ここ数年で気づいたことがある。

受け入れたくないものを落とし込める人は


正しい絶望を味わう準備が出来た人。



その先に

本当の自由と希望がある


私たちは巨大な概念の中で生きてる


乳業会社がつくった母子手帳


両親は3回うってて

最初からダメだよって止め続けた、けど

怒鳴り合いになることもあった。


直接的なのは逆効果だって思って

なら間接的に、、と

母子手帳のことをブログに書いて

仕事だから誤字がないか確認してくれる?って

読ませてみたり


添加物の話をするために料理アカウントをつくって相互フォローしたら目に入るかな、とか


高齢にも理解しやすそうなアカウントがあったら

お金の勉強になるわ〜母も見てみー!って

こそっとフォローさせたり。笑


そうやって、ちょっとずつ

いきなりショック状態にならないよう

情報が母の目に入るようになったあとは

私から何かを言うのをやめた。


ただ行動は変えなかった

わたしは人に合わせるのはやめた。


そしたら、4回目がせまった

ある日、母はもううちたくない

って言った。



その夜は泣いたよ。




今、幸せなのは、法があって治安が守られているから。

それと引き換えに失ったものそれが多分、思考力。

守られたかわりに家畜。


今日もやりたい放題してる業界はたくさんあるし、

プロパガンダとかまあ、色々思うことはあるけど


生き残れるか、守れるか、死ぬか

言葉に出さないけど

考えて準備してる人はしてる。


日本は、気づく人が増えないといけない局面にいると思う。