木材に関する情報収集や、渓流釣りなどで、年に何度かは、奈良県の吉野方面へ出かけています。
大阪から吉野までの道中では、奈良地方に昔から人々が住み続けている集落と、近年に開発されたニュータウンの街並みの風景をくり返し見ることになります。
よく観察してみると、古くからの集落にはいろいろな法則?を見つけることができます。
建物の棟の方向が、ほぼ同じ向きであること。
屋根の色、外壁の色が同じであること。
建物の高さが揃っていること。
建物の開口部が、同じ方向にとられていること。
などです。
かつて日本の民家は、その地で調達できる木や土などの素材を使い、その地域の職人の手によって建てられることが普通でした。
そして、建てられた後も住人と職人との信頼関係によって、補修や手入れを続けられて今日まで住み続けてこられたものと思います。
そして、その地の気候条件などを考えた結果が、このような法則につながっているのだと思います。
そのような集落の風景は、周辺の景色とごく自然に調和し、全く違和感のない佇みを見せています。
一方で、近年の住宅開発地は「○○タウン」とか「××の街」などのネーミングと、「シンプルモダン」や「ジャパニーズナチュラル」、「ヨーロピアンカジュアル」などというような外観デザインによって、おしゃれな街並みをつくり上げています。
しかし、所詮は見せ方や売り方を優先して企画されたものには、年月を超えて持続できるような美しさを備えているとは思えません。
それは、上記のような法則をもって考えられてはいないからです。
街路づくりにも工夫され、コモンスペースの配置や道路舗装のカラーリングなどで、美しい街並みを演出しているようです。
ところが、その周辺に古くからの民家が残っていたり、田園風景の中にいきなりヨーロッパやニュージーランド風のニュータウンが出現するケースなどは、大変な違和感を感じてしまうこともあります。
京都府の美山町は、重要伝統的建造物群保存地区として知られ、多くの茅葺民家の残る集落のあるところです。
美山町に行く道中、その地区に近づいていくと茅葺屋根の家がポツリポツリと目に入ってきます。
しかし、その中のところどころに、最近建てられたプレハブ構造の家が存在することには、多少の失望感を覚えてしまいます。
そこは指定地区の外であるとはいえ、その家の存在はまったく周辺の景色から浮いてしまっています。
住んでいる人にとっては、新しい設備やよく考えられた間取りなど、現代の生活スタイルに合った快適な住まいであることと思います。
しかし、その家を手がけたハウスメーカー(たぶん?)のデザイナーには、「どこでもOK」の既製品のデザインではなく、その場所に相応しい外観の提案ができなかったのかを疑問に感じてしまいます。
江戸時代末期、黒船で来航したペルーの一行が江戸を訪れた際に、けっして立派でもない木造の民家が建ち並ぶ、その街並みの美しさに感動したという話は有名です。
今日、多くのヨーロッパの都市の郊外では、築100年を超える住宅が美しい街並みを持続しており、訪れる人を感動させています。
イギリスでは、間取りよりもまず外観のデザインから家づくりを考えるそうですが、そんなところに住宅が長寿命である理由があるのかもしれません。
ファサード(外観)は、「公」、インフィル(内部)は「私」という割り切りが、街の景観を美しく保つために不可欠なことであると思います。
