1日目は、神奈川宿まで=27.3kmと決めていました。京都までの502kmを20日程度で歩こうと計画していたので一日平均の歩行距離は25km前後と考えていたからです。
朝6時に日本橋出発。江戸時代の人は「お江戸日本橋七つ立ち」に知られるように、早朝七つ=午前4時頃に提灯を下げて出発、高輪の大木戸の辺りで提灯の火を消したと伝わっているが、私の場合は既に6時ですっかり明るくなっていました。
高輪を過ぎて、品川宿。京急線沿いに北品川に入ると、ちょうど前日6/5(日)に、品川神社?の祭りがあったのか、商店街の若い衆がお神輿を片づけている場面に遭遇しました。(写真①)
品川宿から川崎宿までは旧東海道の標識が道路沿いのあちこちに立っていて、(写真②)迷うことなく旧東海道を歩行出来て、快適。鈴が森刑場を過ぎて間もなく京急梅屋敷駅。ここで昼食。
多摩川にかかる六号橋を渡れば、川崎宿。八丁畷駅の手前に芭蕉の句碑。「麦の穂を たよりにつかむ 別れかな」(写真③) 芭蕉は何度も東海道を旅しているが、この句は元禄7年5月最後の東海道旅の際の句。この年の10月に大阪で死す。さらに進んで鶴見を過ぎて生麦に入ると、有名な生麦事件発生の地に看板が立つ。
(写真④)そこからちょっと行くと、キリンビールの横浜工場があるが、生麦3丁目にビール(麦酒)工場があると云うのは、ちょっとしたシャレですね。
神奈川宿に入ると、この辺り(京急神奈川新町駅から神奈川駅にかけて)は幕末の欧米列強の公使館・領事館の跡だらけとは言っても、殆どすべてが寺の建物に間借りしたものですが。
さらに進み、京急線、JR線を越えると神奈川宿の「台」に到着。ここは、東海道中膝栗毛の弥冶さん喜多さんも立ち寄った茶屋が立ち並んでいた場所。ここに、坂本竜馬の奥さんのおりょうが働いていた田中屋もある。(写真⑤)
と、歴史の匂いも感じながら、一日目の旅は終了。結構寄り道したので、30㌔近く歩いたと思います。疲れました。ルートを外れて横浜駅まで行き、JRに乗って関内まで移動。予約していた駅近のビジネスホテルで宿をとりました。
今年=2011年6/6から19日間かけて東京・日本橋から京都三条大橋までの502kmを歩きました。一人旅でした。旧東海道を極力忠実に歩こうと心掛け、間違った道に入りこんだときは、間違った地点まで戻って歩き直すようにし、かなりストイックに旧東海道をなぞり歩きしたつもりです。しかし、例えば大井川に川越人足はいませんし、宮=熱田から桑名までの七里の渡し船も存在しません。大井川は橋を渡って、宮から桑名までは陸上で現国道1号線を徒歩で通しました。その意味では、江戸時代の東海道旅とは一致しませんが、私としては旧東海道を歩き通したという自負はあります。この間2千数百枚の写真を撮りました。この写真を整理してから、ブログに書きこもうと考えていたのですが、その作業が進まずこのままではいつまでもブログに取り掛かれないと思い、今日から少しづつ回想記録を書き込んで行こうと思い立った次第です。誰かに読んでもらうと云うよりは、自分自身の19日間の記録として少しづづ気楽にお思い返しつつ書いていこうと考えています。ブログに書くことで、無責任な事は書けないと、やや緊張感を持って取り組みたいと思います。それが、ブログに残す意味です。





写真①
