今年86歳になる母がいます。62歳の時にくも膜下出血で生死を彷徨い

なんとか命を取り留めたもののかなりの出血で左半身に麻痺と感情が抑えられず

以前の穏やかな母とは別人のようになり まだ結婚前だった私は何度そんな母を怒鳴ったか、病気を憎んだかわかりません。

再発をすることもなくその後結婚し、孫を見せれた事 不自由ながら孫の世話もしてくれた事、今となっては感謝しかないです。70代でバルーンのお世話になり

83歳で大腸がんになりそれ以降施設のサービスを時々利用するようになりました。

 

 元気だった頃の母は 子供のために全てを捧げて全力で子育てをしてくれてたと

子供ながらに感謝していましたし深い愛情を持って育ててもらったと思っています。

決して過保護ではなかったですが、いつも子供を信じていてくれたように思います。

そのことが私の今の子育ての基盤になっており 親がしてくれたように?

私も全力で子供達を応援し、信じ、子供の心に寄り添い、時には喧嘩もしながらでしたが

子供中心に過ごしてきた20年でした。(決してうちの子に限って!と思ったことはありません。そこは長年幼稚園教諭だった知識と経験が働き 結構遠目から客観的に我が子を見れていたと自負しております)

決して賢くも優秀でもない子供達ですが 人として立派に成長してくれてると我が子ながら思っています。

 

母や子供の事を話すと止まらなく取り留めもなくなってしまいますね。

先月そんな母が食事をほぼ取らなくなり危ないとのことで実家に帰省し

毎日施設に通い少しでも食べれるように、また同い年の父のご飯や世話もすることができました。

結婚して23年一番長く帰省した気がします。帰省中に父が一過性脳梗塞で救急車にお世話になったりと いつまでも親はいるものじゃないと実感したと同時にこの先の不安が増し

寝れない日々でした。最悪の事態も考えていましたがなんとまた食事を摂るようになってきたので恐るべし生命力と驚きと安堵で帰宅しました。

 

料理やお菓子作りが得意だった母、いつも学校から帰ると手作りおやつがありました。

今お菓子教室をやれているのもそんな母の影響です。

また私たちが独立してからは油絵に没頭し展覧会に出したり、賞をいただいたり夜な夜な没頭していた姿を実家に所狭しと飾ってある絵を見て思い出しました。そんな母の代表作が「紫陽花」だったのでこの頃になるといつもより母を想ってしまいます。

紫陽花が欲しいと例年呟いてた私に今年は主人が立派な紫陽花をプレゼントしてくれました。色づくのが楽しみです。