砂漠では夜から朝にかけて寒さが半端無い。テントの内側と言っても吐息は白く、外と大して変わらない。一人分の毛布三枚を巻き付けてミノムシのようにくるまって寝るが、毛布をかぶせられない顔が寒い。やむなく一枚の毛布を頭からフードのようにかぶると、まるでミイラである。至れり尽せりの設備に囲まれたお隣の旧パンシー・キャンプのテントでアラブの王様気分を味わえるのなら、こちらはピラミッドに眠るエジプトの王様気分を味わえる。

ともあれ歯を食いしばって服を着替えた僕達は朝食の部屋へ移動。するとそこへザカリアがいつに無く沈んだ表情で現れた。

 「車のエンジンの調子が良くない。ここで修理はしてみるが、出発は遅れそうだ。」

今日のスケジュールでは早々に村を出発し、ベルベル族の町マトマタそしてタタウィンを回る予定だった。もし車が治らなければトズールから新たに一台呼ぶことになるので、丸一日待たなくてはならないと言う。ここまで何だかんだで日程通りに進めてきたが、砂漠で立ち往生とは。

 とりあえず村入口にぽつんとある粗末な修理場に車を持って行き、一、二時間様子を見て今日この車で出発するか、新しい車を呼ぶか(その場合もう一泊)判断することになった。状況によっては一時間ぐらいで出発するかも知れないので、昨日のようにラクダやクアッドやってる余裕は無い。僕達は旧パンシー・キャンプに忍び込んで中の展望台に登ったりして、かなり長い時間をボーッと過ごした気がしたが、二時間後に車の調子が回復したので改めて出発することになった。

温泉に入る時間はあったな、せめて足湯でもしていればよかったな、なんて贅沢は無用。二時間遅れで済んだことに感謝し、砂漠を後にしたのだった。

 

 蜃気楼のせいで前方の道が少し浮いて見える。そんな一本道をひた走る車の窓には既に砂漠は消え、ステップのような荒野、そして鰯雲が遠くから追って来るような空で二分された地平線が続いている。かと思えばいきなり椰子の林と直方体の民家が現れる。不毛の大地とオアシスの境目がよくわからない。

オアシスと言うか、これら椰子は人工的に植えられたような感じもする。アラブ人に広く親しまれているお茶請けのデーツを作るためだろうか。やがて辺りにはゴツゴツした岩山が目立つようになり、町っぽい所に入った。

 

 ここはマトマタ。フードの付いたバルヌースという伝統的な上着を着た人が多く目につくようになる。若い男はごっつい革ジャン姿が多くちょっと強面な雰囲気。アラブ人らしく格子模様の布を頭にかぶせた人もいるが、シリアや湾岸諸国で見かけるような輪っかを頭にはめて固定している人はいない。単に日よけとして使っているようで、暑くない時は手ぬぐいのようにそのまま首にかけていた。ほとんどの女性は頭から肩までのヘジャブか足の辺りまで覆うアバヤのどちらかをかぶっていて、その色は黒、白、ピンク、水色等の単色だ。この地のベルベル族の伝統家屋は竪穴式。クレーターのように地面を円形に掘り、そこを中庭にして四方に横穴が走る秘密基地のようなスタイルだ。

ここマトマタはそんな家屋が僅かに残る小さな町だが、映画「スターウォーズ」の撮影地だったことは有名。そう言えばルークの家もこの民家のような竪穴式だったし、映画に登場するジェダイの騎士や、スクラップ回収屋のジャワス等が着ていたのは正しくこの地の伝統衣装バルヌースだったし、この後に向かう隣町タタウィンだって、劇中のタトウィーン星と名前が似ている。

今はホテルに併設されたスターウォーズ・カフェとなっている旧家屋はとりわけ撮影に使われた場所としてファンの巡礼地にもなっている。近くで見るとハリボテ感があるものの、室内の扉や壁にはどこぞの場面で見た気がする宇宙建築的内装が施されていた。

 マトマタ郊外にはタメズレット村やトゥジェン村といったベルベル族の集落が点在しているが、いずれも岩山の中に作られており、この地を支配したアラブやオスマン帝国に対し籠城して抵抗した歴史を物語る。バルヌース姿の老人がロバに乗って岩陰から現れたり消えたりする光景は、中東ともアフリカとも言えぬ異空間そのものであり、そんなマトマタこそ宇宙を描いた大長編映画の舞台にふさわしいと結論付けられたのもわかる気がする。どこかの物陰にジャワスが隠れながら後をつけていそうだ。


 途中の昼食でチュニジアの名物料理であるブリックを食べてみた。大きな三角形をしていて、春巻のようにパリッとした皮に覆われている。中は細かくした肉と野菜が入っていてマイルドな味わいだったが、食感はやはり懐かしく醤油が欲しくなった。

 

 そんなこんなで車は次の町タタウィンのホテルに到着。トズールからずっとお世話になったドライバーのザカリアとはここでお別れとなった。旅程が遅れないためのいろいろな配慮、ほんと助かりました。辿り着いたホテルでは明日からの足を確保しなくては。ここではTさんが活躍し、希望するコースをオーナーに伝え、値段交渉もしてくれた。彼は景色と建築が旅の最優先事項となっており、自然やベルベル建築の多いここ南部を特に楽しみにしていたようだ。

 

 タタウィンの町は夜が早く、6時半にはほとんどの店がシャッターを下ろし始める。そして外国の観光客の少なさも影響しているのかも知れないが、道行く人々からやや奇異の目で見られている気がする。それは先日トズールの人々が道すがら笑顔で挨拶してくれた雰囲気とは違うものだった。

 ふと一軒だけ営業している料理屋を見つけ、フライドポテトが添えられたケバブ料理を食べた。久々にいかにも中東的な料理を腹一杯食べた僕は主人に「クワイエス」とアラビア語でGoodみたいなことを言うと、それはエジプト人の言い方だな、と言われた。アラビア語には書き言葉をベースにしたフスハーと呼ばれる共通語があるのに対し、アラブ各国ではアンミーヤと言う方言がそれぞれで話されている。アラブの政治や文化の中心を担ったエジプトではフスハーに比較的近い話し方がされているのかも知れないが、チュニジア等マグレブ三国で話されるアンミーヤは大分違うようだ。仮にアラブ諸国を一つにしたとすれば中国並みに大きいわけだし、別言語のような中国語の方言の数々を見ればアラブにも同じぐらい方言があって当然である。ましてやこっちは国も別々だし。そんなわけで先程口にした「クワイエス」は、チュニジアでは「ラベス」と言うことを教わったのだった。