「自分の中にある音楽」 | 光永泰一朗の "Off the Record"

「自分の中にある音楽」



もう1年半ぐらい前になるかなあ。BLUE AGE ORCHESTRAのOfficial Websiteに、プロフィールの代わりとして載せた文章、それが「自分の中にある音楽」です。
そもそも「プロフィール」ってさ、あまり意味が無いとまでは言わないけど難しいよね。
「履歴書」だったらわかるけど、例えば「影響を受けたアーティスト」なんて聞かれたらそれこそ家にある1000枚近いCDを全部書かなきゃいけないよ。笑 そういう意味では、すごく意義のある企画だったと思うし、僕自身もできる限り言葉を選び抜いて書いたこともあって、とても気に入ってる文章です。

以前に読んでくれた事がある方も、今日初めて読んでくれる方も、まるで歌詞に想いを込めるかのようにして書いたこの「プロフィール」を、楽しんで読んでもらえたらこの上なく嬉しいです。
今自分で読み返してみて、手を加えたいなあと思う部分も正直無い事はないんだけど、一度正式に公開したものとして、敢えて原文のまま載せさせてもらいます。
以前の日記が、また違った楽しみ方ができるかも??

(写真は3、4日前に家の近くから見えた朝焼けです。)




             「自分の中にある音楽」

「今は走り回っちゃダメ。ジッとしていなさい。」
4、5歳の男の子にとって、一日の中でただ静かに座っていなければいけない時間帯が
あることは、この上ない苦痛である。
その日が父が家にいる日曜日ならなおさらだ。
駅から少し離れた古いビルの2Fに「APPLE」という貸レコード屋があった。
出かけていくのは楽しみだったが、帰るのがひどく嫌だった。
借りてきたLPをカセットテープに録音し終えるまで、針を飛ばしてはならないからだ。

記憶を辿る限り、生涯初めて聴いた音楽はBilly Joelの「My Life」だったと思う。
サビのフレーズを延々歌っていたのを憶えている。

いつも音楽があった。
8歳から14歳という時期を父の転勤先であるシカゴですごした一人の少年にとって、
毎日何気なく流れてくる“B96FM”こそが、その全てだった。
We are the world, WHAM!,Tears for Fears,Stevie Wonder,Phil Collins.....
OA回数にほぼ比例して、僕の身体に急速に染み込んでいく。
学校のない週末の最大の関心事と言えば、自分のサッカーの試合、B96のTOP30,
そしてBEARSの試合結果だった。

異国の地の文化に次第に慣れていけばいくほど、母国というものを強く意識するように
なり、それは時に渇望のようにさえなることを知る。
だから、年に1、2回ランダムに訪れる父のロスへの出張は、僕にとって恵みの雨の
ようだった。
日本のCDを必ず買ってきてもらえるからだ。
「安全地帯2」と書かれたそのアルバムから始まり、気づけば全ての曲を歌えるように
なっていた。

「自分の中にある音楽」
それは、突如理屈なしに訪れる“瞬間”から始まる。
稀に時をかけて好きになる場合もあるが、ほとんどは一瞬だ。
次に“行動”。それを無意識の中で自分の中に取り込もうとする。
大抵は“模倣”である。
そして止めどなく訪れる次の“瞬間”の頃には、自分なりの方法で“消化吸収”されていることに気づく。 

そんな定義付けさえ何の意味も持たなかった幼少の頃。
数ある手段のなかでも“歌う”という行為が、僕にとって一番自由で、そして楽しいと
いうことだけは、何故かはっきりわかっていた。
だから僕の中での音楽というものと、歌うこととは切っても切れないものなのだ。

光永泰一朗という一人の人間が生きていくために、絶対になくてはならないもの。
そのうちの一つが音楽=歌であることは疑う余地がない。
しかしその音楽でさえ、決してそれ単体で存在しているわけではない。
日々の生活、大切な人々の顔、思い出、風景、天気、機嫌、映画、願い、、、。
ありとあらゆるものと結びつく、最大公約数なんだ。
その上驚くべきことに、幼少期に無意識に築き上げた礎の上で、年月と共に無制限に蓄積
されていく。さらに時代や自分の旬に応じて、様々な形に変化できるのである。
そんな内的要素に加えて、人と人、国や言葉や宗教そして時間までも軽く飛び越えられる
恐るべき跳躍力を持つ。
こんなものがほかにあるのだろうか。

僕の大切なある人が、こんな嬉しい言葉を贈ってくれたことがある。

「たいちと音楽との関係は、まるでいつも自然にそばにいる幼馴染みのようだね。」

何でも分かり合えて、それでいて日々刺激を受けながら成長を共にする。
時に喧嘩してソッポを向かれても、決して離れることのない。
限りない尊敬、そして何より愛に満ち溢れている。
「僕の中にある音楽」
そんな最高に素敵な関係を、ずっと築き続けていきたい。


貸レコード「APPLE」は、レストランになっていた。
家のアナログプレーヤーも、だいぶ前からCDに替わっている。


いま思えば、「あっちへ行ってなさい。」とは言われたことがない。