t-factory2014のブログ

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株式会社Tファクトリーの高橋です。

僕の両親は、4年前の3月と6月に他界しました。

親父は86歳で、大正生まれの戦争経験者です。職業は教師で、小学校の校長をしておりました。

親父は家に帰るとすぐに書斎に入り、食事くらいしか部屋をでることもなく、趣味ともいえる児童文学を書いていました。僕は、そんな親父とは反りが合わず、高校・大学と遊びが中心の毎日で暫く家に帰らないことも度々でした。今思えばヤンチャな少年という感じなのでしょう。

大学卒業が近づくと就職が気になりました。僕は迷わず、叔父のコネで先日お話したエボラ熱で株価高騰、六本木に本社のある某企業に入社しました。

会社では、生産管理、生産技術、ネットワーク管理、システム構築等の仕事をそこそこの地位で、そこそこの責任ある内容を任されました。

会社の給料は、ある程度満足がいくもので、家族を持ち、家を買い、特に問題ない環境で29年間を過ごしていきました。

ところが、病気と家庭の問題で退職し起業したことで、生活は一変したのでした。忙しいか忙しくないかといえば、やたら忙しいです。でもそれが報酬に結びつくものではありません。当然、生活は苦しくなりますが、仕事の充実感はあります。一番の違いは、自分がやりたいことを躊躇なくやれることですね。

親父と本音で付き合うようになったのは、死ぬ7~8年前でした。きっかけは、お袋が認知症になった時に、何も家庭の事などしたことがなかった親父が、料理、洗濯、掃除とすべての家事をやるようになったのです。長男である僕の兄貴家族と同居していたので、家事をする必要はなかったのですが、親父は自分でやることに拘りました。お袋には何でも頼っていたのに息子の世話にはならないようです。

4年前の3月24日の朝、病院から親父が救急車で運ばれたと連絡がありました。病院に着き、医師の話を聞くと夕方までの命と宣告されました。親父と話をすると痛みをみせず、自分の信じたことを頑張ってやれよと言いました。あまり時間はないが、また来いよと言いました。

そうして、午後5時に苦しい表情をみせずに静かに眠るように永眠しました。

その時に、僕は決してこの人を超えられないなと思ったのです。それと、この人の子供で良かったと思いました。

親孝行は何もできなかったので、せめて、親父とお袋に恥じない生き方をしたいと思います。

よおし、これからも頑張っていこう。