前回より続くビンラディン殺害のニュースに関する投稿、最終回です。
イラク戦争を起こしたアメリカの思想を局地化したような今回の襲撃。
苦渋の決断であり、困難を極めた判断であったのは確かでしょう。
ある種、無法行為とも言えるような、高い機密性を持つ超法規的な軍事作戦を強行し、
ビンラディンが死亡したという確実性を持った事実を伝えるため、空爆ではなく地上戦で殺害した。
内通者によって情報が漏れることを懸念してパキスタンへの事前通知を行わないという点からも、
その後に瓦礫の中から遺体を捜索するのは、おそらくほぼ不可能に近いという判断かららしい。
如何なる方法に於いても、9.11が引き起こした世界中の深い悲しみが癒えるわけではないが、
凶悪犯の審判を司法の手に委ね、その真意を語らせたかった人も多くいる。
「誰もが認めるたったひとつの正義」というものを成し遂げたわけではなく、
テロとの戦いに屈しないその正義のあり方は、関わる立場によって異なります。
その誇りを傷付け、多くの人命を奪った憎き相手を葬ったことは、心の底からの喜びではある。
しかし、快哉を叫び、祝賀ムードに沸く映像とその国民性に違和感を覚えた人も少なくないはず。
今回の件の報告に向かった大統領のグラウンド・ゼロ訪問時のように、
各方面へ配慮した厳粛な姿勢をとるべきで、何かのスポーツで勝利したのとは違うのです。
いずれにせよ、世界で唯一戦争に核を使用した経験を持つ法治国家と、
ノーベル平和賞を受賞した、対話と調和を推進するその国家の大統領が、
“法の裁きなしに”一個人の殺害を指示したというのは事実として横たわるわけです。
自らが住むこのほしのことであっても、あらゆる事象をつぶさに知ることはできないんですね…。