東日本大震災から一年。
一年前の今日、歯科医院で勤務中だった。
2:46
大地震に外に非難し、地震がおさまってまた診療中にまた地震。
さすがに診療中止になってやっとテレビをみれたのが3:55分頃。
津浪の映像をみてすぐに電話をかけたけどもうつながるわけがなくて。
それでも家に帰るまでの間、家に帰ってから朝まで、とにかく電話をかけ続けた。
次の日も、その次の日も。
3度岩手に帰った。
変わり果てた姿はテレビの映像以上で。
見てもそこが故郷だとはとうてい思えなくて。
それはいまも同じで。
なんで・・・
東北なの?
って。
なんで自分の故郷だったんだって。
誰もが思ったはず。
安否が分からない恐怖感はもう味わいたくない。
多くの人が。
家族や友達を亡くした津浪。
私は、叔父と友人たちともう逢えないことになってしまった。
結婚してなかった叔父はわが子のように私を可愛がってくれた。
あの日。
叔父の家は、家の裏が山ですぐ避難所。
けど叔父は、家にいた。
叔父の家の近くに、兄の勤める役場があり、兄の車は叔父の家にとめてあったから。
兄が思うに、きっと帰りをまっていたんだと。
家に来て、叔父がいなかったら兄が心配してしまうのではないかと。
そして叔父は亡くなりました。
私たち兄妹がプレゼントしたジャンパーを最期に着たまま。
お正月に10分間逢ったのが最期。
叔父とした約束も果たせなかった。
なんでやっておかなかったんだって死ぬほど後悔した。
1月に結婚したばかりの高校の同級生が陸前高田で亡くなった。
子供をのこして亡くなってしまった同級生。
役場で対策本部にいた同じ部活の同級生。
たまたま帰省中だった親友。
後輩、先輩。
友達の家族。
小さい町だから、だれもが知り合いってくらい顔は知ってる。
津浪にのまれたとき・・・・・
どんな気持ちだったのか・・・・・
どんなに寒く、苦しく、痛かったのか・・・
考えてもわからない、分かることはないのだけれど考えてしまう。
寂しさ。
苦しさ。
痛み。
津浪にのまれてすぐに亡くなったのではない。
波とは思えない、たくさんの瓦礫を飲み込んだ波。
叔父は・・・・
右足がなかった。
それでもキレイなほうだと父は言った。
たくさんのご遺体は、遺体安置所に置かれ、特徴が書かれた紙を頼りに、遺体を確認しにいくのだと。
叔父は震災から約一ヵ月後にやっと帰ってきた。
それほど・・・・
ご遺体が多く、そして特徴もわかりにくいものだったということ。
瓦礫を飲み込んだ波の恐ろしさ。
あの日、被災地にいたみんなはどれだけの恐怖と不安を味わったのか。
考えてもどうしようもないことわかってるけど・・・
考えてしまう。
分かるわけ無いんだけど。
分かりたいとおもって考える。
報道を見る。
最期の地元の瞬間。
生まれ、育ち、遊んで、笑って、喧嘩して・・・・・
通学路、川、学校、公園、友達の家、塾・・・・
すべて無くなった。
思い出は心の中にあるけど。
帰省したときにみる光景は別世界。
信号が建っているだけで遠くまで見渡せる世界。
街灯も無く真っ暗な世界。
自分がどこに立っているのかもわからないくらい何も無くて。
どこが、通学路なのか、遊んだ公園なのか、わからない。
建物や場所をみて懐かしむことができなくなった悲しさ、虚しさ。
まったく違う世界をどうしても故郷だと認識できない、したくない世界。
アニメやゲームみたいに・・・・
魔法が使えたら・・・・って思ったり。
これがゲームだったらリセットできるのにとか、
できるわけないことを想像したり。
夢であったと、今でも思う。
悪い夢から早く覚めたい。
これが現実だと・・・認識してはもちろんいるけど・・・・・
やっぱり。
悲しすぎる。
前向きに生きる人達の影はある。
被災地のみんなは笑顔だった。
笑顔だけど。
強いけど。
でも、弱いと思う。
一回だけでいいから魔法を使えたら。
「全部元にもどして」
って、魔法を使うのに。
どうか、被災地のみんなが暮らしやすい環境がはやくできますように。
眠れない人達がよく眠れる日がきますように。
被災地にいないみんなが被災地を忘れないように。
心がひとつであるように。
一生忘れることの無い記憶。
忘れず、心と脳に刻んで最期まで精一杯生きようと思う。
亡くなった方々が早く天国に行って安らげますように。
(被災地にはまだ自分が亡くなったことをしらない方々がいて、見える方には見えると被災地の友人たちが言っていました)
亡くなった方々のご遺族が元気に一生を過ごせますように。
本当の笑顔が増えますように。
キレイな海、海岸、砂浜、山がはやくみれまうように。
あの、キレイな海でまたみんなと海水浴できますように。
どうか、どうか、どうか・・・・