劇場用映画 ちびまる子ちゃん [DVD]/TARAKO



大野君の言えば
「映画版ちびまるこちゃん」の大野君杉山君コンビなのだが、
今日は10年くらい前に同じクラスで、わりと話をしていた同級生の大野君について話をしようと思う。

当時通っていた札幌の専門学校は大通からほど近く、勉強道具を買うのも、学校が終わって(終わってなくてもね)遊びに行くのも、ほとんどが大通である。中でもその頃は狸小路のパチンコ屋に行って仕送りしてもらった貴重な生活費を納付してくるのが日課だった。(今思えば本当親に申し訳ない、、、;;)

夕方から夜にかけての時間、パチンコ遊戯が終えて店を出ると必ずといっていいほど見かけたのが、狸小路の片隅にどっしり腰をすえて歌っていたのが同じクラスの大野君だ。

軽い挨拶と雑談。いつ見かけても周りに人影はなく、ほんとに路上で歌を聞いている人がいるのか疑問だったが、とにかくほぼ日、大野君は狸小路にいた。
そういえばその頃、狸小路で歌を聴いた記憶は無い。

記憶に残っている中で初めて大野君の歌を聴いたのは、何かの学校のイベントの帰り、皆で行ったカラオケボックス@清田のキャッツアイだった。この事に関しては、帰り際にそのとき一緒に行った女の子が階段から落ちてケガをしていたからよく覚えている。(幸い無事だったよん)

大野君は歌がうまかった。
奥田民生の息子、ビートルズのイエスタデイ、この2曲の記憶しか無いが
マイクなんていらないんじゃないかと思うぐらいのものすごい声量で歌っていた。
逆に言うと学生時代に友人がカラオケの歌った曲目を今でも覚えているって、、、一体

息子/奥田民生



その頃、大野君は音楽事務所に所属していて、
毎月何もしないで、
かなりの給料をもらっていると話していた。

いやいや、歌はうまいが
世の中にそんなうまい話がある訳が無いと、そのときはほぼ信じていなかった。


それからしばらくして、専門学校の1年生から2年生への進級の時期。
ちょうど今時期に大野君は学校を退学した。



彼を再び札幌で見かけたのは、
当時存在した札幌の音楽の祭典、MIX2002のライブ会場だ。

長くなったので次回につづくー



平凡/オーノキヨフミ



学生だった頃はあまり気にもしていなかったことですが、以前勤めていた札幌の北海道知事の認可を受けたデザイン系学校では常識的に考えられないことが日常で起きていました。ので、ゆっくりとここに書き留めておこうと思います。

この学校は2年制のデザイン系専門学校。
この2年間、授業の中でテストと呼ばれるものはほとんど無く、各授業で与えられた課題をこなしたことにより、課題の善し悪しで成績がつきます。2年の後期には卒業制作、いわゆる卒制というものを数ヶ月かけて制作し(大学で言うところの卒論のような)単位をもらって卒業するという流れですね。


そして卒業するための要素として「出席率」というものがあります。
これは卒業だけでなく、1年生から2年生に進級する時にも必要になる数字です。
年間に行われた授業総数に対して、出席した時間をパーセンテージで表したものが出席率。

私が勤めていた学校では最初80%以上が進級・卒業条件でしたが、85%、90%とその年々の3月頃に行われる来年度打ち合わせでボーダーラインがどんどん変わりました、というか上がりました。
これ、じつは、その時の先生方の打ち合わせのノリで決めています。なぜなら結局この数字はあまり意味をなさないから。
というのも、卒業認定するのに必要な受講時間というのが1700時間と定められてるんだっけかな。
結局のところ、出席率の足りない学生には学期末に「補講」が用意されているからです。

この補講は春休みなどの休み期間を利用して行われ、1日参加することに数パーセント出席率が回復する授業のこと。数パーセントといっても下手したら2週間、3週間分の授業を受けた事に出来ちゃう魔法の授業、非常に有効な手段というワケですね。

この補講を受けるために学生は学費とは別で費用を払います。

金銭を別途支払って、数週間分の授業に出た事になる補講。
内容はさぞ大変な事をやっているのかと思いきや、全然そんな事はなく、一例ですがビジュアルデザイン学科の場合は「写し絵・ぬりえ」が毎年の主な内容です。
一言でいえば、時間さえかければ誰でも出来ることをやります。

なぜなら、
補講に来るような学生は基本的に難しい事は出来ないから。

「写し絵・ぬりえ」はやるほうとしては時間が掛かって大変です。これをやり終わったとき「やり遂げた感」を味わう事ができ、やらせる側は、、まあ最初にやり方を説明したあとは教員が何もしなくても学生が勝手にやってくれる、出来るから。
これで大体の学生が難なく進級・卒業していきます。

どこの学校でも一緒かもしれないですが、
「学生=金づる=給料」ですから、万が一退学などされると金銭的に打撃を被ります。勤めていた学校では2年間で約200万円の学費を学校に支払ってくれるわけですから当然の論理かもしれないですが、、経営する側ではなく、教える側・評価する側としては複雑です。
アメとムチとアメとアメを駆使して学校生活を継続させる事は簡単ではありません。


長くなりましたが最後にもう一つ、これも金の話ですが
卒業するために必要な重要ポイントの最後、これは学費です。

色々な人がいるということは、当然各家庭の経済状況も様々です。

どんなに優秀で優れた学生でも学費が未納だったりすると卒業出来ません。
毎年必ずと言っていい程、特に問題の無い学生が学費未納で卒業保留になっていました。
卒業保留者も卒業認定者も毎年、職員室のある6階の廊下に名前が張り出されます。これは結構かわいそうでした。
これまた事情を知らないクラスメイトたちが「なぜあの子が卒業保留なんだ?」と先生に聞きにくるのも恒例行事ですね。

親御さんの皆さん、
きびしい時代ですが、我が子の教育.学校は計画的に。


さて、今日は専門学校の卒業についてのことについて書きました。
書いているうちにまた色々な出来事や不条理を思い出して来たのでまた近日ポストしますね~
思い出し笑いってのがあるけど、僕の場合は思い出し笑いだけじゃなく、思い出し反省や思い出し怒りってのもたくさんある。ふ、ふつうだよね?

つい最近した思い出し反省は、その昔教員だった頃のこと。


その学校は2年制の専門学校で入学面談ってのがあってさ。
願書を出して入学が決まっている子たちにたいして面談をするの。

書類はわかった、はい合格。だからちょっと顔見せに来いってワケ。


まあ専門学校は特にビジネスとしての教育だから願書さえだせば必ず合格するからね。
中には変なのとかもいるかもしれないから、事前にどんなもんか見とくってのが本音なのかな。

1日あたり6、7初対面が連続で続く1週間。
1人あたり30分程度の会話。
学校の説明とヒアリング。
個人差はあるにしてもだいたい無難に終わっていくわけだ。


そんな面談で反省したことがある。

担任を持つようになっての初年度のこと。

自分にとっての初めての担任としての入学面談だった年。


それまでは非常勤講師として学生からの人気は上々。
まあ単純に若くて年が近いから当たり前なんだけどさ。
よくわからない自身と自尊心に溢れていた事は確か、かな。


で、やってきたのはその頃のトレンド、コギャルちゃん。

面談を進めていく上で、色々と質問をするんだけど、ほぼ回答になっていないという状態。

時間だけが無駄に過ぎていく。

だんだんイライラしてきて、つい口にした言葉が
「はぁ~、こんなんで大丈夫かなぁ」


あとから聞いた話だけど、その子は
地方から来ていて、右も左もわからない状態。

春からの学校生活への憧れを糧にそこに来ていた。

緊張のさなか、初めて会った担任の先生から言われた言葉が

「はぁ~、こんなんで大丈夫かなぁ」


それから1年間。
その子にはまともに話をしてもらえず、まあ簡単に言うとグレられた。

ものすごく苦労した。2年目の春あたりから、
何かをきっかけに少し本音でお互い語り合うようなって、
なんでそんなに態度悪く対応するのかを聞けるようになった。


「はぁ~、こんなんで大丈夫かなぁ」
その言葉、そうとうこたえたんだって。
それで反発した。

そしたら若い教師は反発に力で切り返した。


そんな悪環境の中、更に悩み、退学を考えた事もあるそうだ。





その話を聞いて良かった、聞けて良かった。


深く反省した事、
いまでもごくたまーに思い出して反省しています。


そうそう、その子は立派に卒業して、自分の道を突き進んでいますよ。







うぉ!ブログ書いてたら思い出した!!
そういえばその子に貸したDVD返してもらってねぇ!!!!

うる星やつらのビューティフルドリーマー!
返せコノヤロー!orz