おとといと昨日は、量子場観察術®講座を開催しました。
 (量子論については2021年からは「アマラス講座」としてお伝えしています)
 
暑い中、遠くから3名の方が参加して下さいました。
どうもありがとうございました。
 
 
 
参加してくださったのは
 
お子さんが起立性調節障害・不登校
学校に行けるようになったけれども、
学校でよくトラブルを起こしてしまい、
先生から発達障害なのではないかと言われている… というように
皆さん、学校という場に関してのお悩みをお持ちの方々です。
 
 
どの方もお父さんお母さんとしては、暖かく子どもを慈しみ育てる愛に溢れた方ばかりです。
 
 
おそらく学校というものが絡んでいなければ、親子の関係もとても良好なはずでしょう。
 
 
けれども、学校に行けない・学校に馴染めないという状況になったとき、親子の関係性までもがうまくいかない状態になってしまうという、悲しい現実がよくあります。
 
 
今回参加して下さった皆様も、
「 親が、何とかしよう何とかしようと思えば思うほど空回りして、子どもの状態が悪くなっていく」そんな風に感じていらっしゃいました。
 
 
 
私もそうでした。
その感覚、よくわかります。
 
 
 
 
親として子どものためにと思って、
必死になっている時は、
意に反して事態は良くならない…
 
けれど、
 
子どもが学校に行けなくなって、
親も子どもの将来を悲観的に思っている状態を過ぎて
いよいよ、どうにもならないと悟った時
 
つまり「親も腹をくくって、開き直ったとき」
 
今まで見えていなかったものが見えてくることがあるのです。
 
 
 
 
「 あれ?  
 
子どもは今までと、何も変わっていないじゃない。
 
優しくて、素直で、可愛らしくて…
 
小さい頃と同じ  愛おしい子どものまま  」
 
 
 

 
 
そうなんです。その事に気がつくと
 
 
学校に行っているとか、いないとか
 
そんなことはどうでもいい 
 
子どもが笑ってさえいてくれれば
 
と思えるようになるのです。
 
 
 
親が自分自身が必死になり過ぎていた事に気付いて、フッと肩の力を抜けてきた時
 
 
初めて、子どもと親と同じ方向を向くことができる。
 
 
子どもの目線で、世の中を見ることができる。
 
 
親の価値観の押し付けではなく、
子どもにとってより良い将来のために、
何を選択するか
 
 
その時初めて、本当の意味で
子どもの将来を考えることができるのだと思います。
 
 
 
そうなると不思議なもので、
 
全く動かなかった子どもが、
自分から学校に行く方向に動き出したりするのです。
 
 
 
親が「学校」というものにこだわり続けた時には、子どもは学校に行けなかったのに
 
そのこだわりを捨て途端に、子どもが「学校に行くことを自ら選ぶ」
 
 
 
結局は、誰の人生なのか
親は間違ってはいけない
 
 
そういうことなのかもしれません。
 
 
 
 
 
***  ***
 
 
 
2日間の講座の最後に、
講座を通して感じた意識の変化について、話して下さった方がいらっしゃいました。
 
 
「子ども自身は“自分は大丈夫”と、心の底から確信している。
 
けれど親は、今までの社会の常識や自分の価値観で判断して、その状態を何とかしなくてはと必死になってしまう。
 
その差が、親子の関係を悪くしたりする。
 
講座を受けているうちに自然に、“もっと子どものことを信頼していいのかもしれない”と思えるようになった。」
 
 
 
…  
 
 
 
頭では理解していても、心の底からそう思えるようになるまでには時間が必要なこともあります。きっと、まさにそのタイミングが今だったのでしょうね。
 
 
今回ご参加下さった皆様は、長い時間をかけて色々なことを試したり勉強したり、色々と努力なさって来た方ばかりでした。
 
それが、このタイミングで講座を受講したことで、まさに「腑に落ちた」という言葉がぴったりなのだと思います。
 
そして今回は、私の講座に初めてお父様が参加してくださいました!!!
 
ご自身で色々な事を勉強なさっている方で、言ってくださる一言の、説得力が違います!
 
私もとても助けていただきました。
 
終わった時の、皆さまの晴れやかな笑顔が、とても印象的でした。
 
 
ご参加下さった皆様、どうもありがとうございました!
 
またぜひ、再受講でいらっしゃって下さいね。
お待ちしています。
 
 
***  ***
 
 
自分の持ち続けて来た「こうでなければ」とか「こうあるべき」とかいう考えは、
 
もしかするとそれすら、単なる執着なのかもしれない。
 
我が子を信頼し
 
自分は自分のやるべきことを、ただするだけ。
 
その執着を手放した時に、初めて
 
自分にとって本当に大事なことは
 
目の前にあったのだと気づけるのかもしれない
 
 
…   そんな風に思うのです。