昨日の月は確かに綺麗だったけど、三年前の9月22日はもっと綺麗で大きかった。

落ちて来そうだと思った。

人が逝く時って、こんなに静かなんだろうかと思った。

大きくて白い月が、のぶさんを迎えに来ているように見えた。

私には何も出来ない。
手の届かない場所へ行こうとしているのを止められない。
連れて行かないでと言葉にしてみても、夜に浮かぶ月は静かにそこにあるだけ。

月が憎らしいとさえ思った。


月は願いを叶えてはくれない。
ただ私の心の中を見通すように、静かにそこにあった。
これは良い事なのか、悪い事なのか。判断出来ない。
働くって行為は人間の普遍的なカルマで、それをしないでいる事自体が自然に逆らうもの。なんじゃないか?と考えてみた。外で仕事するだけじゃなく、家事ももちろん「働く」に入ると思うんだけど、「働く=人のためになる事=自分のため」とすると何となく腑に落ちる感じがする。でも子どもの学習期間は「働く」には入らず、それを出来るようになるための準備期間なのだから、その意味と尊さを子どもには教えていかないといけないなぁ…と個人的には考えている。
「働く」を失ったもしくは知らない人間は、人のために自分が役に立てる事、認められる事。人間はそこにのみ喜びを見出せるという現実を体感出来ないから、本当に不幸だと思う。
「生活=お金を稼ぐ=働く」ではなくその真逆で、働く事で得る対価は付加価値にすぎない。…という考え方はどうかな?