コロナ禍で今年も開催が危ぶまれた地元の
社で行われる秋季例大祭だったが、
『大幟は上げず、小幟のみ』
『提灯の飾り付けはなし』
『自治会各家庭を回っての獅子舞は控える』
『土曜日の宵祭りは祝詞をあげるのみ』
『獅子舞は日曜日の本祭りのみ』
・・・という条件つきでの実施となった。
更に・・・ただでさえ、
上記のような条件が付いている上に、
本祭り当日の今日は生憎の雨・・・
☔

雨で太鼓や獅子頭、油箪などを濡らす訳に
はいかないので狭い社の中でこぢんまりと、
しかも短縮バージョンで行うのみとなった。
当家や近所の人々が集まった中、当家代表
が祝詞をあげた後、獅子舞も奉納すること
ができ、例大祭は滞りなく今年もなんとか
無事に終えることができた。
高齢化と若手の流出による人手不足に加え、
長引くコロナ禍で全国的に僕の住む地域の
ような名もない田舎町の伝統行事は次々と
廃れていっている。
前にも書いたが、
正直、獅子舞や例大祭自体を辞めてしまっ
ても、廃れて行ってしまっても誰も困りは
しない。
でも、辞めてしまったらもう、それらを取
り戻すことは絶対出来ない・・・。
『昔、あそこには数百年の歴史を誇った社
があってね、大きな幟があがって、夜は提
灯の明かりのもと、地元の人たちが集まっ
た中で獅子舞もしていたんだよ・・・』
なんて、そんな言葉が交わされる可能性が
年を追う毎に加速度的に高まって来ている。
この危機を何とか乗り越えたい。
非常に無礼な行いであると僕は思うから。