病院帰り、家の近くに居る奥さんの祖父母の家へ先に帰る。
奥さんは生粋のじっちゃんばっちゃん子で
祖父母も奥さんを孫というより我が子のように可愛いがっていた。
自分もじっちゃんばっちゃん子なもんで奥さんの祖父母が大好きやし、祖父母も孫婿である自分も可愛いがってくれた★
この度のことで心配している祖父母に顔を見せ、今日の事を報告しに行った。
無論、祖父母にも奥さんの病名はこの時点で伏せておいた。
明日の検査結果説明はばっちゃんだけがくる。
じっちゃんは行かないと言ってるようだ。
耳が遠いので行っても事にならんと、
お義父さんばっちゃんが行くなら後で教えてくれと言う。
…一理あるが、じっちゃんの思いはおそらく
結果を受けて大事でなかったのならそれでよし、もしそうだったなら…やはり不安だったのかなって。
祖父母とバイバイしてから会社の上司にも報告。事の説明をして急ながら明日おやすみをいただくべくお願いの電話。。
後にこの上司が自分ら夫婦の心の救いとなる。
……………
…いつもなら、
家に帰れば温かい明かりが灯っていて
夕飯の支度やお風呂が沸いていて、
「おかえりヽ(´▽`)/」
と迎えてくれる笑顔があった。
でも。当たり前なんだが玄関のカギを開け戸を開いた部屋に明かりはなく、
人気(ひとけ)のない空間の冷たい静寂、温もりのない寒い暗闇の中に帰宅した。
それだけで心が滅入りそうだった。
すぐに明かりをつけ、普段あまり観もしないテレビをつけ静寂を払った。
明日、本人を交えてこの結果を宣告される。
末期ガン、転移有り。
このご時世、さすがの奥さんも様々なメディアを通してどういう末路を辿るかを知らぬほど箱入りのあっぱっぱ~じゃない。
とてもじゃないが奥さんの精神が耐えられないと心得ていた自分は、とにかくその後のケアと絶望を払拭するための"活路"を考えるべく
まずは治療をどこで受けるがいいのかを調べに調べ夜は更けていった…
……………
翌日、面会時間よりも早く病院へ。
先生から指定された時間はずいぶん先だったが、奥さんひとりで心細かったろうと。
まぁ、奥さんに怒られちゃいますたが←
いかなウソ、隠し事も嫌う奥さんのこと、
ルールとか規則とかにもうるs…厳しいのです
(`・ω・´)
てか、ご家族は面会時間適用外です!…たぶん
病室は団体部屋てことで小声でモソモソやりとり。
人と比べて脈が見えにくい奥さん。
加えてアザとか"内傷"が出やすいため、点滴打ちを何度か試みられた"跡"が痛々しい。
そのうち、ばっちゃんとお義父さんも来院。
お義父さん、久しぶりにお会いしたがお元気そうだった。
奥さんとも久しぶりに会ったわけだが、
まぁそこは親子だからねぇ~、、♪
ただ、こんな形での再会てのはなんとも複雑な心境。。
…時間になって看護師さんが呼びにいらしていよいよ先生の説明。
通されたのは面談室。
長い会議机とPC、人数分の椅子が用意されており、
奥さん・自分・お義父さん・ばっちゃんと。
みんなで入れば少々狭い感じやった。
少しして先生と助手?がいらっさり、奥さんは緊張とも不安ともとれるお顔で迎える。
大丈夫だろうか、、
奥さんの事と、先生に釘をさしておいた事の双方で。
先生の自己紹介もそこそこに、検査結果を説明すべく胃カメラの画像が写し出される。
先生の解説をふまえ、まずは食道あたりから順々に進んでいく…
ピンクともオレンジとも、またはその両方が混じったような鮮やかな人体内特有の色、キレイ。。
そして、胃の下部に差し掛かったあたりの画面がモニタに出た瞬間ギョッとした。
それはここまで見てきた人体内色の中にあって
胃壁の大部分は炭で汚されたように黒く染まり、またそこから滲み出る鮮やかな"赤"を確認できたからだ。
素人でも一目瞭然、その部分は明らかに異色かつ異形。
先生は言う。
「ここの大きな黒い部分、"潰瘍性病変"といって
実に胃の下部上壁の2/3を占めていて胃壁の硬化も確認できました。出血も見られます。」
「この部位の細胞を検出し、さらに詳しく検査を行い…」云々かんぬん
先生の説明を尻目に奥さんの方を見る。
手に持つメモ帳に先生の説明を記しているが
画面に映った自身の体内に診られる明らかな異変に不安でしかない表情を浮かべていた。
「…僕ら(医療従事者)はこの状態と検査結果から察するに、奥さんの病名は…胃ガンでほぼ間違いないと判断します。」
ついにそのワードが奥さんに宣告された。
先生が詳しい説明を続けようとする中、
自分は意識を説明のほうではなく奥さんの方にシフトした直後、
奥さんは突如全身をガタガタと震わせショック症状が表れた。
自分は奥さんの肩にふれ、顔をのぞきこみながら「大丈夫?」と落ち着かせることで精一杯だった。
先生が「大丈夫?」と正気確認すると
「大丈夫デス、続ケテクダサイ。」とは言うが
その言葉は硬直し意識も混濁しているのが容易に判断できたので、ここで退席させることに。
もはや自力で歩けるかも怪しかったので
助手?さんが車椅子を用意しに退室…
先生は奥さんが見せた症状に少し驚いていたようだが、
前日自分が本人にも告げないといけないのか?という問いの真意とともに、奥さんの持病?の存在をすぐ見抜かれてしまった。
もぅあえてここでは持病に関しては書きません。
…奥さんは車椅子に乗せられ力なく退席。
ばっちゃんが付き添うからお義父さんとふたりで説明を聞くことに。
ここからは、おそらく昨夜自分が耳には入れていたが脳に達していなかったであろう部分の詳細と思われる。
この胃ガンは進行ガンで
壁進達度はT4b…ガン侵蝕は胃壁を貫通し、胃の裏にある膵臓にまで達していること。
またリンパ節・腹膜転移が確認されたが、
胃壁を越え胃外でガン細胞が確認された時点で全身転移と判断するとのこと。
つまり、
ステージ4・全身転移の末期ガン。
ここまで達すれば有効な治療は
抗がん剤+分子標的薬を用いた化学療法しかないであろうという説明も。
お義父さんも絶句されてた。
治療方針の話に段階移行した際、
改めて緩和ケアの話をしようとしたが、本人も
いない手前、先生が余命を口出しそうになったので
慌ててそれを制止して自分はそれ以上聞かなかった。
だが先生は昨夜の事もあり、
声を大きくして訴える。
「確かに化学療法は決して楽ではない。
けどなにもしなければ奥さんの進行具合を考慮しても余命は格段に短くなる!」
「お義父さんもそれは望むところではないでしょう!?」
…お義父さんは言葉にこそしなかったが、小さく何度も頷き意思を示してらした。
そして先生と昨夜示し合わせたように県病院か大学病院へ移り、より万全な体制で治療を受けたいと話し、
昨夜色々調べ悩んだ末に大学病院で続けたいと告げ、紹介状を書いてもらうことに。
自分の一存で決めた形になったが、
お義父さんも納得してくださった。
………
面談室を後にして病室へ戻ると
奥さんはベットに横になり虚ろな目で天井を見つめていた。
いや、正確には"見ていない"。
視線の先に天井があるだけで、意識は真っ暗な絶望の中を漂っている…そんな"もぬけの殻"状態だった。
そばにはばっちゃんがいて奥さんの手をにぎっていた。
「お話、終わったよ。」
そう告げると、奥さんは魂が身体に帰ってきたかのようにハッと我に帰りこちらを見た。
その奥さんが開口一番に尋ねてきたのは
「ステージは…?(゚ -゚`)」
力なく発せられた小さな声に…自分もお義父さんもすぐに答えられなかった。
言葉を濁すが何度も何度も執拗に聞いてくる。
奥さんもある程度この病気に対する識はある。
その重要性を分かっている。
一夜伏せていたが、これ以上隠しておくこともできない。
奥さんが退席してから受けた病状説明を話した。
取り乱し大変な事態になるかとも思って身構えていたが、奥さんは静かに現実を受け止める。
「…死ぬの?(゚ -゚`)」
子供と違わぬピュアハートから放たれた単刀直入な質問。
その言葉が凶器のように自分の胸を突き刺し
グリュグリュとスクリュードライバーの如く抉る…
その痛みに堪えながら、静かに優しく諭すように答える。
「死なないよ。(⌒‐⌒)
そうはさせないためにここじゃなく、より万全な医療体制が整った大学病院へ移りたいって先生に伝えたら紹介状書いてくれるって。」
「そっか、、(。_。)」
事が事だけに、すんなり聞き入れられると逆に不安で心配になった。
…
しばらくして先生が用意してくれた紹介状とともに、さっそく明日大学病院へ受診しに来てくださいとの連絡が。
お義父さんばっちゃんが帰った後も奥さんのそばに長らく居すわってた自分。。
絶望に駆られる奥さんをずっと励ましてた。
「おとぅちゃん(ユーレイ)がそうゆうなら…」と、
奥さんも緩和ではなく治療を、という文字通り"命の選択"をし、僅かな希望の光を求めることにした。
面会時間も過ぎ、後ろ髪引かれる思いで病院を後にする。
奥さんがふと不安に苛まれないよう、
頻繁にメールを送り励ました。
昨夜と同じく一旦じっちゃんばっちゃん家に帰る。
お義父さんばっちゃんから報告で受けたであろうじっちゃんも驚きとショックを隠しきれない様子だった。
上司にも急な休みをいただいたお礼と病院での検査結果を報告。。
病状および進行度の説明の時、
涙がこみ上げ堪らず声が上ずってしまった。
そんな自分に
「しっかりせぇよ!?これからおまえがしっかりせにゃいけんのんぞ?
後、絶対奥さんの前で泣いたりすなよ?
泣くのはお家の布団の中でしっかり泣いて、
奥さんの前では堪えてしっかり支えてあげにゃぁ。」と
言葉こそ荒々しいが力強く励ましてくださった。
失意の中にあってこの言葉は響いたし
後々、弱っていく奥さんを前にしても強くたくましく支えられた自分の心の支えでもありました。
そして、明日以降しばらく長期で休暇を取れとのこと。
入院中は当人の自由が利かないことがたくさんあることと、自分は自分でやらにゃいかん手続きやら書類やらあるようで、、
多くは奥さんのそばにいてふたりの時間を大切にしなさいとのことだった。
後、今回の事を受けて上司の奥さんが是非自分ら夫婦に会いお話したいとのこと。
なんでも上司の奥さんは"その道"に精通しているのみならず、その分野の看護に事関してかなり著名な方らしく、、
少しでも力になれたらと。
ありがたいことですm(_ _)m
日時はまた改めて決めるとしてこの日は少し電話でお話させていただいておやすみなさい…
今にして思えば不思議な縁ですね。。
激動の一日がようやく終わる頃、
ふと考えてました。
今後、自分は今日のようにこの先奥さんの命に関わる決断をいくつもしていかなくてはならないだろう。
命のかかった分岐…選択があったとして
なにが正しいか、どちらが最善なのか
的確に判断できるか?
もしや巷で免疫療法なるものが謳われる中、化学療法を選択した時点でもはや誤ってしまってはいやしないか?
たくさん考えました。
思考回路ぐるぐる。。
ただ心に決めていたのはどんな選択があるにしろ、最優先すべく基準は奥さんが苦しまない事。
そこだけは明確に夜は更けていく