に行ってきます。

国際ボランティアで。

ってAPSに言ったっけ?


8月23日20:20発の飛行機でメルボルンへ。

24日7:50メルボルン着。

24日~31日まで世界各国から集まってきた大学生くらいの人と共同生活をしつつ、エコボランティアをする。

エコボランティアの内容は知らない。

向こうに行ってから、やることを言われるらしいよ。

ヲヲイさんの大好きなアボリジニの道を作ったり、植林したり、清掃したり、海岸舗装したり、、、色々らしいよ。


今まで行った姉妹都市/校交流は英語が聞き取れなくても、英語が分かる友達や先生いるし、授業意味不明でもなんとかなったけどねぇー

これは一人旅な上、日本人いませんから!!

英語がわからなかったら仕事できませんから!!


どうなるのでしょうか。



そして31日にボランティアを終え帰国・・・

しませんからぁ…残念!!(古)


私が中2の時に三浦市の代表で行ったAUSTRALIAのWARRNAMBOOL(私の第二の故郷)に、再び行ってきます。

そしてホストファミリーの家にまたホームステイしてきます。

業者通さないホームステー。

業者通さない現地校での授業ー(無料)。

「もちろんフリーだよ?!そんなこと気にしてるの?!授業出ちゃっても大丈夫だから!!」

ってホストシスターが言うから・・・。本当に大丈夫なのかな。

そして1週間Warrnamboolで過ごして、9月8日に帰ってきます。

Ashlea(ホスト)は1週間でも1ヶ月でもいて良いよ!!

って言ってくれてあともう1週間(15日まで)滞在するように説得されたのですが

ヲヲイさんもねー、後期の準備しなきゃだから。。。


うちの親の心配事はもちろん、私が旅に行く際心配するアレ。

「はしゃぎすぎて、へまこかないようにね!!」

ってやつ。

テンション高くなると私、何するかわからないから。


あと、今回から、こういう心配事が付きました。

「ちゃんと日本に帰ってきてね?!」


私オーストラリア、特にウォーナンブール大好きだから、これが心配らしいよ。

中学2年の時なんか、初の一人海外なのに、ENJOYしすぎて

オーストラリアに着いたっていう連絡もしなかったから親チョー怒ってたの覚えてるわぁー。

それも滞在先の電話番号とか教えてこなかったから2週間音信不通という苦笑

一応手紙出したんだけどね、オーストラリア出る2日前に出したから、私が日本に着いて4日くらいしてから手紙が家に着いたの。

おもしろい話とかせっかく書いたのに、全部口頭でしちゃったしって感じで。


それも日本出る時にお金を家に2/3忘れていっちゃうっていうバカしてねぇー。

まぁお土産とかあんまり買わなかったからなんとかなったけど。

あれはヲヲイ家の伝説になってるわぁ笑


とまぁ、今回は、オーストラリアの時の反省を生かして、ちゃんと親も心配しないような旅をしてきます。

今回は参加費も自分でバイトして稼いだし、引率者いないし、本当にMy tripって感じだわぁ。

渡航費は親に出してもらったけど。

親にも感謝せねば。


MIXIに書くと、絶対にみんな「おみやげよろしく」って言うから、直前まで書かない。

ってか、これ見てるのAPSだけだと思う。

だからAPSにはおみやげ買ってきてあげるよ。

渡すの随分後になるけど。

あと、Warrnamboolのはがきで手紙も書いてあげる。


じゃねー

ってか、今テスト前。

んばじゃいじゃい。


※最近オオイさんからヲヲイさんに改名しました。





国って必要だと思いますか?

国際関係概論の授業の中で、世界秩序を守るためには国という単位が必要ということをやりました。

確かに、世界には今国連があるけど、国連があっても世界では戦争・紛争が絶えません。

つまり今世界はアナーキー(無政府状態)ということなんです。

世界が平和になるためには、国際レジームに従い、国家・国際組織などが人々を導かなければなりません。

とにかく国という単位が必要だと考えられています。


しかし、私は国というものは本当は存在しないのではないかと思います。

国というのは国境で仕切られています。

でも、国境はしっかりと見えるものなのでしょうか?


島国の日本では想像しにくいかもしれないので、大陸を想像してください。

大陸の国々はたとえそこにいくつもの国があっても、国境をまたいで隣の国に入ることができます。

国境はただの線でしかないはずです。

その証拠に戦争で勝つと国の領土は大きくなったり小さくなったりします。


隣接するAとBという国があるとします。

本によるとAとBは言語も違う、祭りなども違う、ステレオタイプも違う・・・それなりに相違点があります。

でもAとBの国境線付近に住む人はどうでしょうか。

彼らにとってみればそこには国境というのはただの線でしかないはずです。

たとえ国境をまたぐために許可が必要でも、言葉・文化は国境を自由に行き来できるからです。

つまりその言語・文化には線を引くことができないのです。


日本文化は日本の文化で、日本語は日本の言葉ですが、元をたどると外国にいきつくことも多いです。

文化・言語には国境がありません。


国境とは何なのでしょうか。

国境は本当に見えるものなのでしょうか。


私たちは日本の国境線に囲まれた日本というところに住んでいるため、日本人です。

○○人というのはその国境の範囲内に住んでいるかどうかで決められます。


そして、世界ではその○○人だからということで迫害を受けたり、差別を受けたり、民族戦争が起きています。

「国」は世界秩序を守るために必要ですが、その帰属意識により争いが起きていることも確かです。


国って何なんだろう。。。。


大学の勉強…高校のときとは全然違うと思います。

その1.レポート提出期限、レポートの書き方、時間割…全てが自己責任(神奈総はやっぱり大学に近かったんだと思う)

その2.自己決定 …○○ちゃんがやるから私も…とかありえない。

その3.教わる授業から考える授業に。


今日は上記のその3と文系の難しさついて書きたいと思います。

前回書いたA子のこととも重なるところがあるけど、授業をサボる人っていますよね。

でも授業サボったら…どうやってテスト勉強をするのでしょうか。

高校の時は、休んだりしてわからないことがあったら、教科書を見ればなんとかなったかもしれない。

でも、大学って教科書を見ても要点がつかめない授業ばかりだと思います。。


私が大好きな授業の1つに「第三世界の思想と文学」という授業があります。

シラバスを見ると第三世界(Asia,Africa)について学ぶっていう感じなんですけど、

実際は違います。

東京モスク、アラビアンナイト、アブッドラー物語、母国語と母語の違い、北海道開拓、ゴジラの曲の作者について今まで勉強しました。

この授業内容を見てもわかりますが、いろいろなことを勉強します。

第三者がノートを見ると、この人たちは一体何を勉強してるんだ?と思うのではないかと思います。

ゴジラの歴史、ゴジラの曲の作曲者の生い立ち…ゴジラの授業か?!と聞きたくなると思います。

でも、この科目は全ての授業に出なくては、この授業で先生が言いたいことはわかりません。

全ての授業で先生の言いたいことは一貫しており、その要点は次の授業への道しるべだったりもします。

簡単に言うと、第三世界を通して、世界を、そして、日本を見てみるといった感じの内容です。


授業をサボる人は「テスト前になったら見せてもらえば良いやー」

とでも思っているのでしょうか。

または「この言葉熟語っぽくて重要そうだから、そこ覚えれば良いやー」

とでも思っているのでしょうか。


でもそれではテストはできるはずがないと私は思います。

というか、高校のテストは

「どれだけ授業を聞いていたか、どれだけ授業の内容を理解したか」で評価されると思います。

でも、大学のテストは

「どれだけ先生の話を聞いて、どれだけ先生が提示した事柄から自分で考え、世界を広げられたか」

なのではないかと思います。

その証拠に、大学では語学の授業以外はテストでは論述形式が多いです。


論述試験ですから、先生の意見に賛成でも反対でも桶です。

評価基準は「私ならこう考える」です。


だから、大学の授業内容のノートを丸暗記してもしょうがない。

試験問題のタネを覚えているようなものですから。


だから私は「サボってもテストは大丈夫、なんとかなりそう」って言う人が本当に大丈夫なのか、授業も聞かずにどう勉強するのかが気になります。



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そしてそれが文系の難しいところだと思います。

よく、文系は教養だから簡単だとか言われますよね。

確かに理系と比べたら一見簡単に見える。

理系は実験がある。実験をするためには授業内容をしっかり覚えなくてはならない。

座学で基本を学び、実験で応用。

予習復習が欠かせないと思います。

しかし、私は文系も十分難しいと思います。

もちろん、授業を聞き流すのなら、ただの「先生のおはなし」にしかなりません。

でも、文系は聞き流しの授業ではなりません、そして文系にも基本・応用があります。

基本は座学で先生の言っていることを学ぶこと。

そして応用は

それを自分の実生活にあてはめて更に深く考えること。

なぜ、カルチャーショックが生じるのか、なぜ思春期は起こるのか、なぜ結婚するのか、 なぜ祭を行うのか…

これらについて先生の例を交えた話を聞いて、自分の世界に当てはめることで

自分の住む世界を浮き立たせて、自分について、世界について、生きることについて考えることができます。

でも、その考えるまでが大変です。

この考える過程というのが理系でいう実験にあてはまるのではないでしょうか。

とにかく、文系は大変なんです。

ただ、違いがあるのは文系は脱落可能だということ。

考えるのをやめて、オハナシを聞けばいつでも聞き流しはできますからね。


そして、先生の言ったことをノートに書き、暗記中心の教わる授業をしてきた日本の学生にはその自分の考えを言うという大学の授業に慣れておらず、「考える授業」を展開するのが苦手なのではないかと思います。


大学で「この授業に関する感想を書いて提出すること」と言われたら、「○○が楽しかった」という感想が求められているのではありません。

大学での感想とはこう訳されます。「この授業を聞いてあなたが思うことを書きなさい」。


今「下流志向」という本を読んでいます。。

そしてその本の著者は大学の教授なのですが、最近の授業の感想には遠足作文のようなものが多いということ。

その本によると、今の大学生の学力は昔の中学3、2年生まで低下(!!!)しているとのこと。


第三世界の先生も先日集めた「今までの授業を受けての感想票」に「楽しかったです」という感想が多くてびっくりしたといっていました。「楽しかったのも結構だけど、私はみんながここで何を考えたかを知りたいの!!」と言っていました。


大学生のみなさん、「考える学生」になりましょう。


では、英語Aの課題をやります('-^*)/