震災後の報道について~文化通信から~
2011年3月11日に起こった東日本大震災。今年でもう5年が経とうとしています。私はテレビをよく見る方なのですが、テレビのニュースでは、震災の報道はもうあまりされなくなってきている、復興は完了したのだと感じさせるものになりつつあると、個人的には感じています。被災地は実際復興できているのでしょうか。私は今回、東日本大震災が起こったあと、メディアは震災をどのように伝えていたのか、調べてみようと思いました。「文化通信」という、業界紙を発行している会社を例に挙げ、震災後、どのような記事が載っていたのか、私なりにピックアップしてみました。まず、2011年3月28日の一面です。日付からも見てわかるように、震災からまだ二週間あまりしか経っていないことがわかります。私が驚いたのは、河北新報の新聞記事を転載していたのですが、その見出しが「地域復興へ決意」だったことです。震災からまだ間もないと言っていい時期に、もうすでに「復興」という言葉。また、ほかの新聞社に協力をしてもらったという、感謝の言葉。暗いニュースばかりが飛び交っているのではと感じていたため、この時期での前向きな記事は、さすが、地域に根ざした新聞社だな、と感じました。毎日取材をしていく中で、自分たちばかり落ち込んでいられず、被災者の方に少しでも「希望」を与えたいという当事者意識があることがわかりました。次に2011年5月23日の記事です。この日の文化通信の記事は、「被災し実感 地域紙の使命」と題されて、東海新報社、代表取締役社長鈴木英彦さんの特別寄稿が一面でした。この記事では、自身が経験された高台の社屋からみた津波、それを伝える「罪悪感」。また試行錯誤しながらどうにか新聞を発行しようとする臨場感。『少なくとも号外だけは発行しないと悔いが残る。出社したくてもできない社員もいて普段の半分の人員で製作に入っていたこの号外は、パソコンで組版したものをカラーでプリントアウト、それを2台のプリンターで2000枚コピーした。津波で見る影もなく破壊し尽くされた中心市街地の写真に、「大津波、街を呑む/気仙沿岸に壊滅的被害」という特大見出し。深更の刷り上がりを待ち、それを社員が手分けして避難所に配ったが、真っ暗闇の不気味な被災現場を通りながら、ほとんどの社員はこの天災のおそろしさと、多くを失った悔しさに涙がとまらなかったという』(文化通信、2011年5月16日)この記事の出来事が自分の目の前で起こったのではないかと思うほど、細かく、鮮明に当時のことが書かれている。そして新聞の「伝える」力を、改めて目の当たりにした。どんなことがあろうと、なるべく早く、細かく、そして正確に伝えることの重要性を、今回の震災で思い知らされた。と同時に、市民メディアを実践している上で、自分には何ができるのだろうと、考えさせられた。