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慰霊の日は沖縄戦などの戦没者を追悼する日。

第32軍司令官牛島満大将が自決し、

沖縄における日本軍の組織的な戦闘が終結した日に当たる。

 

(沖縄県竹富島コンドイ浜・2000年7月T氏撮影)

 

 

 

 

上皇陛下は、沖縄慰霊の日・広島原爆の日・長崎原爆の日・終戦記念日を「忘れてはならない日」としてお挙げになり、

宮内庁ホームページには「忘れてはならない4つの日」として掲載されている。

 

 

 

 

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発 沖縄根拠地隊司令官

宛 海軍次官

 

沖縄県民ノ実情ニ関シテハ県知事ヨリ報告セラルベキモ県ニハ既ニ通信力ナク三二軍司令部又通信ノ余力ナシト認メラルルニ付本職県知事ノ依頼ヲ受ケタルニ非ザレドモ現状ヲ看過スルニ忍ビズ之ニ代ツテ緊急御通知申上グ

沖縄島ニ敵攻略ヲ開始以来陸海軍方面防衛戦闘ニ専念シ県民ニ関シテハ殆ド顧ミルニ暇ナカリキ

然レドモ本職ノ知レル範囲ニ於テハ県民ハ青壮年ノ全部ヲ防衛召集ニ捧ゲ残ル老幼婦女子ノミガ相次グ砲爆撃ニ家屋ト家財ノ全部ヲ焼却セラレ僅ニ身ヲ以テ軍ノ作戦ニ差支ナキ場所ノ小防空壕ニ避難尚砲爆撃ノガレ□中風雨ニ曝サレツツ乏シキ生活ニ甘ンジアリタリ

而モ若キ婦人ハ卒先軍ニ身ヲ捧ゲ看護婦烹炊婦ハ元ヨリ砲弾運ビ挺身切込隊スラ申出ルモノアリ

 

(中略)

 

沖縄県民斯ク戦ヘリ

県民ニ対シ後世特別ノ御高配ヲ賜ランコトヲ

 

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大田 實(おおた みのる)海軍中将

(海軍沖縄方面根拠地隊司令官)の訣別電報。

 

当時の訣別電報の常套句だった「天皇陛下万歳」「皇国ノ弥栄ヲ祈ル」などの言葉はなく、

ひたすらに沖縄県民の敢闘の様子を訴えている。

 

 

 

【現代語訳】

沖縄県民の実情に関して、権限上は県知事が報告すべき事項であるが、県はすでに通信手段を失っており、第32軍司令部もまたそのような余裕はないと思われる。県知事から海軍司令部宛に依頼があったわけではないが、現状をこのまま見過ごすことはとてもできないので、知事に代わって緊急にお知らせ申し上げる。 
沖縄本島に敵が攻撃を開始して以降、陸海軍は防衛戦に専念し、県民のことに関してはほとんど顧みることができなかった。にも関わらず、私が知る限り、県民は青年・壮年が全員残らず防衛召集に進んで応募した。残された老人・子供・女は頼る者がなくなったため自分達だけで、しかも相次ぐ敵の砲爆撃に家屋と財産を全て焼かれてしまってただ着の身着のままで、軍の作戦の邪魔にならないような場所の狭い防空壕に避難し、辛うじて砲爆撃を避けつつも風雨に曝されながら窮乏した生活に甘んじ続けている。 
しかも若い女性は率先して軍に身を捧げ、看護婦や炊事婦はもちろん、砲弾運び、挺身斬り込み隊にすら申し出る者までいる。 

 

(中略)

 

沖縄県民はこのように戦い抜いた。

県民に対し、後程、特別のご配慮を頂きたくお願いする。

 

 

 

この電報は、米軍も傍受・解読しており、

英訳した当時の資料がアメリカ国立公文書館に残されている。

 

 

 

“The Okinawa citizens fought in this way.

 I would like you to give the prefectural people special consideration, this day forward”

 

 

 

 

 

 

 

1945年6月23日、

日本軍の組織的戦闘行動は終了しましたが、

沖縄での地上戦はこれ以降も続きます。

 

それから75年の歳月が過ぎています。

 

 

 

 

 

 

平和な時代に生まれた幸運を感謝し、

そして時代の礎になられた方々のことを思い出し、

考えを深めてゆきたいと思います。

 

 

 

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