少しは眠れていたのだとは思う。だが心地良い目覚めとは程遠いものだった。頭がボーっとしている。夕べの爆音は一体何だったのか、なんて考える力は湧いてこない。ただ窓の外を眺めていると、向かいの通りでは何人かの御者が馬車の用意をしている。あれに乗ってネフタ・オアシスに行くツアーもあるんだな。

 僕達が下の階に降りて朝食を食べに行くと、食堂には沢山の荷物と一緒にチュニジアの伝統楽器がいくつも置かれていた。ダルブッカと呼ばれる縦長の太鼓や、直径80センチから100センチありそうな大きなタンバリン型の打楽器。長細いラッパもある。僕達が座る隣のテーブルに6、7人のチュニジア人の一団が食事していたので、騒音の犯人はきっとこの連中であろう。夕べはよくも、と思わず横目で睨んでしまったが、顔を見ると連中は異常に若い。まだ十代ぐらいに見える。そんな彼等が夜通しこの楽器をかき鳴らし、朝食を食べたら出て行くような雰囲気である所、旅の音楽一座なのだろうか。催事の際に呼ばれて演奏してるのかも知れない。一階フロント前辺りで堂々とホテルの催しとしてやってくれさえすれば、チュニジアの年越しとして一緒に楽しんだに違いない。残念だったのは彼等がどこかの一室で騒ぐ程度の楽団だったこと。真夜中に大音量で演奏されたら迷惑に感じる人もいるという想像力が欠けたまま大人になっていくのだろう。もう二度と顔合わせることも無いから知った事ではない。

 

 僕の頭はまだ正常に起動していなかったが、一刻も早くこの連中のいる場所から離れ、次なる目的地サハラに向かうべく、すぐに荷物をまとめてザカリアの車に乗り込んだ。出発後間も無く、車は道端に停車したのだが、何とそこにはセルフサービスの手動ガソリンスタンドがあった。柱の上に設置されたガソリンタンクを取り外し、専用の注入ポンプに流し込んで給油するという何とも原始的なシステムだった。基本はバイク用なので、ザカリアは少しだけ補充したかったのだろう。

 その後は平坦な直線道路をひた走った。満足に眠れていなかった僕は夢うつつのような状態でどこまでも続く車窓の地平線を眺めていたつもりだった。途中途中意識が飛んでいたが、あるタイミングで目を開くと一面銀世界に変わっていた。ザカリアが途中車を停めて扉を開き、タイヤ脇から白い細々とした塊を掬って見せてくれた。雪のようだったが、確か塩だと言っていた。そもそもが幻想的な風景だったためか、どこまでが夢なのかよく覚えていない。写真も撮っていないのでそんな風景が本当にあったのかさえ定かではないが、後でガイドブックを見るとこの近辺にショット・エル・ジュリドという塩湖があると書かれていたので、僕が見た景色は本当だったのだろう。その後は本格的に夢の世界にいたのだが、車が街に入った所で目が覚めた。

 砂漠地帯に入る前にある最後の街、ドゥーズである。元日だからか街中にチュニジア国旗がはためき、アラブとフランスの雰囲気が混じったような味わいあるカフェが多く目に付く。

元々は遊牧民のアラブ族とオアシス農耕民のベルベル族が出会い、交易するためにできた市場からこの街ができていったそうで、今もその交易の歴史を記憶するため、毎年12月頃にサハラ・フェスティバルという祭りが行われ、両民族の伝統芸能やスポーツが披露されるのだそうだ。残念ながら今年の祭りは終わってしまったので、この街の滞在はちょびっとだけ。砂漠に入る前の飲み物確保とネットカフェ立ち寄りを主とした休憩散策だった。

そんなドゥーズを出て再び一本道をひた走ると、細かな雲が空の遥か遠く、地平線の方にまで広がる絶景に思わず息を呑んだ。

大地のスケールがどんどん広大になるにつれ、テンションが上がってくる。前後に車は皆無なのでつい、「道路に大の字」なんてガラでもないことをやってしまった。そんな風景に見入っているうちに、車はやがて手作り感のあるゲートに差し掛かった。

 

 トズールを出て約四時間。サハラ砂漠の集落、クサルギレンについに辿り着いたのだった。

そこはチュニジアのサハラ砂漠地帯の真ん中にあるオアシスでベルベル族の集落のようだが、今は完全に砂漠観光の拠点であり、ここで見かけるチュニジア人が元々ここの住民なのか、観光施設のスタッフなのか定かではない。両方兼ねているんだと思う。柔らかい砂地の集落、ホテルも含めて施設はほぼ全てテントだ。かつてパンシー・キャンプと呼ばれた豪華なテントホテルが有名だが、僕達の今夜の宿はその隣にあるル・パラディというテントホテルだった。

文字通り砂の上に張られたテントであり、中にはパイプベッドがあるだけだった。砂漠のキャンプみたいでいいじゃないか。その時はそう思って荷物を置き、オアシス内を散策。意外にもここには温泉が湧いていて温泉プールまである。しかしその周りはカフェになっており、そこでくつろぐ沢山の人々の衆人環視のもとで泳ぐのはちょっとためらわれた。だが集落の所々で見かける小川も温水なので、日本人なら気持ちも安らぐ。

 それではここらで砂漠のアクティビティに挑戦してみるとしよう。まずはクアッドと呼ばれる一人乗りのバギーだ。インストラクターには車の免許は持ってるね? と一応聞かれたが、特に免許証の確認は無かった。

四輪ではあるがハンドルはバイクのようで、発進も停車もハンドル右手側レバーで行うようになっていて、シンプルな構造だ。だがインストラクターは説明もそこそこに、じゃあ行きましょうと言ってすぐに出発してしまったので慌ててその後を追った。ペーパーの僕はまだ心の準備もできてないのに…。集落の外に出ると、そこは正に砂の海。道無き道を三台一列に走って行くのは気持ちがいい。ところが次の瞬間、向かいから大型トレーラーが二台やって来た。こんな砂漠でも普通に車が走っているのだな。インストラクターがカーブした左側は砂丘になっており、アクセルレバーをMAXにしてエイヤと登らなくてはならなかったが、流石に普段公道を走る車のスピードは速く、三台目の僕が砂丘の方にカーブする時にはトレーラーが目の前まで迫って来て、ギリギリの所で回避したのだった。見渡す限り地平線の砂漠で、よりによって車と接触しかけるなんて。その後も砂丘は次から次へと続き、スリップして登れなくなってしまったり、砂に車輪を取られたりで何度も立ち往生。その度にオーイと先頭のインストラクターを呼び、何とかしてもらっていたので、砂漠を楽しむと言うよりほとんどヒヤヒヤ体験だった。

 

 続いてはラクダで散歩。これまでも砂漠のある観光地にはこうした観光ラクダがいたような気がするが、実際に乗ったのは初めてだった。

スウッと浮いたような感覚と共にラクダが立ち上がり、前後にゆっくり揺れながら、のっしのっしと前進する様子は小舟に揺られているかのよう。丸く平面の足が柔らかい砂地をしっかり捉えていて、意外と安定感がある。クアッドに乗っていた時よりも見晴らし良く、砂漠をじっくり見られる。自分が運転してるわけじゃないから当然か。

途中で降ろしてもらい、砂の海へジャンプすると足首が一瞬で埋まった。液体かシルクを触っているような砂の質感が半端無い。砂の粒が小さく、ひんやりしている。

以前訪れたオマーンのワヒバ砂漠の砂もサラサラだったが、粒はやや大きかったし、時間帯のせいもあるが砂が熱くて長く触れなかったのを思い出す。サハラの砂の海は遥か遠くの地平線まで見渡せるが、ひょっとしたらあの向こうはリビアか、アルジェリアか。果てがあるのかわからない程広大に見えるが、今肉眼で見えているチュニジア領内のサハラは全体のごくごく一部なのだ。ブラックアフリカとの交易にはこの砂の海を越えなくてはならなかったわけで、よくこのラクダという動物だけで行こうと決心できたなと、昔の人の勇気と好奇心と実行力に脱帽だ。

ともあれ日本人が想像する最大級な非日常風景に興奮冷めやらず、僕もT氏も丘から滑り降りたり、字を書いたり、ペットボトルに砂を詰め込んだり。公園の砂場で遊ぶ子供のように、文字通り日が暮れるまではしゃいでしまった。但しここは世界最大の砂場。日暮れだって地平線に沈む今年最初の夕陽というスケールの前では、どんな大人も全てを忘れてボーっと眺める子供でしかない。

そうこうしているうちに一面の砂は次第に赤くなっていく。30秒程前まで黄金色だったはずなのだが。思わず一握り掴んでみれば真っ白だし。砂漠って意外とカラフルだったんだな。

 

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