2月以降毎日入ってくるミャンマーのクーデター関連のニュースに心を痛めている。国軍はとうとう何の躊躇いも無く市民を銃撃して殺戮を繰り返すようになった。世界各国の情勢、特に独裁政権の暴挙や民主化を求める人々の動きについては特に関心を持ってwatchしてきたが、今のミャンマーの状況は、1991年に中米のハイチで起こったクーデター事件と酷似してきていると感じてる。

 

そのハイチも当時、国軍の残虐な弾圧により数百人の市民に犠牲者を出したが、三年後の1994年に国軍が退散し、民選大統領が復帰した。もちろんハイチとミャンマーとでは歴史や国情は異なるが、ミャンマーにおいてもこの一件から解決に向けたヒントを見いだせないかと最近思っている。

 

同国は長きに渡って軍政を率いてきたデュバリエ大統領死後の80年代後半に民選のアリスティド大統領が就任。しかし91年にセドラ将軍率いる軍部がクーデターを起こし、アリスティド氏を拘束。米国や周辺国は経済制裁を行なったが状況は変わらず、ハイチ国軍は報復としてデモ隊市民に対し残虐な殺戮を開始した。ここまでの流れは今のミャンマーとほぼ同じだ。

 

当時米国でも世論が二分したものの、クリントン政権はハイチに対し軍事介入に踏み切った。踏み切ったとは言ってもハイチ国軍と交戦したわけではなく、沿岸に艦隊を集結させる言わばポーズを見せた。その上で国軍に最後通告を兼ねた交渉を行い、結果セドラ将軍のフランス亡命受入を条件に国軍政権は退陣、アリスティド氏が大統領に復帰した。

 

当時米国でも介入については賛否が完全に二分。貴重な予算をこの小国のために費やして何の得になるのかと反対意見も多かったが、最後の決め手は、「正当な政権であるアリスティド派から派兵の依頼を受けた」ということだった。米国の承認する政権はあくまでアリスティド政権であり国軍派ではないという立場を明確にしていたため、ハイチ政府から救援要請を受けての派兵という大義名分ができた。又、実際軍事介入して戦乱を広げたのではなく、重点を置いていたのはあくまで交渉であり、話のわからない国軍をテーブルに着かせるためのポーズとしての派兵だったことにも注目だ。

 

昨年の総選挙で勝利したスーチー氏率いる国民民主連盟を中心とした代議員機構であるCRPHを各国が正当政権として承認し、そのCRPHが旧宗主国の英国や、米国に軍事介入の支援要請をしてよい状況なのではないか。だとすれば日本政府含め各国がCRPHを正当政権として承認するよう働きかけるのが千里の道ながらも解決への第一歩なのか。今の状態では国軍は何も恐れておらずやりたい放題となっている。何か良い方法は無いのか、ミャンマーの友人も何人かいるし、誰も怖がることのない幸せなミャンマーになって欲しいと願わずにはいられない。

 

ミャンマーの代表料理、モヒンガー (本文とは関係ありません)