事の発覚は5月連休が明けしばらくしてからだった。
奥さんが上腹部の痛みを訴え掛かり付けの内科へ連れていったのが5月の中旬。
その日は採血をし血液検査して帰宅。
3日後、検査結果を聞きに再び内科へ連れていく。
「結果を聞くだけだから私ひとりで大丈夫」と
自分は車でお留守番。
待合室で風邪やら病気でも移されたら大変だからという奥さんの配慮だ。
この時点では自分も、まぁそんなに時間はかからないだろうと思ってた。
………
しかし、待てども待てども奥さんは帰ってこず。
心配性な自分はイヤな事ばかり考えてしまう。
昔からの性分で、
考えるときは常に最悪のシナリオまで想定し、
仮にその最悪が訪れたとしてもある種の心構えというか対応を冷静にするため身に付いた癖であり防御本能。
しかし、この時点で後に自分が考え得る最悪を超えてくる最悪とともに奥さんが帰ってくる。
血液検査の結果から、
どうやら貧血の疑いがある、となり
痛みを訴えたのが上腹部てこともあり胃カメラを飲んだようだ。
胃潰瘍の疑い、、
その検査を受けて、内科の先生からは至急大きな病院を紹介すると即入院通告。
あわてて家にいったん帰り、
タオルやら衣類、洗面用具等を準備して紹介してもらった病院へ。
翌日、その病院で改めて血液検査、単純CT検査をしてもらう。
さらに翌日、今度は造影剤を使用してのCT検査と胃カメラを飲む。
諸々の検査を終え結果を明日に控えたその晩、
即入院てことや検査結果は一応ご家族も一緒に聞いてくれた方がいいと言われたようで
自身がただならぬ容態であることをイヤでも悟り、検査結果に不安を抱える奥さん。
「奥(名前)ちゃんは普段から定期的に色んな検査してきたし、胃潰瘍なら今回も発見が早かったろうから、きっと大丈夫だよ!」と励ます自分。
「そうだよね、、大丈夫だよね…(´・v・`)」
と少し安心した様子でその日の面会時間を終え
、
病院を出てから7階の談話室の窓越しにバイバイする奥さんに見送られながら帰路につこうて時にその奥さんから電話が。
「今看護士さんがいらして旦那さんはもぅ帰られたんですか?って!明日の検査結果のお話をするにあたって先生が時間のこととかお話したいって…」と。
慌てて踵を返し病院へ。。
ナースステーションでその旨を伝えると
なぜか通されたのは奥さんのいる入院棟ではなく、診療時間も過ぎ薄暗くなった治療棟。
小児科の待合室であろう可愛い壁紙の一室でしばらく待っていたら先生がいらした。
切り出した話は明日伝える検査結果を聞く人について、
本人にも話したが旦那さんだけでなくご家族(奥さん方の父母)も一緒に聞いてくれた方がいいと言ったが、それは無理だと返ってきた、と言う。
…そう。奥さんはいろいろあって実家と疎遠だった。事情を知る自分としては奥さんが義父母を拒絶するのは当然だった。
だから、先生が自分からも奥さんを説得して
義父母にも来てもらえるよう促されたが
自分もそれは難しいと答えた。
しかし、先生は続けて言う。
今日の検査結果を告げるに際し、
家庭内情どうこうの問題ではない。旦那さんあなたひとりでは背負いきれない!と。
そして、、ここで自分だけ先生から事前に奥さんの病名を告げられた。
「胃ガンです。」
その時点では自分はいたって冷静だった。
想定し得る最悪のシナリオを超えていたが、正直なぜかあまり事の深刻さにまだピンときてなかった。
というのも、奥さんの祖父が過去に胃ガンだったようで(祖父本人には告げてないらしい)
切除手術して今も90余歳にして仕事もPCも車の運転もバリバリ熟すスーパーじぃちゃんとして健在だったからかもしれない。
…だが、冷静に切り返した自分の問いに答えた先生の言葉(ワード)に戦慄がはしった。
「…。ステージは…?」
「ステージ4、末期です。転移も診られます。」
この瞬間、目の前にあった可愛い壁紙の絵柄とか、対面のソファにあるオモチャとか、ビジョンとして瞼の裏に焼き付いた。
さらに詳しい病状説明もあったが、この場面では耳に入っても脳までは到達しなかった…
末期…、転移…、そのワードが意味するところは
素人の自分でもよく分かる。
「ね?旦那さんひとりでは背負いきれないでしょう!?今後あなただけでは支えきれないし、ご両親の助けも必要になる。」
ああ…確かにそうだ。
事は命に関わる、家庭問題なんか小事。
奥さんの置かれた状況を腹に落とし込んで
自分が真っ先に考えたのは、奥さんが極力苦しまず可能な限り普段の(お家で)生活をさせてあげたい。て事だった。
そして、この結果(病名)をどうしても本人にも告げなきゃならないのか?と訪ねると
昨今は訴訟うんぬんもあるし、祖父の時代と違い患者にも伏せておくことはしないらしい。
さらに続けて、
積極的治療を行わない緩和ケアの選択の有無を聞いた。
末期かつ転移有りの治療ともなると、抗がん剤治療の一択が定石?のようだが、テレビドキュメンタリーや24時間テレビで観られるよなドラマを見受ける限り、副作用を考えるとどうしても抗がん剤による治療に抵抗があった。
たとえ短くともせめて苦しまず、奥さんが彼女らしく生きれる選択ばかり考えていた。
そんな自分に先生は声を大きくして言った。
「言い方は悪いが、お歳を召したお年寄りならその選択も提案するが、奥さんはまだ若い!
本人の意思やご家族の意思もまだ聞いてないが、今ここであなたに言えるのは
将来も可能性もあるのに頑張ってみないことには、その時期(とき)がきたら、本人もあなたも必ず後悔する。それは私の望むところではない。」と。
…ただひとつ。余命に関する事は
自分も知りたくないし奥さんにも絶対告げないでほしいと釘をさした。
……………
奥さんという人間は世にも珍しい子供と違わぬ透明な心の持ち主で、
隠し事やウソといった大人になるにつれて自然と備わる"心の汚れ"を持ち合わせない、たとえそれらを試みようとしてもいとも簡単に見透かせてしまうくらいの、
ある種現代における絶滅危惧の天然記念物ともいえるピュアハートであった。
同時に、この世知辛いご時世を生きるうえで避け難い周りからの"心の汚れ"に触れ、その"毒"に悩み苦しむ事が度々あるような子だった。
その度、"解毒"を要したわけだが…
そんな事もあって、一緒になってから
自分と奥さん間には隠し事もウソもいっさいなかったし
奥さんを不安にさせまいと、俗に言う仕事・家庭・金銭・交友関係等々(無論このブログの存在も)、自然になんでも打ち明けるようになってたし
たとえ知ることで傷つく事であっても
隠されたりウソであった事が分かった時の方が苦しいから言ってほしい、というような子だった。
…そんな関係だった。
故にもし明日、自身に起きている事を受け止められるかも心配だったし、知ったうえで余命宣告をされようものなら
たとえ過去の統計的なデータであり、必ずしもそれに該当するわけではないと諭したとしても
おそらく奥さんは素直にそこをゴールとし、
治療をするにしても緩和ケアを選択するにしても、宣告された余命を超えて生きる事はできないと直感したのに加え、
自分も知ってしまえば、それが近づいた時期(とき)おそらく顔に出て悟られてしまう。
なにより奥さんに対して隠し事が生じるのもウソをつく事もしたくない。と思ったからだ。
……………
それらを受けて先生は
「それならここではなく、県病院か大学病院をおすすめする。ここでも治療できないわけではないが、
県や大学の方がその分野専門の医療体制も整っているし、ここでは行えない治験といった新薬等先進の治療も行えるかもしれない。
だから明日、できれば旦那さんがそれとなく奥さんにその方向性で説得してほしい。」
との事だった。
………
話を終え、改めて帰路につく前に奥さんにメールで連絡。先生と明日の時間の事とかご家族を呼んでほしい事とか聞いたよ、と。
ここではさすがに先生から聞いた病名病状を告げることはできなかった。
メールで書くにはあまりに長く、あまりに重い内容。ただでさえ結果に不安の夜を迎える奥さんに伝えることはできなかった。
一夜、隠し事をする事に心が圧搾される想い。
それ以上に、奥さんの身に起きてるこれは現実ー。
奥さんの祖父母と義父にも電話で先生との話の旨を伝え、当日祖母と義父も同席することに。
張っていた虚勢が解けたのか自分は治療棟の壁に寄っ掛かり、その場にへたりこんでしばらく動けなくなった。
ぐるぐる回る目と思考。
そしてこれはこれから始まる本当の哀しみと苦しみの序章。。