日本茶にハマりついでに、江戸の風景、情緒、人情
なんぞにも触れています。
図書館で借りてきた江戸時代の社会史研究の本を
読んで、江戸の町を歩く人々の姿に想い巡らす・・・
というのも良い感じの「お茶請け」です。
僕たちが普段歴史として認識しているのは、どちらかと
言えば全体史(政治的通史)のほうではないかと
思います。
「いい国(1192)作ろう鎌倉幕府」とか、
「鳴くよ(794)うぐいす平安京」みたいなやつですな、
端的に言うと。
それに対し、社会史という定義がありまして、これは
文書史料だけでは浮かび上がりにくい社会の実情、
人々の生活なんぞに焦点を当てた考え方です。
日本史における社会史研究のさきがけとして知られる
のは、ご逝去された網野善彦先生。
先般、遺作とも言える著作を拝読しましたが、『正論』
とか読んでるド右翼の人が読んだら脳天から血しぶき
噴いて倒れそうな感じの内容です。
久々に、我が反骨魂が喚起されました。遠いご先祖は
坂東の風雲児平将門なんだぜと!!
あっ、思い切り話がそれちゃった><
社会史なんてしかめつらしい言い方なので、輪をかけて
難しかろうかと思われそうですが、実際はそうではなく、
一番手近な社会史入門は、実は時代劇だったり
歴史小説、時代小説だったりします。
つまり、庶民の生活ぶりを見ていくのが社会史の楽しみ
のひとつ。
そういうわけで、藤沢周平さんや池波正太郎さんや
佐伯泰英さんの小説読んだりドラマ観たりっていうのは、
もう江戸社会史研究お楽しみ篇の入口に立ってる感じです。
ただし、それらはあくまで入門というか、興味のきっかけです。
時代小説なんて、意識的にも無意識的にも嘘八百だらけ
なので、事実こうだったんだと真に受けてはいけません。
なにせ、書いてて楽しく読んでて楽しくが目的ですから、
作家の理想像がまるっと投影されて、実像とは正反対の
こともしばしばあろうかと。
いや・・・楽しむぶんには別に真に受けてもかまわないか。
まー、実際どうだったかなんて、突き詰めれば誰にも永遠に
わかんないわけだし。
というか、こんなこと書くと、社会史と時代小説とを一緒に
論じるな!っと怒られそうですが、怒られたっていっこうに
かまいませんでござる。
今、お茶請けに読んでいるのは、
吉田伸之先生の『成熟する江戸』(講談社刊「日本の歴史」17)
一般向けとしては本格的な社会史本。
網野先生っぽいですが、刺激的で面白いです。
あと、久しぶりに池波正太郎大先生の『鬼平犯科帳』も
読んでいます。
2時間で一冊読んでしまうスピード感。素敵です。
それから、落語のCDも借りてきて、聴き始めました。
これは、語りだすとまた長々となるので、日をあらためまして。