ミュージカル『レ・ミゼラブル』は今まで何回か見たことがありますが、今年は初めて、同一シーズンに3 回見ました(4/26 マチネ、5/2 マチネ、5/22 ソワレ)。このうち5/2 は事前にチケットを取っておらず、ダメ元で当日券を狙ったら、奇跡的に取れたので、ラッキーでした(どうやら当日券は14 枚で、私は整理番号12 番。ギリギリでした)。更に、後から書くように、5/2 のパフォーマンスは素晴らしく、身体が震えるほど感動したので、本当に幸運だったと思います。
全般的に思ったことは、基本的に同一演出とはいえ、年によって結構変わるんですね~。伴奏のオーケストレーションも聴きなれない部分があちこちにあるし、「一日の終わりに」では、女性が歌っていた筈の対旋律が男性に割り当てられているし。「夢やぶれて」では、メロディが始まる前の語りのような部分が完全無伴奏で、本当に語りになっていました。それから1832 年パリのシーンで、ジャン・バルジャンに最初に気が付くのがテナルディエでなくマダムの方だったり。
歌詞も、特に経過的な部分で、「こんな歌詞だったかな~」と思うところが数多くありました。全般的には、物語の流れが分かりやすくなったように思います。まあ、直近聴いた2017 年版を細かく覚えている訳ではないので、2 年前との比較、という意味でどのように変化したのかはよく分かりませんが、そこそこ変わっているのだと思います。
それから、3 回の座席は当然違うのですが、席によって聴こえ方が結構違うな~、ということも発見でした。特に、4/26 は2 階のB 席だったのですが、強く歌うサビの部分はともかく、弱く歌う箇所が全般に平板に聴こえて、いまいちでした。また4/26 のパフォーマンスは全体的にセカセカとしていて、歌を連ねるコンサートのようにも聴こえました。ストーリー上の心情があまり伝わってこない感があったのです。指揮のせいなのか、座席のせいなのか、よく分かりませんが、複合的な理由があるのでしょう。ともかく、この後で役者さんごとの感想を書きますが、4/26 に聴いた人は、その意味で過小評価になっているかもしれません。
4月26日
5月2日
5月22日
さて3 回も見に行くと、同じ役をいろいろな役者さんで聴けたので、比較できるのが楽しみですね。特に今回は結果的に、ジャン・バルジャンとジャベールはそれぞれ、トリプル・キャストを全員1 回ずつ聴けました。
ジャン・バルジャンは、吉原光夫さんが圧巻でした。出てきた瞬間からその歌声に引き込まれ、全編、穴というか、ネガティブに感じる部分が殆ど無い。敢えて敢えていうと、「彼を帰して」の最後の伸ばしが、ちょっと苦しそうだったかな。2017 年に聴いたジャン・バルジャンも吉原さんで、その力強い歌に圧倒されましたが、今回は、特にファンテーヌと絡んで以降、声にやさしさが増したように思います。とはいえ、弱くなった訳ではないのが、すごいところです。
福井晶一さんは、特に穴は無かったのですが、何故か、私の心にはあまり響いてきませんでした(福井さんを聴いたのは4/26 なので、他の席だったら違った感触があったかもしれません)。ただ、下水道から出てきてジャベールと対峙する場面は、凄味がありました。この場面は、誰よりも福井さんの声と演技が圧倒的でした。
佐藤隆紀さん(シュガーさん)は、基本的に優しい声の人ですね。出獄直後の場面では迫力に欠けるきらいがあるのですが、そこはメロディを崩してセリフ的な歌い方を多用することによって、解決されていました。またこの場面は、素顔のシュガーさんを全く感じさせない化粧で、造形面でもうまくカバーされていたと思います。シュガーさんを聴いたのは東京公演も終盤にかかる時(5/22 )で、そのせいか後半、ところどころ声がかすれていたのが少し残念でした。とはいえ評判の「彼を帰して」は表現をとても工夫されていて、良かったです。この曲に限っていえば(また声の調子が良かったら)、吉原さんよりも素晴らしいかもしれません。
ジャベールは、川口竜也さんが最高でした。吉原バルジャンとの組み合わせで聴いたこともあり、冒頭からすごいことすごいこと。他の人は「ここいいな~」という部分と「あれ?」という部分が混在しているのですが、川口さんは吉原さん同様、ほぼ穴がありません。長年ジャベール役をされていることもあり、現時点では、川口さんのジャベールを標準として、他の役者さんはそれにどう自分の味を加えるか、というような感じなのではないでしょうか? 川口さんで敢えて言えば、「星よ」でもう少し強弱の陰影があった方がよかったかな~、とは思います。でも「自殺」は圧巻でした。
伊礼彼方さんは、川口さんとは逆に、素晴らしい部分といまいちな部分がはっきり分かれたように思いました。最初の方は、育ちが良い感じが残っていて、ジャベールが持つ厳しさが不足している感がありました。しかし1832 年パリの場面になってから、俄然力強く歌うようになり、一挙に引き込まれました。「星よ」は考え抜かれた強弱表現で、素晴らしかったです。この歌に限れば、川口さんより良かったです。ところで、バリケードが陥落してから、伴奏のみを背景にジャベールが暗闇の中ジャン・バルジャンを探しに来る場面がありますが、この場面、伊礼ジャベールは(ある意味命の恩人の)ジャン・バルジャンの生死を知りたいのであって、もはや逮捕しようとは考えていないように、私には感じられました。だから下水道から出てきたジャン・バルジャンと対峙する場面でも、本音では端から逮捕を考えていない感じ(ちなみに川口さんは、歌詞通り、この対峙の最中に逮捕しない決断をしたように感じました)。なので伊礼さんの「自殺」は、最初から心は決着済で、死ぬことを決心しているかのよう。歌詞に心の混乱を示しているので時系列的にはおかしな感じにもなりますが、「自殺」の歌詞がバリケードからの解放後ここに至るまでの心情を歌った、と考えれば納得できます。新鮮な役作りでした。
上原理生さんは、最も法を信じ、頑固なまでに冷徹に職務を遂行する役作りに思えました。そしてバリケードから解放されてからは、混乱して狂気さえ漂わせるジャベールでした。伊礼さんとはある意味真逆かもしれません。ただ、おそらく座席(4/26 )のせいで、歌があまり印象に残っていません。少し残念だったのは、下水道から出るジャン・バルジャンと対峙する場面で、逮捕しないという決断が唐突で、気持ちの変化があまりよく分からなかったことです。
ところで、この下水道出口の場面ですが、ジャン・バルジャンを逮捕せずに、立ち去るように言う歌詞が、3 人でそれぞれ違うように記憶しています。川口さんは「行け!」とだけ、伊礼さんは「よし、行け!」、上原さんは「わかった!」。人によって歌詞を変える、ということもあるのですかね~。私の記憶間違い?
ファンテーヌは初登場の濱田めぐみさんに期待していたのですが、期待にたがわずというか、イメージとはちょっと違った形で、素晴らしいファンテーヌを聴くことができました。歌は勿論べらぼうに上手いのですが、彼女が本来持つ力強さを少し封印し、儚いファンテーヌ像を出されたように思います。濱めぐさんの「夢やぶれて」は、TV で素晴らしい歌唱を披露された映像があり、youtube で聴くことも出来ますが、あれはコンサート的な歌い方なのでしょうか、舞台上の「夢やぶれて」は全然違う歌い方でした。もっと歌詞に寄り添って、儚く儚く(でも決して弱弱しくはないのですよ)。
濱めぐさんのファンテーヌは何より、死にに行く場面が凄かったです。ベッドの上からまず右(舞台方向)を向いて、蚊の鳴くような声で、コゼットに呼びかけます。コゼットの幻影が見えているのですね。その後ジャン・バルジャンが来て、最後はジャン・バルジャンの腕の中で息を引き取るのですが、普通は前を向いてガクッと首を垂れる。でも濱めぐさんは、ここで右、つまりコゼット(の幻影)がいる方向を向くのです。そして目を開けたまま、首を垂れる。最後までコゼットを見て、コゼットに心を残しながら息を引き取る演技が、感動的でした。
実はファンテーヌという役は、日本では私にとって鬼門で、かつてソウルで見た韓国語版レミゼの、ファンテーヌ役チョン・ナヨンさんの熱唱(「夢やぶれて」はyoutube で聴くことができます)を聴いて以来、誰のファンテーヌを聴いても物足りなく感じたものです。濱めぐさんのファンテーヌはチョン・ナヨンさんとはアプローチが全く違うので、比較は出来ないのですが、そういう物足りなさは全く無く、嬉しかったです。
ところで、日本人のファンテーヌ(ネットで聴けるものに限る)の中では、1994 年の絵馬優子さんの「夢やぶれて」がいいですね~。演技も、「コゼットの幻影が見えた」という感想を見たことがあるので、濱めぐさんと同じような演技をしたのではないでしょうか?この人は1994 年しか出ていないようだし、今は歌の先生をされているようですが、何故ミュージカル歌手として続けられなかったんだろ?
エポニーヌは、唯月ふうかさんしか聴いていません。他の人(特に昆夏美さん)も関心はあるのですが、なにせ私が唯月ふうかさんの大ファンで、ふうかエポ一択でチケットを取っているので、仕方ありません。
ふうかさんの歌はやっぱり素晴らしいです。この文の最初に、座席による聴こえ方の違いについて書いたけど、彼女はどの席でも関係なし、どんな場面でも耳にすと~んと入って来ます。ふうかさんには出待ちをしてサインを頂いたので、普段の姿を間近で見ましたが、小柄で、腕も脚も本当に細くて、とても華奢な女性なのです。あの身体でどうしてこんな力強い歌声が出せるのか、不思議で仕方ありません。
ミュージカルでは、感情表現を優先して、部分的にメロディを崩して語りのように歌う場合がわりとありますよね。ふうかさんは、それを殆どしません。常にメロディを歌い、また音程が抜群に良い。そのくせ、メロディの上に、感情をとても上手に盛り込むのです。だから短い経過的な歌からソロナンバーまで、耳は常に満足。
「オン・マイ・オウン」は、主メロディが出てくる前の(シャンソンで言うクープレの)部分から、感情に溢れ、心惹かれました。主メロディに入っても、最初のまだ静かに歌う部分が素晴らしい。盛り上がった部分で、あの島田歌穂さんが初めて一音上げたところだけは、2017 年に聴いた時も含め最初の3 回は「丁寧な歌い方だな~。もっと張り上げて欲しいな~」と思う感もありましたが、5/22 に聴いたときは、ここも迫力があり、最高でした。また「オン・マイ・オウン」は、クープレが終わる時、“目覚める”の“る”と同時にぴったり伴奏が始まらないと興ざめなのですが、今回聴いた3 回とも、ぴったしでした(これは指揮者の功績かもしれませんが)。
それから特に5/2 は、「恵みの雨」(死の場面)が素晴らしかった。この歌は、胸に傷を受けて死にそうな場面ながら、途中でどうしても朗々と歌いたくなるメロディがあります。ここは1 フレーズ目を歌い上げ、2 フレーズ目で小さく途切れがちに変える歌い方をする人が多いのですが、ふうかさんは一貫して、常に弱弱しく途切れがちな歌い方で、苦しく、死にそうな感じが強く伝わりました。またこの歌では、マリウス役の海宝直人さんも素晴らしかった。過去の録音を聴くと、死にそうな歌い方は島田歌穂さんも素晴らしいのだけど、か細い声のエポニーヌに対してマリウスの声が大き過ぎて、デュエットとしてのバランスがあまり良くない。でも今回、海宝さんはふうかさんに合わせて、重唱部分をとても密やかに歌いました。音楽的バランスは良いし、場面としてもエポニーヌの耳元で囁いている、という設定に納得感もあり、とても良かったです。ただ5/22 では、同じアプローチながら、座席のせいか二人とも少し大きめに聴こえました。
ふうかさんの演技はどうでしょう。エポニーヌはテナルディエの娘であり、平気で悪事を働く側面もあるのですが、ふうかさんが一生懸命演じておられるのは分かったものの、笑顔が素敵な彼女からはあまり、すれっからしさは伝わってきませんでした。なのでどこまでも、健気で、いじらしいエポニーヌ、という印象が強く残ります。「恵みの雨」の場面は、歌だけでなく演技もとても良かった。マリウスに必死でしがみつき、そして抱きかかえられ、その間ずっと笑顔なのです。しかも満面の笑み、というのではなく、どこかに憂いが残る笑顔。身体は苦しいけど、(好きな人に抱かれて)心は幸せ、という心情がむちゃくちゃ伝わってきて、涙をそそられます。最後はマリウスに顔を近づけ、口がマリウスに届く直前に、ガクッと死ぬ。最後にせめてキスくらいさせてあげたかった。こんな場面を3 回も見せられた日にゃあ、悲しくって悲しくって(同じ場面なのを承知で勝手に見に行ってるんですけどね)。この場面は毎回、涙が止まりませんでした。
エポニーヌもファンテーヌ同様、ソウルで聴いたパク・ジヨンさんがお気に入りでしたが、私的には、どちらか選べと言われれば、もはやふうかさんですね(とはいえパク・ジヨンさんも魅力的ですよ~)。
私は最後の場面にある、ファンテーヌとエポニーヌの重唱が、短いながらとても美しくて、レミゼの中でも大好きな部分なのですが、濱めぐさんとふうかさんの組み合わせにはとても期待していました。この2 人の重唱は、「デスノート THE MUSICAL 」のCD で、とてつもなく美しい長3 度を聴いていましたから。で、期待に違わずとても良かったです。すぐ終わってしまうのが本当に惜しい。また5/22 には、どうもお二人でメロディを交換したようでした。これにはびっくりしましたが、声質から考えて、ふうかさん上濱めぐさん下の方が確かに合っているかもしれません。素敵でした。(この後ふうかさんからサインをもらったのだから、その時直接、メロディ交換について聞けばよかったと、少し後悔。)
コゼットは生田絵梨花さんで1 回、小南満佑子さんで2 回見ました。熊谷彩春さんはとても評判が良いので見たかったのですが、残念ながら聴く機会がありませんでした。
生田さんは音程も良く、透き通った奇麗な歌でしたが、案外声が細いんですね~。単独の場面はともかく、ふうかエポと重なる場面などではちょっと弱く聴こえたかな。演技では、「プリュメ街」から「心は愛にあふれて」にかけて、マリウスを思う場面の、満面の笑顔が良かった。恋愛初期の、あのウキウキする感じが良く伝わってきました。同じ場面でも、ジャン・バルジャンと対峙する時は、不貞腐れではいないにせよ、つまんなさそうで。それに結婚直前になると、マリウスと話す時でも、もっと落ち着いた笑顔。状況ごとの表情が、いかにもありそうで、良かったです。ところで生田さんは、娼婦役も発見できました。大股開きで粗野な演技はアイドルとは思えず、さすがの役者魂ですね(唯月ふうかさんは、女工役は見つけたけど、3 回も見たのに娼婦姿はついぞ発見できなかった。いったいどこにいたのだろう?)。
小南さんは、高音で時に音を外したり苦しそうなところもありましたが、総じて軽やかで奇麗な声で、感じのよいコゼットでした。特に良かったのが最後の場面。5/2 には、“生きて、パパ。別れは早すぎる”と歌った後に、“ね! 💛 ”という言葉を入れたのがとても可愛らしかった(4/26 には気が付かなかったので、アドリブかもしれません)。それからジャン・バルジャンが“私は父じゃない”と歌うと、即座に顔をくしゃくしゃにして、何度も何度も、強く顔を横に振ります。「そのことは知っているわ。でも違うの、パパはパパ。私のパパなのよ!」とでも言いたい気持ちが一瞬にして伝わってきて、ジャン・バルジャンの死の悲しみが一層募りました。これから、いろいろな役者さんの、この場面のコゼットの表現を見るのが楽しみです。
閑話休題。生田さん出演の時は、男性客比率が高いとは聞いていましたが、本当でしたね。特に、若い男性二人連れというのは、他の回ではあまり見かけない観客筋だと思います。休憩中にそんな若者二人組の「・・・生田絵梨花よりかわいいじゃん。歌もいいし。」「そりゃエポニーヌはヒロインだからね」みたいな会話を漏れ聞くと、唯月ふうかファンのじいさんは心の中で「そやろそやろ」とニマニマするのでした。
マリウスはやはりと言うべきか、海宝直人さんが素晴らしかったです。歌は上手だし、安定していて。エポニーヌの時に少し触れましたが、相手に合わせて歌う力も、出来て当然のようでいながら、なかなか出来るものではないでしょう。で、マリウスという役は、良い演技であればある程、ムカつく奴になりますな。エポニーヌの悲しい悲しい死を見届けた後、それほど時間が経っていないタイミングで、エポニーヌの遺品(帽子)を腰に挟んだまま(!) 、コゼットに対する思いを歌った時にゃあ、半ば本気で腹がたちました(笑)。
テナルディエという役は、じっくり見ると本当に難しい役ですね。「宿屋の主人の歌」からコミカルなイメージがあるけど、他の場面では平気で悪事を働く、醜く怖い側面もなければいけません。今回最初(4/26 )に聴いたのは斎藤司さんでした。歌は上手だ(少なくともレミゼのプリンシパルとして遜色ない)し、漫才的なアドリブを封印しつつも、コミカルな場面では十分練った演技をされました。とはいえこの時点では、そんな演技も観客と少しかみ合っていない感があったし、何より邪悪なテナルディエが全く伝わってこなかった(本人もインタビュー記事で、悪の部分で苦労していると告白されていました)。しかし最後の5/22 に聴いた時ははっきりと進歩し、斎藤さんなりのテナルディエ像を確立されたように思えました。簡単に言えば、小賢しいだけの実は小心者の小悪党、要は小物、チンピラです。コミカルな演技にも磨きがかかり、小物感に溢れた演技は見事でした。
でもKENTARO さんのテナルディエ(5/2 )は、「こりゃ勝負にならん」と思うくらいに凄味があった。斎藤さんとはある意味真逆のテナルディエで、本当はとても切れる頭の良い男が、生きるために、必要に応じてコミカルになりまた邪悪になるように“演技”している(KENTARO の演技ではなく、テナルディエの演技)、そんな感じでした。生まれる時代や境遇が違ったら、なんらかの分野(悪の分野かもしれませんが)で必ずや大物になっただろう、というテナルディエ。斎藤テナルディエならKENTARO テナルディエの使いっぱしりがせいぜい、という人生が目に見えるようです(斎藤司がKENTARO に使われる、という意味ではないですよ)。
マダム・テナルディエは、長年、森公美子さんが演じてこられ、“デブキャラ”(敢えてこう書きます)としてのマダム像を確立されたように思います。それだけに、太っていない役者さんにとっては、どのような、“デブキャラ”でないマダム・テナルディエ像を作るのか、という課題がチャレンジだと思います。
なお、デブキャラとしてのマダム・テナルディエは日本版の専売特許ではなく、グローバルにあるひとつの形だと思います。韓国語版のパク・ジュンミョンさんもデブキャラですが、正直、森クミさん(私は2017 年に見ています)より凄かった。森クミさんは笑顔が素敵な人なんで、どこかに“いい人”感が残るのですが、パク・ジュンミョンさんのマダム・テナルディエは本当に意地悪な、ヤなおばさん感満載だったので(素顔のパク・ジュンミョンさんはきっといい人なんでしょうけど。なおやたら韓国語版を褒めていますが、女性プリンシパルは本当に、総じて素晴らしかったのです)。
さて今年のマダム・テナルディエですが、初出演の朴ロ美さんが、デブキャラでないマダム・テナルディエ像を見事に打ち立てられたと思います。声優出身なせいかいろいろな声色をお持ちで、場面に応じて声を自在に使い分け、コミカルで意地悪で邪悪でもある、また色気もある素晴らしいマダム・テナルディエでした(宿屋をジャン・バルジャンが訪れた場面で、色仕掛けのマダム・テナルディエに戸惑うシュガー・バルジャンが可愛らしかった)。朴さんにはこれからもマダム・テナルディエを続けて欲しいな~。
鈴木ほのかさんは、コゼットやファンテーヌを演じた人とは思えない体当たり演技で、2017 年に噂を聞いた、ダミ声が苦しそう、という感じも無く良かったのですが、衣装でかなり太った造形にしていたし、デブキャラから脱却も出来ず、成りきることも出来ず、ちょっと中途半端な感じがありました。
ところで、5/22 の公演では、ジャン・バルジャンに大金を貰って大喜びした斎藤テナルディエと朴マダムが、はっきりと、SEX 突入を示唆する演技をしたのにはびっくりした。他の組み合わせでもやっているのだろうか?
アンジョルラスは、小野田龍之介さんの歌が素晴らしかった。伸びやかで、また力強くもあり。小野田さんの歌を聴いた後では、正直、上山竜治さんは物足りなく感じました。でも上山さんは、造形がいいですね。きりりとした眉で、革命を起こそうという学生リーダーにぴったりの雰囲気がありました。
今回は、もともと音楽から入った私に、役作りの面白さ、芝居の素晴らしさを印象付けたシリーズでした。
5/2 は、素晴らしいプリンシプルが揃った回で、本当に感動しました。この日の舞台、映像かせめて音源として、公開されないかな~。やっぱり無理かな~。
最後におまけの話。何度か韓国版に触れましたが、その2015-16 年公演のプロモーション映像をyoutube で見ることができるので、時々見ています。すると、2019 年日本版との、ちょっとした演出の違いが発見できて面白い。
「宿屋の主人の歌」の最後のほう、マダム・テナルディエが“ケツにぶち込め”と歌う場面がありますが、韓国版では、本当に酒瓶をテナルディエのおしりにつき刺そうとします。面白いので日本版でも取り入れてくれないかな。
逆に日本版の方がいい、と思うのは、「ワン・デイ・モア」の最後。日本版では学生たちやエポニーヌが右腕を高々と挙げますが、韓国版ではあまり統一されていません。全く腕を挙げずきりっと前を向くエポニーヌも格好いいのですが、全体の造形は、形が揃った日本版の方が格好いいように思います。
ところで、韓国版のエポニーヌは、いつも指ぬき手袋をしているのです。日本では、少なくとも2019 ふうかエポは、手袋などしていなかった。あの手袋は、どういう意味があるのだろう?
(おしまい)