いえーい、なかなか冷めないてぃーごだよ。
自分より年上の人を敬う必要があるのかどうかって感じの話だよ。
自分より年下の奴にむかつくことってあるじゃない?
俺もよくあるんだけどさ、でもなんだか後でちっせーなって思っちゃうんだよねーー
そもそも、年の功って歳に比例した才能や経験を敬う言葉で、
「亀の甲より年の劫」っていう慣用表現とかにもなってるみたいなんだけど(使ったことはない)、
「経験してるだけのことはありますね」って言われても正直嬉しくなくない?
それって逆に嫌じゃない?
でもだからといって敬われないのも嫌ってそれなんてわがままなんだよって思うんですーー。
俺なんて薄っぺらい人間が敬われるとか馬鹿なんじゃないのってあとから感じるんですーー。
だから俺はよくあきらめるっつーか、まあ別に敬われる必要はないかなーって思うんだけど。
で、逆に自分より年上の人を見たときに、
「こいつほんとに年上かよ」って感じの人とかいるじゃないですか。どうしても。
やっぱ長く生きてても経験が薄っぺらかったらそれまでの人間でしかないじゃないですか。
そういうのを相手に感じてしまったときに、自分を恥じる必要があるんかなって思ったのよ。
あ、今の気持ち失礼だなーとか、そういうのを感じるべきなのかそうじゃないのかみたいな。
そもそも自分より経験が豊富な人はさ、自然と尊敬の念が湧くじゃないですか。
だから年とか気にする前に普通に敬うし、多くの年上の方には自然とそうなるんですが。
年下だって尊敬するし、タメだって敬語使いたくなるし。
それなのにわざわざ年の功って、それなんですかって。古参はそんなに偉いんすかって。
だから、自分の気持ちまで年功に染められる必要はないと思うんです。
年功は人間関係を円滑に保つために表面上敬うだけのもので、
ダメな人をダメだなって感じるのは決して悪いことじゃないと思うんです。
まあなんだかんだ自分より年上の人は凄く見えるものですけどねーー。
年下が先輩だったりするような世の中ですが、先に経験してる人は凄く見えますよねやっぱ。
まあそれだけ頭が固くなってしまうというのもありますけども。
過去なんてどうだっていいんです、大切なのは今どうあるかでしょう。
現状の才能で評価されるべきだろうし、そうすることに間違いはないと考えます。
そうされると過去の栄光にすがりがちな僕はゴミクズ同然なんですけどね。
あと、こっからは関係ないんですが思い浮かんだことをずらずら雑記。
過去やサンクコストを評価に含むことは愚かである。
同じ失敗を二度するのは無意味なことだが、恐れて何もしないことほど生産性のないことはない。
やった後悔とやらなかった後悔。やっちまった後悔と何もしなかった後悔。するべきかしないべきか。後悔する前提で行動すべきなのか。どのくらいの確率で後悔するのか。期待値や期待効用。
受け入れられないものを受け入れる必要はない。だからといってすべてを捨てる必要もない。どんなに好きなものでも嫌な部分はある。対象損失は前提。無理に愛してはいけない、嫌いな部分は嫌いだと認めた方がいい。
自己分析は自分を理解するうえで役に立つが、自分を理解することが人生に役立つとは限らない。
知っていることは偉いことではない。
怒りより愛しさを。
感情での躾。愛情での躾。
信じること 信用すること 頼ること 頼れること 信頼すること