朝食を摂った後でタタウィンの町を散歩してみる。意外にもこの時間帯、よく見かけるのは女性だ。店舗のシャッターを開き、店の前を掃き掃除し、店番を始めているのはほぼ女性だった。男性もいることはいるが、カフェスペースでのんびりダベリながら一服している者が多く目につき対照的だ。そんな風景であるが昨日の夕方と同じく、道行く人々の我々に対する視線はあまり友好的ではない印象だった。中には人を見て露骨にゲラゲラ笑うヤツや、からかうように上ずった声でニーハオと言う者もいる。何かバカにされてムカッとくる散歩であったが、一緒に歩くT氏は全く動じていない。

 

彼の旅スタイルは風景と建物に徹底しており、人間には全く興味を示さない。イスラム建築の写真を撮る時にベール姿の女性が写り込んだとすれば、なかなか撮影対象にしづらいだけに貴重な一枚だと思うのだが、彼はその写り込みを邪魔だとさえ言う。だから仮に悪口を言われても右から左で、相手を空気としか思っていない。その割り切りの徹底ぶりはケースによっては見習いたいけど、逆に歓迎の気持ちを込めて挨拶してくれた人がいても完全スルー。それはさすがに申し訳無いので、僕が彼等に挨拶を返したり会話したりする。チュニジアに来てからほぼそんな具合なので、いつしかコースや宿、交通を調べるプランニング担当がT氏、渉外担当が僕という住み分けができていた。とは言うものの僕だって言語含めコミュニケーションが上手というわけではないので、人相手の場面が多いとさすがにちょっと疲れも出てきた。

 

一旦ホテルに戻り、予約していた車を入口で待つ。ホテル側が言っていた時間から30分ぐらい遅れていたが、やがて一台の車がやって来たので、タタウィンのベルベル建築を見に出発した。運転手は少しあご髭を生やした男前の若い男性。静かで物腰柔らかく、行きたい場所やコースをしっかり聞いて速やかに動いてくれたが、カーステレオからは単調な打楽器と共にひたすらアラーを讃えたり、コーランの一節を唱え続ける宗教音楽が流れ続けていた。そう言えばこの音楽、街中でよく流れているのを聞く。ジャスミン革命後、選挙を経てイスラム原理主義政権となった今のチュニジアだが、厳格な雰囲気は特に感じない。新体制を何となく感じられるのは、パッと見た感じこの宗教音楽があちこちで流れているぐらいであるが、これも革命後の傾向なのかどうかはわからない。


 今回見学するタタウィンの建築群はクサルと呼ばれる。元々砦の意味で、確かに岩山に築かれた村跡等、砦らしい所もあるのだが、多くはオアシス農耕民であるベルベル族が農作物等を貯蔵するために作った大型倉庫の跡である。土で盛り上がった小山をスパッと直角に切り落としたような形をしており、その切り口の平面部分に窓型の横穴がいくつも空いている。

そこに作物等を保管していたようで、きちんと扉や階段も設置されていた。いくつか見学した中でもクサル・ウレド・スルタンは最も鮮やかかつ原型を留めていて、赤土で固められたその建屋と濃い青空とが対峙する原色の風景はいつまでも眺めていたい気分になった。何だか小人の住処を巨大化したような不思議な建物でもある。

他にもシェニニ、ドゥイレット、ゲルマサといった郊外の村を巡ったが、いずれも石や日干しレンガで作られた高台の集落で、そこから辺りを見渡すとほぼ同じ高さのテーブル状の岩山と荒野がどこまでも広がっており、西部劇に出てきそうな風景だった。

T氏にはたまらない景色だったのか、あっちに駆け登ってはパチリ、こっちを駆け降りてはパチリを繰り返している。車に乗り込んで次の場所に移動しようとすると、数分もしないうちに車を停め、荒野の方へ忙しなく駆け出して行く。僕にはどこも同じ荒野に見えるのだが、なかなか前に進めないので運転手と顔を見合わせて苦笑してしまった。

 

 さて、タタウィンを見終わった後の予定なのだが、南部の大きな都市ガベスの駅から鉄道に乗り、チュニスまで北上する。到着は明日の昼過ぎになるらしい。寝台車が取れればよいが、行き当たりばったりなのでダメなら普通座席で夜を明かす。

 うーん…。僕は少し考えた後、プランナーのT氏にコース変更の提案をした。鉄道ではなく国内線の飛行機で一気にチュニスに戻らないかと。理由はいくつもあった。チュニス以外にシディ・ブーサイド等近郊の街にも足を伸ばしてみたかったので、今日チュニスに着いていた方が時間的に余裕ができる。又、出発前に見た安全情報によると、ガベスでは連日労働争議のデモが起こっていると聞く。夜に駅近辺をウロウロして初日のような恐怖をまた味わいたくはない。そして一番の理由は僕がちょっと疲れてしまったこと。下手すれば粗末な座席にしかありつけない可能性もある鉄道でこれから長時間移動することは、費用面以外に何の魅力も感じていなかった。チュニスまで飛べる空港がある最寄りの街はリゾート地として有名なジェルバ島だった。T氏は結局空路の案を飲んでくれたが、条件としてタタウィンとジェルバの間にあるもう一つのクサルの町メドニンも観光したいということになった。

この町にあるクサル・メドニンはやはりタタウィンで見てきたクサルと同様、横穴と扉の付いた倉庫跡だった。この一日で早くもクサルにはやや満腹感を感じていた中、その近くにあった洞窟風の施設の方にちょっとびっくり。

何とそこでは一頭のラクダが働いていた。繋がれたウスの周りを回るように歩くことで杵が回転し、中にセットされたオリーブの実がすり潰されて油になるらしい。同じような光景を以前、遠きミャンマーはバガンの田舎で見たことがあったな。あちらでは確か牛がウスを回し、ピーナッツの油を作っていた。それにしても何でこんな暗い洞窟のような場所でやっているのか。しかもよく見るとラクダは目隠しされている。ウスから油を集めていたおっさんは言った。ラクダは夜行性だから目隠しすると夜だと思ってよく歩くんだと。それホント?

一通り観光を終えた後、運転手にメドニンのバスターミナルまで送ってもらい、そこでお別れした。車からは相変わらず宗教音楽がガンガン流れている。チュニジアでは失業や生活苦で社会に不満を持った若者がアル・カイダ等のイスラム過激派に加わる動きが深刻化しているらしい。元々信心深いわけでもなく、粗暴でもない真面目な人が何かをきっかけに宗教に厳格になるとも聞く。紳士的な彼は大丈夫だと信じたいが、願わくばそんな方向には行って欲しくないので、チップは気持ち多めに。

 

かくしてジェルバ島行きのバスに乗り込む。砂漠や荒野が広がる南部も意外と海が近い。実は東部の半分以上が地中海に面した地形なのだ。ジェルバ島はそんな南部寄りの東岸に隣接した島で、欧米人に人気のリゾートとしても有名だ。男二人でリゾートする気は無かったので今回のコースからは外していたが、ふとした縁でジェルバ入りとなった今、もし早く着けば少しだけでも街歩きできないかなと期待していた。だが、海に挟まれた長細い道路を通ってジェルバ島に入った時にはすっかり日も暮れてしまった。暗がりでも車窓からは白い道路、タイル貼りの壁等が微かに見え、洒落た雰囲気を感じられたのだが、フライトチケットを入手しないとならない僕達は涙を飲んでこのまま一路ジェルバ空港に向かった。

着後早速国内線のチケットオフィスに行ってみる。チュニス行きのフライトは夜12時頃にあると聞いた。今の所満席で、キャンセルが出るかどうかはチェックインが終わらないとわからないので、締め切りの11時半まで待ってからチケットを買ってくれ、と言われた。満席という言葉に絶望しかけたが、係は続けて言った。

「何分規則だから、とりあえずその時間まで待ってくれ。通常キャンセルは必ず出るんで、多分乗れるから。」

 彼の言葉はその通りになり、僕達はとりあえずチュニスまでのチケットを手にできた。寝台か普通座席かの綱渡りを避けたくてガベス駅でなくジェルバ空港まで来たわけだが、こっちもこっちでちょっと綱渡りだった。さ、旅も終盤、チュニスへ出発だ。