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タイに行っていました⑤

こんばんは、うおです。

 

昨日こんな記事をみました。

 

「バンコク 大気汚染で休校 少雨などで過去最高レベル」

タイの首都・バンコクで、大気汚染が過去最悪のレベルになり、日本人学校を含めて休校措置が取られている。
バンコクでは、「PM2.5」などによる大気汚染が、2019年に入って深刻な問題になっている。
30日夜は、WHO(世界保健機関)の基準の3倍を超える数値を観測した。
雨が少ないことに加えて、自動車の排気ガスなどが原因で、31日朝も遠くのビルがかすんで見える状態だった。
市民は、「(マスクをしていて、いかがですか?)暑いけど、鼻が痛くなるよりはいい」と話した。
こうした状況を受けて、当局は、バンコクの幼稚園から高校までの全ての学校を、2月1日まで休校にする措置を発表した。
2600人以上が通う日本人学校も、31日から休校となり、校内は閑散としている。
当局は、人工的に雨を降らせるなど汚染緩和の対応に追われているが、これまでのところ、十分な成果は出ていない。

《FNNニュースより引用》

 

確かにバンコクでは天気がいいにも関わらず空の青い部分がとても狭く感じました。

そして遠景には必ず靄(もや)がかかっていて・・・。

 

これ以上深刻な事態にならないように願っています。

 

 

今日もアユタヤ観光の続きです。

 

ワット・ヤイ・チャイ・モンコン

ワット・ヤイ・チャイ・モンコンはパーサック川の東側に位置しています。

ここは1357年、アユタヤ王朝の初代王であるウートン王がセイロン(現スリランカ)の留学から帰国した修行僧たちの瞑想場として建てたもので、別名「ワット・プラ・チャオプラヤータイ」とも呼ばれています。

この寺院の72mの仏塔は、1592年に当時ミャンマーの傀儡的な地位となっていたアユタヤ王室の第21代ナレースワン王(当時は王子)がミャンマーの王子との一騎打ちで勝利し、独立を果たした戦勝記念の塔です。

ちなみにナレースワン王は独立を果たしたことからタイ三大王のひとりとして国民からは非常に人気があります。

また、ムエタイの創始者という伝承もあり、ゲーム「ストリートファイター2」のタイ人、サガットのステージはナレースワン王との関係が深い、このワット・ヤイ・チャイ・モンコンとなっています。

当時、ナレースワン王はミャンマーが先に建てた「ワット・プーカオトーン」に対抗してこの仏塔を建立しましたが、残念ながら高さはわずかに及びませんでした。

アユタヤ市内から少し離れているため戦火や仏像の倒壊からまぬがれたという、貴重な場所です。

この寺院には漆喰で作られた真っ白で大きな涅槃仏があります。日本にも涅槃仏はありますが、これほど巨大なものは存在していません。
少し難しいのですが、涅槃仏の足の裏にコインを貼って願い事をすると、その願いが叶うと言われています。

ちなみに自分は貼れました。

 

仏塔

 

 

仏塔の回廊から見た風景

 

 

 

続きは次回になります。

タイに行っていました④

こんばんは、うおです。

昨日までは穏やかな天気だった新潟ですが、また雪が積もりはじめました。

 

今回もタイ、アユタヤの続きです。

 

ワット・プラシーサンペット

名称にはワット(寺)と冠していますが、実際は寺院ではないそうで墓所のようなニュアンスだそうです。

元々はアユタヤ王朝の創設者・ラーマティボーティー1世(在位1351 - 69)によって宮殿が建てられていたようですが、後のトライローカナート(在位1448 - 88)の時代になると宮殿は移築され、この地は王専用の仏教儀式の場となったそうです。

ここには3人のアユタヤ王朝の王の遺骨が安置されたそうです。

このワット・プラシーサンペットは大きな破壊を受けた他の仏塔遺跡と比べ、漆喰などが当時の状態をよく保存しているため、アユタヤ時代の建築がそのまま見ることの出来る貴重な遺跡なのだそうです。

現在、政府も修復・維持に努めてはいるものの、新しく修復した箇所は数十年で劣化・破損してしまうとのことです。

そう考えると当時の建築技術はすごくハイレベルなものだったのですね。

 

仏塔

 

 

 

 

 

写真には人物がほとんど写っていませんが、ここもかなりたくさんの人が見学に訪れていました。

現地の小学生くらいの団体の子たち(遠足?)も熱心に説明を聴いていました。

 

続きは次回になります。

タイに行っていました③

こんばんは、うおです。

 

タイ旅行の続き、次はアユタヤ遺跡です。

 

アユタヤはタイ中南部、チャオプラヤー川と支流のパーサック川・ロップリー川などが流れる平原地帯に位置しています。

ここは1351年~1767年まで続いたアユタヤ王朝の首都として、また当時の東南アジア地域の中心都市として繁栄を極めました。江戸時代初期の日本人、山田長政が傭兵隊長として活躍したのもこのアユタヤ王朝時代でした。

しかし、1767年にミャンマーのコンバウン朝による攻撃を受けてアユタヤ王朝は消滅。

その際にアユタヤ市内の建造物や石像は徹底的に破壊され、ほとんどの寺院は廃寺となり、王宮も台座を残すのみとなってしまいました。

 

 

ワット・プラ・マハータート

 

敷地内に復元図がありました。

 

大仏塔跡

 

 

 

 

 

下の菩提樹に取り込まれた仏頭は有名ですね。

 

 

続きは次回になります。