山裾の小屋の「シロ」・・・その後 | aihamalteseのブログ

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愛犬の名は「あい(♀)」、犬種はマルチーズ、2010/4/18生


 私がその猫「シロ」に出会ったのは、原発事故の放射能汚染のため人が避難してまる三年が経とうとしていた2月28日だった。
その日は、まだ村が孤立した14・15日と降り続いた豪雪の名残りが残っていた。

山裾の木々に囲まれ、雪に埋もれるようにぽつんと立っているプレハブ小屋に「シロ」は生きていた。


三年間の月日はどれ程に厳しかったことだろう。差し出した温めたウエットを警戒することもなく食べたのだった。




 それ以来、7月の「運命の日」まで餌やりに通い続けた。ボラ仲間も村に入れば必ず寄って給餌していた。

(3月)



(4月)


 車の音を聞きつけると飛んで出て来るようになって、懐っこい猫になっていた。
TNRの際に野生動物に襲われたのか尻尾の付け根にキズを負っているのが見つかったが、治療も出来て大過なく過ぎた。毎日のように給餌は続いて、元気な姿を現すのが常だった。



(6月)



(6月末)



 ところが、7月5日以降ぱったりと姿を見せなくなった。今までの「付き合い」から異変が起きていることは確実、心配はしていても如何ともしがたい。そんな折の10日、ボラ友の前に満身創痍の姿で現われた。直ぐに捕獲を試みたが叶わず、翌11日捕獲器を持って行って捕獲、入院できたのだった。その時のブログ→(*)


 それから29日の退院まで治療を続け、ダブルキャリアだったのでリターンすることなく福猫舎でお世話していただくことになった。その時のブログ→(**)




 9月14日の未明に、「シロ」は亡くなりました。

 福猫舎では「葵(あおい)」と名前を付けてもらい、キャリア部屋でのんびりと過ごせた1か月半だった。3年間の厳しい生活でキャリアになり内臓はダメージを受けていた。

 安らいだ時間は短かったが、「犬班A。」さんの腕の中で逝けたことはせめてもの慰め・・・

 「犬班A。」さん、いつも辛い役を引き受けていただきありがとうございます。

 

8月8日:福猫舎のキャリア部屋でくつろぐ「葵」くん。窓越しに会ったのが最後になってしまった






さようなら「葵」くん