④ 2006年までK1の全てのK1王座は一日で準々決勝・準決勝・決勝の3試合を行うトーナメントによって決められていた。このことについてファンやK1専門家からは「選手の実力以外にトーナメントの組み合わせによって勝敗が大きく左右されるから本当に最強の選手が決まらない」「顔面打撃有りの試合をK1に複数試合も戦ったら選手の命が危険だ」といったK1批判の声が多い。また、トーナメントを勝ち上がった選手が怪我によるドクターストップで準決勝以降に出場できない場合は、一度負けた選手が敗者復活という形で勝ち上がる場合がある。2002年のK1WORLD GPにおいては10月のK1WGP開幕戦でアーネスト・ホーストがボブ・サップに敗れて敗退したが、K112月の決勝大会準々決勝でサップとK1対戦予定だったセーム・シュルトが怪我で欠場したことによって代役でホーストが出場。結果的にK1ホーストは開幕戦で勝とうが負けようが準々決勝にK1できたことになった。t10
④ 2006年までK1の全てのK1王座は一日で準々決勝・準決勝・決勝の3試合を行うトーナメントによって決められていた。このことについてファンやK1専門家からは「選手の実力以外にトーナメントの組み合わせによって勝敗が大きく左右されるから本当に最強の選手が決まらない」「顔面打撃有りの試合をK1に複数試合も戦ったら選手の命が危険だ」といったK1批判の声が多い。また、トーナメントを勝ち上がった選手が怪我によるドクターストップで準決勝以降に出場できない場合は、一度負けた選手が敗者復活という形で勝ち上がる場合がある。2002年のK1WORLD GPにおいては10月のK1WGP開幕戦でアーネスト・ホーストがボブ・サップに敗れて敗退したが、K112月の決勝大会準々決勝でサップとK1対戦予定だったセーム・シュルトが怪我で欠場したことによって代役でホーストが出場。結果的にK1ホーストは開幕戦で勝とうが負けようが準々決勝にK1できたことになった。t10
③ 2002 年にはミドル級(k1)部門を設立、「K-1 WORLD MAX」シリーズを立ち上げる。このシリーズはTBSが放送している(地上波放送から数週間後以降にK1チャンネルやBS-TBS(旧 BS-i)でも放送、試合をピックアップしてK1J SPORTSでも放送される)。2008年にはライト級(-60kg)もK1MAXにて創設された。
同年、プロレスにも進出し、全日本プロレスの全面協力を得てK1WRESTLE-1を立ち上げ。しかし興行面で失敗し、更に後述のK1石井の逮捕もあって廃止となる。その後K1 2005年に形を変えて再び復活するものの、やはり失敗し廃止となる。
2002年12月に石井和義がK1の全役職を辞任し、現在はFEGが主催、K1谷川貞治がイベントプロデューサーを、角田信朗が競技統括プロデューサーを、それぞれ務めている。
2003年12月31日には「K1PREMIUM 2003 Dynamite!!」を開催、K1曙太郎とK1ボブ・サップの対戦で世間の注目を集めた。この試合はTBSが中継し、K1曙がKOされたシーンの視聴率は同時刻のNHK紅白歌合戦35.5%を上回る43%だった。
2004 年にはPRIDEに対抗して総合格闘技にも進出、5月22日に「K1 ROMANEX」(放送K1)を立ち上げたK1。総合は2005年以降「HERO'S」「DREAM」と形を変えて行われている。t10
② 概要 [K1]
1992 年10月4日、「格闘技オリンピックIII ~カラテワールドカップ '92~」で、石井和義が「"10万ドル争奪世界最強決定トーナメント"を来年開催する」と発表。後のK1となる大会が初めて発表された。
1993 年4月30日に第1回大会「K1 GRAND PRIX '93 ~10万ドル争奪格闘技世界最強K1トーナメント~」が開催され、K1選手によるK1無差別級トーナメントが行われた。以降、毎年無差別級トーナメントが行われている。
1993年冬には軽重量級の「k1」、1995年にはK1軽量級の「Kリーグ(K1)」を開催するが、いずれも興行的に失敗に終わり、一度きりの開催となった。
k1は日本人選手を主軸とする「k1 JAPAN GP」シリーズを1997年から2004年にかけて放送した。K1JAPAN K1シリーズは打ち切りになったものの、ワンデートーナメントのJAPAN GP大会のみ2005年からK1 WORLD GPシリーズの一つとしてフジテレビがK1中継する。t10