母の日の翌日

 

 

友人たちから

 

娘からわたしに当てたメッセージがあることを知らされました

 

 

私よりもいち早く

そのメッセージに気付いて連絡をくれる人たち

 

 

 

わたしたち親子のことを

いつもあたたかく見守ってくれている人たちが

大勢います  いつもありがとう

 

 

 

 

 

そして

そんな人たちとで会うことができたのも

 

 

すべて娘のおかげです

 

 

 

 

 

娘の起立性障害の発症は

わたしの人生を大きく変えてくれました

 

 

 

 

 

 

☆*:.。.  .。.:*☆・*・☆*:.。.  .。.:*☆

 

 

 

 

 

 

娘が中学1年生の時のこと

 

 

 

それまで

いつも元気で明るかった娘が

突然    起き上がることもできなくなりました

 

 

 

今になって振り返ってみれば

その前ぶれは

いくつも いくつもありました

 

 

 

けれど

いつも何かに追われ  

ずっと走り続けているような生き方をしていた私は

 

 

 

後ろの方で

フラフラになりながら走っている

娘の様子に気付きながら

それでも

娘も前に進めるはずだと思っていました

 

 

 

 

そして

娘が倒れてからも  

それでもずっと

 

 

 

どうやったらまた

娘が走り続けることができるか

その方法をずっと探し続けていたのです

 

 

 

 

 

 

それから2年が過ぎ

学校に行けなくなった娘のことを

「素晴らしい娘さんですね」と言ってくれる人が現れました

 

 

 

その言葉を聞いた時

「学校に行けてないのに“素晴らしい”って  どういうこと?」

 

 

 

そう思ったのを

今でも覚えています

 

 

 

○○しているから素晴らしい

 

 

○○な娘は素晴らしい

 

 

 

 

その頃の私は

「娘が笑ってさえいてくれればいい」と思いつつも

まだこころの底では

 

 

娘の素晴らしさを

「条件付き」でなければ認めることができなかったのかもしれません

 

 


 

 

 

そしてそれから

娘の体調を良くする方法を

娘と共に探す中で

 

 

 

何にも属さなくても

自分らしくありながら

ちゃんと世の中のためになることをしている

 

 

私と全く違った時間の使い方をしている人達が大勢いることを知りました

 

 

 

その頃の私自身は

 

 

個性を殺し

組織の歯車として求められる人材として生きることを良しとしていました

 

 

 

 

○○である私

 

○○に属している私

 

そんなアイデンティティーが私を支え

 

 

 

職場や所属するコミュニティーの中で役に立つことが

 

私の存在意義だと感じていました

 

 

 

そして

 

自分とまったく違った時間の流れの中にいる人を

うらやましく思いながらも

 

 

私自身はいつもいつも

時間に追われる生活をしていました

 

 

 

 

 

高校生の頃  娘はよく

「わたしは将来 会社に勤められる氣がしない」と言っていました

 

 

 

その頃はまだ

精神的にも周りにの影響を受けやすく

体調も不安定で

 

 

 

わたしから見ても

会社という組織の中で

普通の人のように働き続けるのは

とても難しいように思えました

 

 

 

 


でもその言葉を聞いて

ふと思ったのです

 

 

 

 

もし

わたしのような生き方をしてきた人間が

 

 

職場や所属するコミュニティという場を離れて

自分の力で

周りの人の役に立つことができることができたなら

 

 

 

それは

会社に勤めるという選択ができない娘に

ひとつの選択肢を示すことになるのでは?  と  …

 

 

 

 

 

まずは

わたし自身が

自分の力で何ができるのか

まず試してみよう

 

 

そう思い立たせたのです

 

 

そしてその言葉が

わたしの今の活動へと向かわせます

 

 

 

 

 

 

娘は母の日のメッセージの中で

わたしのことを

 

 

自分の人生をキラキラ楽しみながら

多くの人を救っている

 

 

と言ってくれました

 

 

 

けれどそれも

娘の言葉が

わたしに道を示してくれたのです

 

 

 

 

 

 

もし 娘がいなかったなら

いくつになっても

 

 

○○であるわたし  を追い続け

それだけに時間を割いてしまっていたことでしょう

 

 

 

 

 

 

今はようやく

 

 

わたしはわたし  であること 

いちばん価値がある

 

 

気付くことができました

 







 

娘のことを「素晴らしい」といったその人は

「子どもは親の課題を見せてくれている“映し鏡”だ」

とも言いました

 

 

 

その頃はまだ

自分自身にどんな課題があるかなんて

全くわかっていませんでしたが

 

 

 

 

もしかしたら

 

娘があのときわたしに見せてくれようとしていた課題は

 

 

わたしはわたしであることの大切さに気付くこと

 

 

だったのかもしれません

 

 

 

 

このメッセージを書きながら

ようやくわかってきたような氣がします

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

~これからあたらしい道に進もうとしている娘へ~

 

 

 

かつて「会社に勤められる氣がしない」と言っていたあなた

 

 

それが  自分自身の

こころとからだを整えて

 

 

たましいの声に従って

就職という道にチャレンジした勇気を讃えたいと思います

 

 

 

そして  その選択が

 

次の時代を担っていく子どもたちと

親たちを育てる教育に携わる場であったこと

 

世の中を良くしていくために

自分の力を尽くそうと思っていてくれること

 

 

 

 

そのことを

親として何よりうれしく思います

 

 

 

いつでも  “わたしは わたし” であろうとしている

あなたのことを  母は尊敬しています

 

 

 

時には

高い壁にぶち当たるかもしれません

 

 

 

けれど

いつでもあなたを応援しています

 

 

 

 

わたし一人では

決して見ることができなかった世界を

あなたのおかげで見ることができています

 

 

 

 

これからも

ともに歩んでいきましょう

 

 

 

 

 『おかあさんへ』お久しぶりです。色々なことが重なり、何かと忙しくしておりました。その一つが就活です。おかげさまで4月末に、無事第一志望であった会社から内定をいただき、穏やかな…リンクameblo.jp

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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