと肩に力が入っていたのだ。

 

カラオケで少年隊をやることは、

私たちにとって遊びでは無く社会に出るための修行の一環だった。

 

「少年隊をやるなら、ちゃんと覚えよう」と、埼玉で合宿をして

歌詞を暗記して振りも覚えた(バク転は出来ない)

それぞれ自分の推しのパートを担当したので、私はカッちゃんでした。

 

踊れるようになってくると「どうせやるならマイク3本ある店を探そう」と、

都内のカラオケ店の情報を集める。

デュエット用に2本マイクの店はあるけれど、3本は無い店ばかり。

口コミと情報誌を頼りに、踊れるくらいステージが広くて、

少年隊のカラオケがあって、スタンドマイクが3本あるカラオケパブがあると

噂を聞きつける。

 

そのうち「よし、春休みにデビューしよう」と、

訳のわからないテンションでさらに練習に練習を重ねた。

 

 

そして、デビュー当日。

女子大生10人くらいで普通に来店し、キャピキャピと過ごし

仮面舞踏会のイントロがかかった途端に

サテンのキラキラの色違いのシャツをサッと羽織りながらステージに向かった。

もう、それだけで大ウケ。

 

はっきり言おう。

ヒガシ役は、バンドでボーカルをしていたので歌唱力もあり背も高くて見栄えしたけれど

ニッキと私は平均身長なので、まあまあ酷い仕上がりだった。

 

それでも、女子3人が照れる素ぶりも見せずにアホのように歌って、

マジ顔でガチに踊っているだけで、見知らぬ酔っ払いも大喜び。

こうして店内は異常な盛りを見せたのであった。

ビバ!昭和である。

 

声援に応えて、アンコールには「バラードのように眠れ」を踊った。

ああ、特訓しておいてよかった~。

 

気持ちよく歌い終わると、お店のオーナーから

「明日からショータイムに出演してくれませんか?」といきなりスカウトされる。

どうやら生バンドの演奏や歌マネ歌手のショータイムがあるお店だったようだ。

どうりでカラオケのステージが広いはずだあせる

 

私もニッキ担も就職が内定していたので、二の足を踏んでいたんだけど

ヒガシ担が「やってみたい!」と言い出したので

春休みのバイトとして約1ヶ月間、ショーパブで働くことになった。

だって、少年隊の歌は一人では歌えないように作られているから。

 

パフォーマンス用に本物そっくりのマイクを作って投げ合ったり

ストライプブルーの衣装を探し回ったり。

君だけにの指パッチンの練習をしたり。。。

ほんの1ヶ月だけだったけれど、アホみたいに一生懸命やったものだ。

 

当然のようにお店では少年隊と呼ばれていたし

ショーの後は、少年隊として接客をする事もあった。

(冷静に考えると、なかなかのカオス状態)

 

そして、4月になると何事もなかったかのように

スーツに身を包み、それぞれの就職先に向かったのである。

こうして、私たちの少年隊時代は終わりを告げたが

この体験が、就職してから役立った事は言うまでもない。

 

 

 

すぐに時代は平成に変わったが、今思い返してもほろ苦く不思議な体験だ。

無論、子供は母親のこんな一面を知るよしもないがあせる