米オバマ大統領がノーベル平和賞を受賞しました。

時期尚早で受賞に値しないだとか、政治的思惑を感じるなどとも言われ、「平和賞の政治化」を懸念する声もありますが、受賞理由の骨子を見るだけでも、受賞するに相応しい人物ではないかと私は思います。
兵器開発の反省から創設されたこの賞の理念と、これほど重なる人物は今、他にいるでしょうか。

「核なき世界」を掲げ、核全廃へ向けて主導し、国際外交への協力強化や国家間、文明間での寛容と対話を尊重する姿勢は、世界の人々に希望を与えているでしょう。

核兵器を使用したことがある唯一の核保有国として、核廃絶へ向けて世界をリードする道義的責任があると明言した4月のプラハでの演説。
核軍縮・不拡散へ向けた決議採択を主導した9月の国連安全保障理事会。
温暖化対策推進や国際協調への比類なき努力。
少なくとも、このような人物が先導する世界は過去になかったのではないでしょうか。


ただやっぱり、まだ道筋を示せていなく、何も達成出来ていないとの見方にも頷ける部分はあり、10日付の読売新聞の「編集手帳」に掲載された内容は的を得ていて、妙に納得してしまいました。

ステップだとは分かっていますが、私たちが求めるものは当然「不拡散」ではなく「廃絶」なのです。
世界で唯一核を使用し、今なお大量に核を保有する国の大統領が受賞したというのは事実。
業績よりも理念に与えられたような今回の受賞が、行動を喚起させる責任と原動力となり、
近い将来、「あの受賞は正しかった」と世界が言えるように…。


そして、オバマ氏の受賞が記事を飾る「Herald」の一面には、同日にパキスタンで起こった自爆テロによる痛ましい記事が同時に掲載されていたことも、目を背けてはいけない世界情勢の現実です。

何かを得る為には、何かを捨てなければいけない。
武器を捨てると、平和が訪れた、という事実が存在する未来であると信じたい。