1.はじめに

 

 私ごとで恐縮だが、本日(7月21日)に実施された参議院議員選挙に一票を投じることができなかった。

 タイミングの妙が生み出したなかなか希有なケースだと思うので、その顛末を少し文章にしたい。

 

 

2.選挙人名簿の仕組み

 

 投票がかなわなかった理由は、「選挙人名簿」にある。

 そもそも「選挙人名簿」とは、市町村が有権者を把握するために、住民票の情報を元に作られる名簿である。選挙の際はもちろん、裁判員・検察審査員の候補者の選定やリコール等の際にも用いられる。このため、選挙の実務は選挙人名簿に基づいて行われており、選挙権を有している者(18歳以上の日本国民(公職選挙法9条1項))であっても、選挙人名簿に登録されていない者は投票を行うことができない。

 

公職選挙法

9条1項 日本国民で年齢満十八年以上の者は、衆議院議員及び参議院議員の選挙権を有する。

 

42条1項 選挙人名簿又は在外選挙人名簿に登録されていない者は、投票をすることができない。…

44条2項 選挙人は、選挙人名簿…の対照を経なければ、投票をすることができない。

 

 では、選挙人名簿への登録はどのような条件でなされるのか。

 選挙人名簿への登録は、毎年3,6,9,12月に、各月1日現在の住民基本台帳の記録を元に行われる(定時登録)ほか、選挙公示日の前日の記録を元にも行われる(選挙時登録)。この登録には、大きく2つのルールが存在する。

  1. 現在の市町村に住んで(転入して)3ヶ月以上が経っていれば、その市町村で投票できる。
  2. 1に当てはまらない場合でも、3ヶ月以上住んだ市町村を転出して4ヶ月が経過していなければ、前の市町村で投票できる。

 1のルールは、引っ越しなどの際に有名であるが、2のルールはあまり知られていない。それもそのはずで、実は2のルールは、2016年1月の公職選挙法改正で導入され、前回の参議院議員選挙から実施されているものなのである。

 実際に、2のルールで投票する場合には、かつての居住地に赴き、投票することになる。(住民票を下宿先に移さない学生がよく使う、「不在者投票」は、この場合には可能なのだろうか……?)

 

 

同法

19条2項 市町村の選挙管理委員会は、選挙人名簿の調製及び保管の任に当たるものとし、毎年三月、六月、九月及び十二月…並びに選挙を行う場合に、選挙人名簿の登録を行うものとする。

 

21条1項 選挙人名簿の登録は、当該市町村の区域内に住所を有する年齢満十八年以上の日本国民(…)で、その者に係る登録市町村等(…)の住民票が作成された日(…)から引き続き三箇月以上登録市町村等の住民基本台帳に記録されている者について行う。

21条2項 選挙人名簿の登録は、前項の規定によるほか、当該市町村の区域内から住所を移した年齢満十八年以上の日本国民のうち、その者に係る登録市町村等の住民票が作成された日から引き続き三箇月以上登録市町村等の住民基本台帳に記録されていた者であつて、登録市町村等の区域内に住所を有しなくなつた日後四箇月を経過しないものについて行う。

 

 

3.今回のケース

 

 さて、では今回のケースはどんなだったか。時系列に振り返ると、次のように整理できる。

  • 2019年2月14日 仙台市を転出 (卒業のため)
  • 2019年2月15日 藤枝市に転入 (実家に仮住まい)
  • 2019年4月4日 藤枝市を転出
  • 2019年4月7日 富士市に転入 (配属地での下宿開始) 

 この期間で、選挙人名簿の登録に関係するのは、3月1日参議院議員選挙の公示日の前日である7月3日である。

 

 しかし、3月1日現在で住民票があった藤枝市には、実家といえども、書類上は半月しか住んでいないことになっており、前述の1のルールを満たしていない。

 また、7月3日現在で住民票があった富士市も、書類上の居住期間が3ヶ月にわずかに足りておらず、前述の1のルールを満たしていない。

 さらに、3ヶ月以上(6年近く)住んでいた仙台市を転出してからも、7月3日時点で4ヶ月半の月日が経過している。これもわずかに2のルールを満たしていない。

 

 かくして私は、2016年の法改正の成果むなしく、参議院議員選挙に投票することができなかったのである。選挙権を有してから選挙には必ず一票投じてきたのに、こうした形で投票に赴けないというのは、いささか残念ではある。だが、なかなか得がたい体験を通して、選挙人名簿について詳しくなれたと思えば、今回の“投票棄権”は怪我の功名なのかもしれない。じっと富士山を眺めながら、選挙を促す防災無線の放送を聞いたことは、後から振り返ってちょっとした思い出くらいにはなるであろう。

 

 

4.余談という名のまとめ

 

 ただ、2016年の公職選挙法改正などに見られるように、国民の投票を促すように制度改正がなされているのは、高く評価できる。この20年で見ても、在外投票制度や期日前投票の拡大など、「投票当日投票所投票主義」を柔軟に捉え、多様な投票方法を認める動きが目立っている。また、いわゆる「一票の較差」の問題についても、近時、最高裁判所は投票価値の平等を厳格に捉え、立法府と再三にわたり「キャッチボール」を行ってきた。立法府の対応は決して十分とは言いがたいが、今回の参議院議員選挙では2つの合区が設定され、定数も増えている。その意味で、国民の一票の重みは、投票率の低下と反比例して、増してきているようにも見える。

 こうした流れの中で、今回のケースも全く無関係とはいえない案件だろう。もちろん、選挙の公正性との兼ね合いもあろうが、「投票する意思があるのに投票できない」という事態が少なくなるような制度設計が望ましいことは、論を俟たない。そういうわけで、最後に、最高裁判所の判決文を引用したい。

 

 国民の代表者である議員を選挙によって選定する国民の権利は、国民の国政への参加の機会を保障する基本的権利として、議会制民主主義の根幹を成すものであり、民主国家においては、一定の年齢に達した国民のすべてに平等に与えられるべきものである。…

 憲法の以上の趣旨にかんがみれば、自ら選挙の公正を害する行為をした者等の選挙権について一定の制限をすることは別として、国民の選挙権又はその行使を制限することは原則として許されず、国民の選挙権又はその行使を制限するためには、そのような制限をすることがやむを得ないと認められる事由がなければならないというべきである。そして、そのような制限をすることなしには選挙の公正を確保しつつ選挙権の行使を認めることが事実上不能ないし著しく困難であると認められる場合でない限り,上記のやむを得ない事由があるとはいえず、このような事由なしに国民の選挙権の行使を制限することは、憲法15条1項及び3項、43条1項並びに44条ただし書に違反するといわざるを得ない。

在外日本人選挙権制限規定違憲判決(2005年・最高裁) 

 

 

 

 

1.はじめに

 

 裁判員制度が始まったのは、2009年5月のことである。最初の裁判員裁判は、東京地裁で行われた。初公判の日には「法廷ではこのような審理が行われていた」と、テレビ局が生中継で興奮気味に伝えていた。この裁判は世間の大きな注目を集めたわけだが、それから10年近くの歳月が過ぎようとする中で、いまではすっかり裁判員裁判が騒がれるということはなくなってきた。

 

 だが、それもそのはずである。2018年3月末時点で、実に6万人超の裁判員が、1万2000人を超える被告人に対して判決を下してきたのである。その中には、35の死刑判決もある(裁判員制度ウェブサイトより)。裁判員制度は、すでに、司法の世界における「新参者」ではなくなりつつあるといえよう。

 

 実際に裁判所のウェブサイトを見ると、裁判員裁判が全国の地裁でごく日常的に行われていることがわかる。私の住む仙台でも、毎月のように裁判員裁判が行われている。そこで、タイトルの通り、平日にある程度の時間的余裕を作れる学生の特権を利用して、ある裁判員裁判を「通し」で見てみたいと思ったのである。(そして幸いにも、キャンパスから地裁までは、徒歩5分である。これからの人生でこういう機会が訪れることは、なかなかないであろう。)

 

 

2.裁判員裁判とは

 

 裁判員裁判が行われるかどうかは、各裁判所のウェブサイトで確認することができる(下の画像を参照。仙台地方裁判所ウェブサイトより)。そこには、事件名と問われる罪、公判が開かれる日、開廷時間、開廷する部屋番号が書かれている。裁判員裁判の対象となる事件は、①死刑か無期懲役・禁錮に当たる罪か、②法廷合議事件で、故意の犯罪行為により被害者を死亡させた罪にあたる事件である(裁判員の参加する刑事裁判に関する法律2条)。今回は、「現住建造物等放火」(最高刑は死刑(刑法108条))の事件(①)を傍聴することにした。

 

 

 この裁判の公判期日は、5月28日、29日、30日、6月1日、6月6日(判決)となっていた。審理は1~4回の公判で行われるので、月曜日から、平日はほとんど毎日審理を行い、1週間で結審するようになっている。なぜこのような公判の日程になるかというと、刑事訴訟法281条の6に、「裁判所は、審理に二日以上を要する事件については、できる限り、連日開廷し、継続して審理を行わなければならない。」と定められているからである。この条文ができるまで、日本の刑事裁判は「歯医者の治療」に例えられ、月に1~2回、とびとびに公判を開き、判決までに非常に長い時間がかかる傾向があった。しかし、これでは、他に仕事のある裁判員の負担が非常に大きくなってしまう。連日審理を行うことで、裁判員がいわば「裁判員休暇」をまとめてとれるようにし、必要以上に長期に渡って裁判員として拘束することを防いでいるわけである。また、かつては、「昔やった公判の証言を思い出せないから」と、裁判所に提出された証拠や証言の記録を読み返して、それをもとにして裁判官が判断を下しがちだった。連日公判を開くことは、こうした裁判の悪弊(「調書裁判」)を排す意味合いもあるとされている。

 

 ただ、このように短期集中で公判を行うためには、裁判の争点や証拠をあらかじめ整理する必要も出てくる。このため、裁判員裁判では、第1回公判の前に、こうした整理をする「公判前整理手続」を行わなければならないと規定されている。

 

 

3.開廷

 

 ウェブサイトには、10時開廷とあったので、9時45分頃に仙台地裁に着くように向かった。仙台地裁の法廷で被告人の男が傍聴人を刃物で切りつける事件(2017年6月)があったせいもあり、建物の入口では、厳重な手荷物検査が行われていた。私はベルトをしていたので、傍聴するときには毎回、金属探知機に引っ掛かってしまった。

 

 エレベーターで4階まで昇り、今回の裁判が行われる法廷(405号)に着く。法廷の入口には、その日行われる①公判の開始・終了予定時刻、②事件名・事件番号、③被告人の名前、④どのような審理を行う予定なのか、⑤担当部係、⑥裁判長の名前、⑦書記官の名前、が書かれた紙が貼られていた。通常、裁判員裁判以外の裁判はウェブサイトで公表されることはないので、裁判を傍聴しに来た人はこの表で目星をつけてから傍聴することになる。

 

 「傍聴人入口」と書かれたドアの方に進むと、立て看板が置いてあった。そこには、裁判員に接触することが禁じられている旨が書かれていた。裁判員が中立・公正に裁判に臨むために、裁判所も注意を払っているわけである。裁判員が暴力団関係者に声をかけられるという事件(2016年5月)も発生しているので、重要な注意書きであろう。

 

 開廷中ならば、法廷のドアはずっと開いている。法廷で審理が行われている最中でも、記者や傍聴人が出入りすることは許されており、想像以上に自由に出たり入ったりしていた。また、入口のドアにはのぞき窓が付いていて、傍聴席の様子を窺うことができるようにもなっている。満席の場合は、法廷に入ることはできないらしい。

 

 法廷に入ると、50くらいの傍聴席があり、その最前列(12席)が記者席となっていた。今回裁判となっている事件は、社会的にも注目されている事件のようで、初公判の傍聴席は7~8割埋まっていた。ただ、いつもそうだったわけではなく、10人弱しか傍聴人がいなかったときもあった。

 

 座って開廷を待っていると、入口からテレビカメラが入ってきた。裁判のニュースで法廷の映像がよく流れているが、いまからそれを撮るのだという。裁判所により、2分間の撮影が許可されていた。撮影は公判開始直前で、裁判官3名と検察官・弁護人・傍聴人が入った状態で行われた。ニュースの裏側を垣間見た気がして、少し呆気に取られてしまった。

                                                                                          

 この撮影は、裁判員のいない状態で行われる。無用な「顔バレ」を防ぐためであろう。そのため、撮影が終わってから一旦退室した裁判官は、後ろの扉から再度、裁判員と一緒に法廷に入ってくることになる。

 

 ちなみに、初公判では記者席でスケッチを描いている人が何人かいて、そのうちの一人が法廷を後にする際には、話を聞く被告人の様子が描かれたスケッチブックがちらっと見えた。このスケッチは、法廷のインサート映像とともに、夕方のローカルニュースで放送されていた。

 

 テレビカメラの撮影の後、被告人が法廷の左側の扉から入廷してきた。手錠と腰ひもをつけられた被告人が、2人の刑務官に連れられてきて、弁護人の横の席に座った。すると、裁判官・裁判員の席の前に座っている書記官が電話を手に取り、「被告人来ました」のようなことを伝えた後、刑務官に解錠を許可していた。この動きは、休憩後、再開するたびに毎回行われた。

 

 実は、これも裁判員への配慮であるそうだ。手錠と腰ひもによって、裁判員が被告人に悪い印象を持つことになりかねないため、裁判員が入ってくる前に解錠を行うことになっている。そのため、解錠の許可を電話で求めているのである。

 

 解錠してしばらくすると、裁判官・裁判員が入廷する。裁判長から順番に、3人の裁判官と6人の裁判員が正面後ろの扉から入ってくると、検察官・弁護人のみならず、傍聴人もみな起立して一礼する(これも休憩後に再開するとき、毎回ある)。裁判長が開廷を宣言して、いよいよ裁判が始まった。

 

 ちなみに、裁判員は、選挙権を持つ有権者の中からランダムに選任される。1つの裁判につき6人が選ばれ、この6人が職業裁判官3人とともに、審理したり、評議したりするのである。今回の裁判では、男女20~60代(目測)の裁判員が参加していた。服装は普段着で、裁判官を挟むように、図にあるような順番で座っていた。

 

 

 

4.冒頭手続

 

 さて、今回の事件は、2017年7月に発生した放火事件である。被告人は、深夜2時30分頃、自室の布団にジッポライターで火を点けて自宅を全焼させ、妻と長女、次男の3人を死亡させたとして、現住建造物放火罪に問われている。被告人は、この日の3時ころに自動車で逃走しているところを発見され、緊急逮捕された。この事件について報じた当時の新聞記事によると、殺人罪の適用も検討されたが、殺意が立証されなかったために見送られたと書かれていた。

 

 まず、裁判官が被告人を法廷の中央にある証言台(陳述台)の前に立たせた。ここで、裁判長は名前や本籍などを聞き、被告人と目の前にいる人が同一人物であるかを確かめた(「人定質問」)。

 

 それがすむと、次に検察官が起訴状を読み上げた(「起訴状朗読」)。起訴状には、今回の事件で検察官が起訴する根拠となる事実と、適用すべき条文(この事件の場合は、刑法108条)が書かれている。

 

 起訴状はそう長くなく、起訴に至った事実が淡々と書かれているに過ぎないものである。これは、起訴状に検察官の偏見が入り込むことで裁判官・裁判員にあらかじめ一方的に偏った心証を持たせないための工夫である。

 

 検察官が起訴状を読み終えると、裁判長が被告人には「黙秘権」があることを告げた(「黙秘権の告知」)。その上で、裁判長は、先に読み上げられた起訴状に間違いがないかを被告人に尋ねた(「罪状認否」)。被告人は起訴された事実を大筋で認めたが、起訴状にあった「(火をつけた後に)オイルを撒いた」という部分については、「覚えていない」と言った。弁護人も、被告人と同じ意見であるという。オイルを撒いたか否かが今回の裁判の争点の一つのようだ。

 

 

5.証拠調べ手続(1日目)

 

 以上の手続きが終わったところで、検察官と弁護人がそれぞれ20分ずつ、今回の裁判で主張したいことを述べた(「冒頭陳述」)。検察官は、起訴状に書かれていることよりも詳しく、今回の事件についての説明を行った。対して、弁護人は、被告人が反省し、厳罰になることを覚悟していることを述べた上で、被告人の刑が少しでも軽くなるような事情(情状。例えば、被告人はアルコール依存症で、犯行当時は酔っていため理性的な判断ができなかった、など)について説明した。どちらも、裁判員を意識して、わかりやすい言葉で順序だてて自らの主張をしており、裁判の傍聴に慣れていない私にとってもかなり親切な説明であった。

 

 休憩を挟んで11時から15時前までは、検察官による証拠調べが行われた。証拠は、現場や犯行に使われた物の写真や、消防車に取り付けられたドライブレコーダー、消防隊員や現場にいた家族、現場にいなかった家族の供述などだった。法廷の中(柵の向こう)にいる人たちは、モニターやイヤホンで確認しているようだったが、傍聴席からはどんな資料が示されているのかがわからないものもかなりあった。この中で、最も衝撃だったのは、妻の110番通報の内容である。妻は、子ども2人のいる部屋で、110番通報をしていたのだが、法廷では、その音声を文字におこしたものが検察官2人によって交互に朗読された。通話には、子どもの泣き声やパチパチと何かが焼ける音も記録されていたという。また、家族の供述調書はいずれも切実で、当時の状況や被告人を厳罰に処してほしいという気持ちが赤裸々に語られていた。

 

 ちなみに、原則として、刑事裁判はこうした供述調書などをそのまま証拠とすることができないことになっている。それは、検察官の一方的な尋問に基づく供述では、証拠として十分信用されないからである。つまり、嘘を言えば偽証になる法廷において、弁護人からも質問される状況で証言することにより、初めて「証拠」として信用されると考えられている。

 

 ただし、検察官と弁護人の双方で争いのない部分については、弁護人が同意することでこうした供述調書も例外として裁判の証拠とすることができる。今回は、被告人・弁護人も、被告人が放火をしたことについては認めているので、その部分については供述調書を「証拠」として認めたのであろう。実際、第4回公判の午前中には、火災の専門家が証人として出廷し、オイルを撒いたか否かについて、検察官・弁護人双方から尋問を受けて、法廷で証言している。

 

 

 今回の裁判では、動機も争点の一つとなった。検察官は、家庭や職場でのトラブルが動機であると主張したが、弁護人は職場でのトラブルはなかったと主張したいようである。そこで、続いて15時ころからは、1人目の証人尋問が行われ、被告人が正社員として勤務していた店で、パートをしていた従業員が出廷した。そこでは、検察官と弁護人が、被告人の勤務態度や、犯行の2日前に起きた小さなトラブルについて、各20分ほどの尋問を行った。そして、16時ころからは裁判官・裁判員からの尋問が行われるとのことだった。(ただ、私は用事があり、16時頃に裁判所をあとにした。)

 

 このような「証言」も、前述の写真やドライブレコーダーなどと同様、この裁判において証拠として扱われることになる。

 

 

6.証拠調べ手続(2日目)

 

 2日目も、公判は10時から17時まで開かれた。前日に引き続き、証人尋問から始まった。

 

 今回の裁判の大きな争点の一つが、被告人がオイルを撒いたか否かであることは、前に述べたとおりである。だが、実は現場検証では、明確にオイルを撒いた証拠が見つかったわけではないという。では、なぜ検察官はオイルを撒いたと主張しているのか。検察官は、その根拠の一つとして、逮捕直後に行われた取り調べなどで、被告人がオイルを撒いたことを示唆する供述をしていたことを挙げている。

 

 もちろん、被告人や弁護人は「オイルを撒いた」という事実に疑問を持っており、この供述の信用性も疑っているわけである。そこで、この日の裁判は、取り調べなどを行った警察官への証人尋問から始まった。

 

 最初に証言台に立ったのは、被告人を緊急逮捕した当直の警察官だった。逮捕の直前に行われた職務質問についての証言を行った。この証人によると、被告人はジェスチャーをつけて、オイルを撒いたと供述したという。検察官と弁護人の双方も、どのように供述したのかを、細かく訊いていた(例えば、オイルを持つジェスチャーをした時の指と指の間は何センチくらいだったか、など)。

 

 続いて、11時からは、裁判官・裁判員による尋問が行われたが、意外にも、この尋問は長くなく、10分程度で終わった。刑事裁判は、裁判官が事実を積極的に調べていくのではなく、検察官と弁護人のやり取りをもとに、どちらの主張が説得力を持つのかで判断するというやり方を採っている(「当事者主義」)。裁判官・裁判員の尋問は、検察官・弁護人の尋問で不明な点を確認するという意味合いが強いようである。

 

 ここで特筆すべきは、私が初めて裁判員の声を聞いたことである。ここでは、ある裁判員が、逮捕された時の様子を訊いていた。

 

 

 裁判官・裁判員の尋問が終わると、次に、被告人に最初に取り調べを行った警察官が証言台に立った。被告人は3時過ぎに緊急逮捕されるのだが、その後、3時30分過ぎに警察署で最初の取り調べを受けている。この最初の取り調べのことを、「弁解録取」といい、その際に作られる書類を「弁解録取書」というらしい。刑事訴訟法では、「司法警察員(注:原則として巡査部長以上の警察官)は、逮捕状により被疑者を逮捕したとき、又は逮捕状により逮捕された被疑者を受け取つたときは、直ちに犯罪事実の要旨及び弁護人を選任することができる旨を告げた上、弁解の機会を与え(中略)なければならない。」(203条1項)と定められている。この取り調べは30分程度行われたそうだ。証人曰く、弁解録取では、被告人の供述が自分の知っている状態と違っていても、それに合わせて尋問することはなく、できるだけ自由に喋ってもらうように心がけているとのことだった。また、この証人は、弁解録取の後も、5時30分頃から1時間超の取り調べをしているという。

 

 この証人尋問は、これら2回の取り調べの内容について行われた。ここでも、被告人はオイルを撒いたことを示唆する供述をしていたとの証言がなされた。また、証人はこの事件が殺人事件となりうると思い、動機の面を中心に取り調べをしたことも述べていた。この証人への尋問は、昼休憩を挟んで14時頃まで行われた。

 

 普段気にかけることは少ないが、2人の証人への尋問を通じて、警察による捜査が犯罪からわずかな時間で粛々と行われているということを、図らずも知ることになった。被疑者の身柄を検察に送るまでに警察に与えられた時間は最大48時間。起訴までに行える取り調べは、最大で23日間である。記憶がどんどんあやふやになることも考えると、改めて、捜査が「時間との勝負」であることもよくわかった。

 

 

 そして、14時頃からは、いよいよ「被告人質問」が始まった。当たり前のことだが、事件を起こしたのは被告人であるので、尋問も直接事件と関わる重要なものが多い。

 

 主として、犯行当時の事実関係についての尋問が行われた。法廷の雰囲気も息をのむような感じとなった。被告人は尋問に対して、アルコールのせいで犯行前後の記憶がないと、肝心のところについての明言は避けた格好だった。それに対して、検察官は、供述調書などをもとに、被告人の記憶について尋問していた。検察官・弁護人と被告人とのやり取りの中では、「事実」と、「その時に思っていたこと」(これも事実)、「いま考えてみてその時どう思っていたと思うか」(これは憶測)の3つがごちゃ混ぜになって訊いたり答えたりされていた。私は混乱した状態のまま、傍聴席でこのやり取りを聞いていた。ただ、要所で、裁判長が割って入って、いま訊いているのは何についてなのか、と検察官や弁護人に確認をしていたので、ときどき頭が整理された。裁判長の確認は、きっと裁判員にも大いに役に立っていたと思う。

 

 被告人質問は、これまでとは逆に、弁護人→検察官の順番で行われた。検察官の被告人質問は16時15分くらいに終わった。

 

 続いて、16時45分からは裁判官・裁判員の被告人質問が行われた。裁判長は、事前に一応決めていた順番で裁判員や裁判官を指していた。ここでは、4人の裁判員が被告人に質問していた。それぞれ、自分の気になったところを質問していたように見うけられた。裁判員の質問の後に、3人の裁判官からの被告人質問が行われた。裁判官は、被告人の記憶について鋭く追及していて、いっそう張り詰めた空気が流れていたように感じられた。緊迫するやり取りが続き、結局17時過ぎに、2日目の公判は終了した。

 

 

7.証拠調べ手続(3日目)

 

 第3回公判は、水曜日に行われた。この日は外せない用事があり、終日傍聴できなかったため、何が行われたのかもはっきりとはわからない。しかし、第4回公判での検察官や弁護人の主張(論告や最終弁論)から、ある程度のことは逆算して知ることができたので、以下では、あくまで推測と断った上でわかる範囲のことを書くことにしたい。

 

 この日は、弁護人が、被告人がアルコール依存症であり、それが犯行の一因となったとする証言を得るために、精神保健福祉士への証人尋問が行われたという。4で書いたように、弁護人は、被告人がアルコール依存症で、犯行当時は酔っていて理性的な判断ができなかったことを証明し、被告人の刑が少しでも軽くなるように主張したいわけである。そこで、被告人がアルコール依存症であったという「情状」を立証するために、証人尋問を行ったわけである。

 

 この証人は、被告人はアルコール依存症の疑いがあることを証言したという。ただし、証人は医師ではないため、アルコール依存症の診断をしたわけではなく、裁判長とのやり取りでも医学的知識について答えに詰まるところがあったらしい。

 

 

8.証拠調べ手続(4日目)

 

 第4回公判は、1日おいて金曜日に開かれた。この日も午前中に外せない予定があったので、第3回公判と同様に、わかる範囲で書くことにしたい。

 

 この日の午前中は、火災の専門家への証人尋問が行われたという。オイルが撒かれたか否かというこの裁判の重要な争点について、科学的な知見から証言が行われた。この証言の中には、オイルは燃えた後に残らない可能性があり、短時間であれだけの燃焼になったことを踏まえるとオイルが撒かれたと考えられる、という検察側に有利な証言があった。一方で、熱でオイル缶が膨張して噴き出る可能性もある、という弁護側に有利な証言もあったようである。

 

 

9.遺族の意見陳述

 

 用事が終わり、私は13時過ぎに裁判所に着いた。午後の法廷が再開したのは、13時30分で、裁判長から「意見陳述をお願いします」と促されると、傍聴席から一人の女性が入廷してきた。この女性は、被告人の妻の妹で、初日の供述調書でも登場していた方であった。

 

 妹さんは、裁判官・裁判員に向かって、手紙を涙ながらに読んでいた。被告人とはもう顔を合わせたくなく、一生刑務所にいてほしい、と。心の支えだった姉を失った辛さを訴えたものだった。妹さんの陳述の後、被告人の妻の弟も意見陳述した。弟さんも涙ながらに訴え、最後ははっきりと「終身刑にしてほしい」と述べていた。

 

 この意見陳述は、刑事訴訟法に「裁判所は、被害者等又は当該被害者の法定代理人から、被害に関する心情その他の被告事件に関する意見の陳述の申出があるときは、公判期日において、その意見を陳述させるものとする。」(292条の2)と定められているものである。

 

 裁判員裁判において、こうした被害者などの意見陳述は、裁判員を感情的に動揺させ、刑を重く判断させてしまうのではないかという議論もある。その意味が傍聴席からでもよくわかる。ただ、こうした被害者がいるというリアリティを受け止めた上で判決を下すことも、事件の肉感を知るためにも必要なことであると思う。被害者や遺族にとっては、被告人の前で意見を述べることは辛いと思われるが、それでも被告人を裁く裁判官・裁判員に意見を伝えておきたいという思いで法廷に足を運ぶのだろう。わすか15分足らずのことだったが、非常に重要な時間であった。

 

 なお、2007年には「被害者参加」制度を導入する法改正が行われ、裁判所が認めた場合には、被害者や遺族は、「被害者参加人」として検察官の横に座り、被告人や証人に対して質問したり、意見を述べたりすることもできるようになっている。これらは、先日解散することになった「全国犯罪被害者の会」が、犯罪被害者の問題を訴え続けてきた成果に他ならない。この傍聴で、改めてこの会の果たした意義の大きさを知ることとなった。

 

 

10.弁論手続

 

 少し時間が空いて、15時10分から「弁論手続」が始まった。この弁論手続では、これまでの裁判での証拠調べをもとに、検察官と弁護人がこの事件についての意見を言うものである。

 

 検察官が事実や法律の適用についての意見を述べることを「論告」という。そして、その最後に、検察官はこの被告人に対してどのような刑罰を科せばよいと考えているのかを述べる(「求刑」)。対して、弁護人が意見を述べることを「最終弁論」といい、主に被告人の情状についての意見が述べられる。今回の裁判では、検察官・弁護人の双方が、裁判官・裁判員に意見の論点が整理されたメモを渡し、それをもとに各30分程度の意見が述べられた。

 

 今回の事件では、放火したという事実については争いがないので、被告人にどのような刑罰を科せばよいのか(「量刑」)が問題となる。

 

 量刑は、行為責任によって決まるそうで、検察官は論告の中で、「行為の態様」「結果」「意思(動機)」の順に、被告人の行為責任の大きさを淡々と説明していた。「行為の態様」とは、いかにその行為に危険性があったかということである。この場合では、大きな被害が出るとわかって火をつけたことや、救助や通報をしなかったことなどである。「行為の結果」とは、被告人のした行為がいかに重大な結果をもたらしたかということである。この場合では、3人が亡くなり、家族の住む場所が奪われたことなどである。「行為の意思(動機)」とは、被告人が行為に及んだ理由である。検察官は、「何もかも面白くなかった」という被告人の供述から、腹いせで放火するという発想は身勝手で短絡的である、と主張した。

 

 そして、弁護人の主張するであろう情状は、罪を軽くする要素になりがたいと述べ、最後に、懲役20年を求刑した。有期刑は原則20年以下なので、検察官は有期刑では最長の期間を求刑したわけである。

 

 この量刑を出すにあたっては、「量刑検索システム」というものを使うのだという。これは、ある条件の下でどのような量刑の判決が出たのかを見ることができるシステムなのだそうだ。検察官は求刑する際に、「こういう条件で検索して、こうした事例が出て、云々……」と説明しており、また、弁護人も最終弁論でこのシステムについて触れていた。裁判員裁判においては量刑判断が難しいとはよく言われていることだが、裁判員もこうしたシステムを見た上で判断しているのだという。こんなシステムがあったこと自体を初めて知った私は、少し意外な印象を受けたのだが、刑の公平性を考える上では必要不可欠なシステムであろう。

 

 その次に、弁護人が最終弁論を行った。ここでは、主に被告人の情状についての意見が述べられた。動機の面では、被告人が職場や家庭のストレスを感じていたわけではなかったことや、幼少期のいじめやアルコール依存症の影響が述べられた。また、犯行は計画的ではなく、妻子3人が逃げられる可能性はあったとも主張し、量刑については懲役15年を求めた。

 

 論告と最終弁論が終わると、最後に被告人に意見を述べる機会が与えられた(「被告人の最終陳述」)。被告人は、「大勢の人に迷惑をかけた。死んだ妻や子どもに申し訳ない」と、涙声で、反省を述べた。

 

 そして、被告人の意見陳述が終わると、裁判長はこれで審理が終わった旨を述べ、判決期日を宣告した。これをもって、全ての審理の手続きが終了した(「結審」)。

 

 

11.判決

 

 6月6日、15時30分から判決公判が始まった。初公判の日や結審の日と同様、開廷前にテレビカメラの撮影が行われた。その後、被告人が左の扉から法廷に入り、続いて、裁判官・裁判員が後ろの扉から法廷に入ってきた。重い雰囲気の中、裁判長は、被告人を証言台の前に立つように促す。

 

 「主文。被告人を懲役19年に処する。」と裁判長は判決を読み始めた。続いて、未決勾留日数のうち230日を刑に算入し、被告人には訴訟費用を負担させないことを述べた。未決勾留日数とは、逮捕から判決までに身柄を拘束された日数のことである。そのうち230日を刑に算入するということは、実際に刑務所で服役する期間が19年から230日を引いた期間になるということを意味する。

 

 裁判長は主文の後に、裁判所が今回の判断をした理由を述べている。

 

 まず、裁判所は、被告人がオイルを撒いたという事実を認定した。火災の専門家は、助燃剤がなければこのように短時間に燃焼することはないと証言したわけだが、裁判所はこの証言を合理的で疑いはないと判断した。また、被告人が逮捕直前や直後にオイルを撒いたことを示唆したことを、自発的な供述で、自然で信用できると判断した。

 

 また、裁判長は、量刑の理由として、犯行時、家には亡くなった3人を含めて7人の家族がいたが、被告人は火事を知らせたり救助したりしなかったこと、隣家への延焼の危険が高かったこと、などを指摘した。また、動機については、判然としないが、家庭のトラブルを背景とした思慮分別の欠いた犯行であったと述べた。

 

 その上で、落ち度のない妊娠中の妻と、子ども2人が焼死した結果は重大であると結論づけたのである。

 

 他方で、被告人は真摯に反省しているとは言えないが、出所後に治療を約束していることにも触れていた。

 

 理由を述べ終えると、裁判長は「あなたは、事件の重みは理解しているか。もう一回振り返ってみてください。」と説諭した。被告人は、うなずいていた。

 

 そして、裁判長が、この裁判に不服がある場合には、判決の日を含めて15日以内に控訴するようにと述べて、1審での裁判は終結した。時計の針は、15時40分過ぎだった。

 

 この判決は、量刑も含めて、第4回公判(先週金曜)から判決公判の日までに、裁判官・裁判員の「評議」によって決められたものである。判決理由で検察官の主張の多くが認められる結果となったことからも、裁判官・裁判員が、被告人にとっては厳しい判決を下したことが窺える。

 

 

12.まとめ

 

 裁判を振り返ると、一見関係ないように見える証拠が、争点に関わる重要な証拠の裏付けの証拠だったりすることが何度もあった。検察官と弁護人の双方が、緻密に証拠を積み重ねていく様子を見て、刑事裁判にとって「証拠」がいかに重要かを肌で感じることができた。

 

 そして、この「証拠」をもとに、裁判官・裁判員は、被告人が有罪か無罪か、また有罪ならどの程度の刑が適当かを決めるのである。私は、証拠となる資料や映像を一部しか見ることができなかったわけだが、証拠が法廷で示されたり、証人や被告人が検察官・弁護人双方からの問いに答えたりする様子を見る中で、少しずつ「事実」の輪郭がわかっていくように思えた。

 

 

 最終的に、裁判官3人と裁判員6人は、評議を行った上で、証拠に基づいて懲役19年という判決を言い渡すに至った。評議は非公表で、裁判員には守秘義務が課されている。そのため、どのような議論が行われ、誰がどのような判断をしたのかについては、裁判官と裁判員以外は知ることができない。ただ、判決翌日の新聞には、判決の後に行われた会見で、この裁判の裁判員だった男性が述べた感想が掲載されていた。

 

 「被告は法廷で笑顔を見せたり、きちんと事件を受け止めているのか分からなかった。」(2018年6月7日 毎日・宮城面)

 

 正直言って、私も同じような感想を抱いた。被告人が反省しているかは、法廷での様子や言葉からだけではわからない。最後の被告人の意見陳述では、涙ながらに謝罪の気持ちを示していたが、それだけでは信用できないと感じさせるような様子も、審理を通じて何回か見うけられた。

 

 19年という歳月が短いとは決して思わないが、ただ、何の落ち度もない亡くなった妻子のことを思うと、複雑な気持ちになる。いくら「量刑検索システム」があっても、人を裁くことは簡単なことではない。裁判員は、審理で「事実」と向き合うだけでなく、「被告人」とも向き合わなければならない。

 

 多くの裁判員にとって、人を裁くという判断を行うのは一度きりのことであろうが、こうした一度きりは、一つの事件につき6人分ある。そして、これまでに6万人を超える人々が、この一度きりの判断を行ってきたのである。

 

 裁判員裁判が始まってから9年間の月日が流れたわけだが、私は今回の傍聴を通じて、その意味するところを、新鮮に考えることができたように思えた。

 

 

13.追記

 

 裁判の傍聴自体が、私にとってほとんど初めての経験だった。それゆえ、裁判の段取りや法廷で飛び交う用語などは、わからないものだらけであり、帰宅してから本やインターネットで調べることもしばしばであった。また、せっかくの貴重な体験なので、記憶が定かなうちに、とその日の公判で起きたことや私が感じたことを、調べた内容も交えながらワードに書き綴った。上の文章は、その内容をもとにまとめたものである。

 

 そのため、裁判員裁判に関する説明が淡々となされている箇所も多いのだが、いずれも、本やインターネットで調べ、法廷で起きたことを後から自分なりに咀嚼してまとめたものである。くどくなるので書き直さなかったが、本当は、説明の全ての語尾に「らしい」とか「そうだ」とかを書き足したいくらいである。また、条文を引用したところを除いては、原則として制度に関する条文を示すこともしていない。勉強不足ゆえの間違いや的外れがあったら、ご容赦いただきたい。

 

 なお、今回の文章を書くに当たっては、『現代の裁判 第7版』(市川正人ほか著、有斐閣、2017年)を大いに参考にし、いくつかの説明では言葉を引用したことを最後に付記する。

「赤いヒモ」と国境地域

 

 五郎「あすこに見えるのがロシア領か」/純「ああ、クナシリだ」/五郎「そうすっとその間に、国境線があるわけだな」/純「――ああ」/ 間 /五郎「国境線てのは何かい。赤いヒモかなンか張ってあるンかい」(倉本聰『北の国から‘02遺言』(理論社)より)

 

 以上は、ドラマ『北の国から』シリーズのワンシーンである。そして、これを素材に国家を論じるというのは、筆者が大学生の頃に受講した憲法学の授業のウケウリである。もちろん、五郎さんの言うような「赤いヒモ」は国境には引かれていない(北方領土問題は、差し当たり問題としない)わけだが、そこには確かに国境“線”が存在している。

 

 四方を海に囲まれた日本において、このような形で国境線を意識できる場所は貴重だ。先の戦争以降、わが国には陸続きの国境線はない。また、主権の及ぶ範囲は海岸線から12海里先までであるが、12海里を待たずしてわが国の領海と他国の領海が衝突する箇所は、宗谷海峡や対馬海峡など数えるほどである。つまり、語弊があるかもしれないが、日本の大部分における国境線は、領海と公海(排他的経済水域(EEZ)を含む)との境であるということができるかもしれない。

 

 こう説明すると、日本本土の海岸線の多くが国境線の基点となっているように思えるが、実はそうではない。1996年に発効した国連海洋法条約を基に、同年改正された領海及び接続水域に関する法律(旧・領海法)の2条2項には、「直線基線」という概念が規定されている。領海などを引く基準となる「基線」は本来「低潮線」(干潮時の海岸線)なのだが、条約では、「沿岸国は海岸が著しく曲折しているか、海岸に沿って至近距離に一連の島がある場所においては、領海の範囲を測定するための基線として、適当な地点を結ぶ直線基線の方法を用いることが」できるとされている(海上保安庁ウェブサイトより)。つまり、海上を走る一本の線を基にし、そこから外側12海里に領海と公海を分かつ線が引かれているのである。この結び方については国際的に異論があるところであるが、わが国では本土全体を覆うように、岬や離島を結んだ14本の直線基線が結ばれている。話に戻すならば、こうした直線基線を紡ぐ点こそが「国境線の基点」と呼ぶにふさわしい場所なのである。

 

 となると、身近なところに直線基線を紡ぐ点がないか、探したくなってくる。インターネットで検索してみると、直線基線を地図で記している海上保安庁ウェブサイトに行き当たり、住まいのある東北地方太平洋側にも直線基線を構成するいくつかの点があることが分かった。そこで、筆者は夏の終わりのある日、福島県相馬市の鵜ノ尾埼を訪れることにした。残念ながら、岬へは東日本大震災後の工事の関係で近づくことが難しかったが、灯台の近くの砂浜から北を見ると、仙台湾をはさんで向こう側にある金華山が太平洋上に浮かんでいるのが見えた。おぼろげな金華山を視認した時に、冒頭の五郎さんでないけれども、目には見えないながらも大きな権力を帯びた「赤いヒモ」が脳裏にイメージとして立ち現れてきたのであった。太平洋側ゆえに、緊張感は比較的希薄であるかもしれないが、国家の端っこがここにあることを感じられたわけである。

 

 国境が複数の国家を前提とした概念であることからもうかがえるが、こうした意味での国境も国際関係の緊迫と全く無関係であるはずがない。政府も、隣国との領土をめぐる紛争や日本海側で続く北朝鮮の不審船問題などに関心を寄せており、ここ数年でいくつかの法律が制定され、海上保安庁による警備等も強化されている。

 

 その一つが2010年に成立した低潮線保全法である。この法律は、EEZ等の外縁の根拠となる低潮線の一部を低潮線保全区域に設定し、EEZ等が失われないように開発などを規制することを目的としたものである。直線基線のうち外に膨らんでいるところや離島を中心に、全国で185区域が保全区域として指定されており、周知のための看板の設置や海上保安庁による巡視・調査が行われている。鵜ノ尾埼から見えた金華山も、実はこの保全区域の一つである。

 

 また、2016年には、有人国境離島法という法律も制定された。有人離島とは、領海の基礎をなす基線や直線基線を有する日本国民が居住する離島のことである。この法律では、有人離島のうち、特に環境整備を要するとされた離島を「特定有人国境離島」(15地域71島)に指定している。翌年には、特定有人国境離島を「国境の島」と銘打ち、内閣府が「国境へ行こう!!プロジェクト」を立ち上げた。「国境の島」を多くの人が訪れることで島の経済を活性化し、全国の離島が頭を抱える人口減少を食い止めることがねらいのようである。プロジェクトのウェブサイトには、71の島の見どころや綺麗な景色、島で暮らす人々のエッセイが掲載されている。

 

 ここで重要なのは、このプロジェクトの背後に、国境を守るためにはそこで生活が営まれなければならないという思想が隠れていることである。たしかに、近時は安全保障上の脅威により、「国境の島」がその緊張の中に巻き込まれている事例(鹿児島県の馬毛島など)もある。高校の学習指導要領の改訂案で領土問題についての記述が増えたことも、こうした事情によるところが大きいだろう。だが、領土問題に絡めて単に脅威を扇動するだけでは、島における日常生活を困難にし、かえって安全保障環境を悪化させてしまうおそれがある。

 

 「国境学」の研究者である岩下明裕氏は、韓国から多くの観光客が訪れている対馬が危ないという主張に対して、対馬の豊かな文化や自然について述べた上で、「『対馬が危ない』のは韓国人が押し寄せるからではない。あなたが行かないからだ」と喝破している(岩下明裕『入門 国境学』(中公新書)より)。そして、岩下氏は、「国境」ではなく「国境地域」に着目し、二つの国を中継する国境地域が持っている「違う日本」を感じることの魅力を力説している。その上で、「ボーダーツーリズム」を、こうした国境地域で国境に限られない「ボーダー」に身体感覚として気づき、それを考える機会であると論じている。

 

 日本の端っこにおいて、「違う日本」を発見することは、「日本」というものの理解を一面的な価値観から解放し、国境地域を含めた複数の公共圏を包摂していくことにもなる。日本国の象徴としての天皇が島々の訪問を繰り返してきた理由もそこにあるかもしれない。国境という「赤いヒモ」を頭に描きつつも、そのヒモだけに拘泥してはならない。ヒモの辺りの地域に身を置いて、そこから海を眺めるという主観的な思考・想像や体験こそが、これからのあるべき「領土」に関する教育であるように思えてならない。

 

 (2018年2月20日)