『天使の太陽』
ある年の5月、僕は東京駅から新幹線に乗車して名古屋駅へ向かった。名古屋駅からは中部国際(セントレア)空港に移動して、それからエミレーツ航空使ってドバイ経由でモロッコへ旅立つ。
黄昏時の出発。傾き始めた陽の光が林立する高層ビル群に反射して、そこいら中に奔放にはぜる。乱反射した光りは痛いほどに眩しいが、あたかも天使が舞うように楽しげで美しい。
新幹線の車窓にはみずみずしい田園や溌剌とした山林が移ろう。心なしか、僕が生まれ育った国の何の変哲もない見慣れた風景が煌いて見える。おそらくこれは旅がすでに始まっているという証左。どうやら旅というものは、始まった瞬間から目に映るすべてに煌きを与えるらしい。
僕はあらかじめ東京駅のキオスクで買っておいた缶ビールを一息に流し込む。すうーっと喉を洗う黄金水は体中に旅の気概を漲らせ、同時に、まるで天使が僕の脳内にまで入り込み戯れているかのような、浮き立つ心地をもたらす。
そしてこれからしばらくの間、僕は絶えずこのような心地で過ごす事になる。
『異国の情緒』
セントレア空港から約11時間のフライト後にドバイ国際空港に到着した。ここで3時間待機の後、さらに約9時間のフライトを経てモロッコ・ムハンマド5世国際空港へ。先はまだ長い。
フライト中に機内食を無理に食べ過ぎたようで腹が苦しい。とはいえ狸寝入りを決め込んで食事を拒んでしまうには、フライトアテンダントがキュートに過ぎた。僕は彼女らの素敵な微笑みを可能な限り獲得したかったのだ。確かに全てを平らげずに残してもよかったが、その点において僕は誠実に過ぎたのかもしれない。
腹ごなしに世界の名だたる高級ブランドショップがひしめく免税エリアを冷やかしてから、スターバックスで時間を潰す。
コーヒーを啜りながら、東京駅で買った雑誌の落語特集に没頭する。せっかくの異国で情緒を楽しまずに落語も無いだろうと感じる人がいるかもしれない。しかしおあいにくさま、隣り合わせた中東の男性から漂う強烈なフレグランスは、僕に十二分に異国を意識させた。
もちろん、僕がその異国情緒を楽しんだかはまったく別の話だが。
<続く>
